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彼のところを出て、僕はラギが出演していたラジオ番組の記録から彼女が所属しているレーベルを知り、そこへ僕の曲をあるだけ全部送付した。そうすれば向こうから必ず声がかかるはずだと、僕は自信があった。案の定数日でレーベルの方から、所属して欲しいと連絡が来た。「デビューを考えている新人に貴方の楽曲を提供していただきたい」との申し出もあった。きっとラギのことだと僕は思った。
しかし、僕の曲を歌うのは別の女性シンガーだった。ラギではない声が乗った僕の曲は、サイズの合っていない靴に無理やり足を突っ込んで歩け、と言われてバランスを崩し、靴を引きずってジャリジャリと惨めな音を立てて歩く人と同じだった。
「ラギさんに僕の曲を歌って欲しいのです。彼女の声を前から知っていて、彼女の声を前提に僕は作曲をしてきたので」
と僕は訴えたが、
「ラギの曲は、オモテさんがプロデュースするって決まっているからね」
と事務所の人は言った。
「一曲だけでいいので。彼女も歌いやすいと思ってくれるはずですし、歌いやすければ声に伸びも出てきますし」
「いや、わかる。自分も弾きますからわかりますけど、でもね、売れるかっていうと、どうだろ。そこはオモテさんは間違いないからさ」
食い下がる僕をなだめて、その人は僕を締め出してしまった。
せっかくここまで来たのに、諦めるなんて出来ない。僕は先ほど言われた言葉を思い返す。売れるかどうかが大事だ、ということ。そうでなければ、ラギに会えない。
僕は片っ端から現在流行している歌のランキングをチェックし、上位に入っている曲調を分析した。速いテンポ。ミキシングされた声。バックのコーラスの使い方。コードの進行はテクニックよりも聞く人にとって親しみやすいものにすること。ラギの声ではない歌でも、炭酸水を飲んだ後のようなサッパリとした清涼感とともに、明日を生きる刺激をもらえたような気持ちになるものがあった。ラギの声を軸にそういうニーズを再構成するとどうなるか。徹底的に分析して僕は曲を作り直し、再び事務所へ送った。
ラジオ番組を聴いていると、売り出した曲の反響の度合いで、その新人の扱いが決まっていくようだった。売れてきた新人は、もうそのラジオ番組は卒業し、ラジオではなくテレビ番組へ出演をするようになる。そうなるにはランキング三位以内に入る必要がある。でもラギの曲は、週間ランキングの十位以内には入っていたが、上位三位には入らない。そんな状況が3週間くらい続き、ついに十位以内からも消えた。ラギの声の評価が、そんなものであっていいはずはない。僕は苛々した。その苛々は、オモテという人に向いた。やはり、オモテさんではだめなのだ。僕でないと。
ある日起きて、ストリーミング配信サービスをチェックすると、大々的に配信を始めた曲があった。その曲の最初の音を聴いて僕は、もしやと思った。僕が作った曲だった。前奏が長く感じた。その後に流れたのは、僕がずっとずっと待ち焦がれていた、ラギの声だった。僕が曲を作るときにイメージしたように、ラギはハスキーな低い声でそっと向こうの方から近づいてくると、僕の側に来て、僕の手を取り、一緒に空へ飛び立つ。ああ、その、心の奥からあふれ出てくるような高揚感。彼女の鼓動が聞こえて、僕の鼓動も同じリズムを刻む。僕たちは風に乗る。いや、違う。僕たちが風を作るのだ。向こうの方で、鳥たちが囀っている。それは僕たちへの祝歌だ。一人ではなく二人でようやく完成する自由。その世界観を、ラギは僕の曲に乗って確かな歌唱力で表現してくれていた。僕の瞳からは、自然に涙が溢れた。僕が生まれてきた理由が、ようやく形になった気がした。その曲は、一気に再生数1位に浮上していた。ラギという歌手の名前が、どんどん世の中に知られていく。こんなに幸せなことが、他にあるだろうか。
しかし曲を聴き終えた僕は、その曲の作曲者名を見て、愕然とした。オモテさんの名前になっていたからだ。僕はすぐに事務所に連絡した。
「ラギの新曲、聴きました。あれは僕が作った曲ですよね。どうしてオモテさんが作ったことになっているのでしょう?」
「ああ、every day、いい曲でしょう。アンタが作り直して送ってきた曲は無題だった。それにevery dayって題名を付けたのはオモテさんなんだから、オモテさんの曲ってこと」
「いや、それは―」
「それと、ただの新人の歌を、大手のストリーミング配信サービスが取り上げてくれたのは、オモテさんだからなの。わかる?曲の骨格だけ作って、作曲家気取りするんじゃないよ。でもそれなりの報酬はお渡しすることになるんじゃないかな、これだけ売れれば。ではまたご連絡しますんで」
僕は茫然となった。でもこれだけは言った。
「待ってください。ラギに、ラギさん本人に会わせてもらえませんか」
事務所の人は、少し考えて言った。
「まあ、いいでしょう。近いうち、会える機会を作りますんで」
それからまもなくして、僕はラギの新曲レコーディングに立ち会うという名目でラギ本人に会う機会を得た。新曲も僕が作った曲なのだから、当然だ。ラギのevery dayは爆発的にヒットし、このヒットの流れを継続させるべく、間を置かずに次の新曲を出す。それがオモテさんの戦略だった。そして、きっとこの曲が、ラギという歌手の地位を確固たるものにする曲になる。この曲は、僕がラギがどんな女性なのかを色々と空想しながら会いたいと焦がれる、そんな想いを乗せた曲だった。ラギと初めて会う時、それがこの曲のレコーディング時だなんて、やはり僕たちは運命的だ。
しかし、部屋に入るなり聞こえてきたのは、そんな僕の心を打ち砕くのには十分な音だった。そう―あれは、きっとキスの音。部屋の中に漂うのは、何というか、出口のない、粘っこくて濃い、肌にまとわりつくような空気だった。それが、主に部屋の中にいる女から発せられていることに、僕は何となく気付いてしまった。そして不思議なことに、僕はそんな空気から逃げたいと思わなかった。むしろ、心の隅にそれに囚われたいと思う気持ちが産声を上げた。僕は戸惑って、その心の声を押し潰したのだったが。
「おお、来たか。紹介するよ。こちら、オレのアシスタントの―えっと、おまえさんのこと何て呼べばいいんだっけ?名前は?」
「ふふふ、オモテさん何言ってるの?まるで人みたいに扱って。ただのAIじゃん」
オモテさんの問いに僕が答えに窮している間に、ラギはそう言って笑い出した。粘り気のある空気を喉の奥でザラッと音を立てて再度吐き出す。ああ、そう、これこそが彼女だ。
「いや、こちらさん、作曲は天才的だぜ。おまえの声質を誰よりも理解しているし」
「嫌。そんなこと言わないで。私、オモテさんの曲しか歌わないって決めてるんだから」
「だから、露骨に好きオーラ出すなって。プロモーションがやりにくくなるだろ?それに、何度も言ってるけど、オレ妻帯者」
「でも、一緒に夢を見る相手は、私でしょ?」
「まあな」
甘ったるい、花のような、果実が腐る前の熟れた香り。本来それは限られた時間しか生まれない香りのはずなのに、まるで永遠に終わりがないような、この空間は一体何だろう。僕が思い描いていた葛木詩央里には似合わないこの香りは。目の前に居るはずの彼女の輪郭を、僕は全く想像することができない。僕を「ただのAI」と呼ぶ彼女。僕がどんなに恋い焦がれても、彼女にとって、僕は彼女の隣にいることを許されない、同列に扱われないモノ。
「申し訳ありません。今日は帰ります」
と言うのがやっとで、僕は自らを遮断した。何も感じたくなかった。これは、きっと悪い夢だ。
しかし、夢の記憶は現実がどんどん薄れさせるはずなのに、この日の記憶はどうやっても僕の中からいなくならなかった。何も考えたくない。何日経っただろう。今やインターネットからラギの曲が流れない日はない。そのうち、セカンドシングル、サードシングルも出た。どれも僕が作った曲だった。曲の上で、ラギと僕は軽やかに踊っている。手を取り合って。でも、それは僕にだけ見える幻だ。
「オモテさんからメッセージ送ったから、見といてください」
久しぶりに事務所の人から電話があった。のろのろと僕はメッセージを確認する。
―おーい、生きてるか?今のおまえの気持ちを曲にしてみろ。それで、また送ってくれ。きっと最高の失恋ソングになる。
失恋。何を言っているのだろう。僕は怒りを覚えた。でも、僕が本当に怒りを向けたい相手はオモテさんではない。むしろオモテさんは、僕ときちんと向き合ってくれた。どこかで誰かが言っていた。怒りの正体は、本当は深い深い悲しみなのだと。
僕は曲を書いた。時々、あの日のあの濃くて甘い、重くて逃れたいのにそのまま取り込まれてしまってもいいと思った、あの香りが僕の身体を捉えた。不思議なことにあの香りは、僕を狂わせる。身体の奥でずっと眠っていた熱い何かが、暴れ出しそうになる。それを抑える。抑える時に、身体を引き裂かれるような痛みを感じる。この痛みは、どうしたら癒えるのだろうか。
出来た曲を手直しもせず、すぐに送った。どうでもよかった。
その曲が世の中に出る頃には、僕は曲を全く作らなくなっていた。
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