第三十一話 世界の半分

レオンは嵐の中心で泣いている少女へと必死に手を伸ばした。

しかし彼の意識は見えない壁に阻まれるかのように、それ以上近づくことができない。

少女の周りには彼女自身の絶望と自己否定が作り出した、強固な心の壁が存在していたのだ。


『来ないで…』

少女――ソフィアの魂が、か細い声で拒絶する。

『私に近づかないで。私のせいでまた誰かが傷つくのは、もう嫌なの…』


その声はレオンの胸を鋭く抉った。

これが彼女が心の奥底にずっと隠し続けてきた本当の叫び。

常に気丈に振る舞い、全ての責任を一人で背負い込んできた彼女の脆く壊れやすい素顔。


『レオン殿! 限界です! これ以上はあなたの精神が持ちません!』

ギデオンの悲痛な声が響く。

現実世界ではアストラル・ダイバーが制御不能の火花を散らし始めていた。


(…うるせえ…)

レオンは心の中で叫んだ。

(俺はまだ何も伝えられていねえんだよ…!)


彼は心の壁に阻まれながらもさらに強く、ソフィアの魂へと語りかけた。

言葉にはならない。

ただ純粋な想いの奔流。


(お前がいなけりゃ俺たちはとっくの昔に死んでた。お前の知識が俺たちを救ってくれたんだ)

(お前は一人じゃねえ。お前のその小さな背中には俺たちが、アルカディアの皆がついてる)

(だから帰ってこい、ソフィア。お前のいない世界なんて俺には意味がねえんだよ)


そして彼は聖域で光の守護者に告げたあの言葉を、再び紡いだ。

それは彼の魂の全てを込めた誓いの言葉。


(お前は、俺の、世界の、半分なんだ…!)


その想いが届いたのか。

ソフィアの心の壁にぴしりと小さな亀裂が入った。

少女がゆっくりと顔を上げる。

その涙に濡れた瞳が初めてレオンの意識を捉えた。


『…レオン、さん…?』


そのか細い呼びかけにレオンは全身全霊で応えた。

彼は自らの魂の全てを燃やし尽くす覚悟で、心の壁へとその想いを叩きつけた。


瞬間、世界が白く染まった。


ソフィアの研究室で儀式を見守っていた仲間たちが息を呑む。

それまで激しく火花を散らしていたアストラル・ダイバーが、ぴたりとその動きを止めた。

そして魔法陣の中心で微かに明滅するだけだったソフィアの魂の核が、まるで夜明けの太陽のように力強い輝きを放ち始めたのだ。


「…始まった…!」

フィーネが歓喜の声を上げる。

彼女はすぐさま詠唱を開始した。

『生命の泉』の祝福を宿したアストラル・クォーツがその輝きをさらに増し、その凝縮された生命エネルギーがソフィアの身体へと注ぎ込まれていく。

同時にもう一つの楔となるクォーツが、彼女の記憶と感情のパターンを再構築し始めた。


砕け散った魂の器が一つに。

失われた生命の光が再びその身に宿っていく。

それはまさに神の領域に踏み込む奇跡の光景だった。


どれほどの時間が経っただろうか。

魔法陣の光がゆっくりと収まっていく。

研究室は元の静けさを取り戻した。

ただ一つだけ違うのは。


ベッドの上で眠っていたソフィアの、その白い指がぴくりと微かに動いたことだった。

そしてそれまで固く閉じられていた彼女の瞼が、ゆっくりと、ゆっくりと開かれていった。


その蒼い瞳が最初に映したのは、ベッドの脇でアストラル・ダイバーの兜を外し、汗だくのまま、しかし安堵の表情で自分を見下ろしているレオンの顔だった。


「…レオン、さん…?」

彼女の唇から紡がれたのは夢の中と同じ、その名前。

「…おかえり、ソフィア」

レオンはそれだけを言うのが精一杯だった。


その言葉を聞いたソフィアの瞳から一筋、涙がこぼれ落ちた。

それは悲しみの涙ではなかった。

ただ温かく、そして懐かしい涙だった。


アルカディアの光はまだ消えてはいなかった。

多くの犠牲と仲間たちの想いの果てに。

それは今、再びこの地に確かな輝きを取り戻したのだ。

しかしそれは本当の戦いの始まりを告げる序曲に過ぎないことを、まだ誰も知らなかった。

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追放悪役令嬢、魔導科学で辺境から帝国建国はじめます! ~前世知識で魔法の謎を解き明かし、最強国家を築き上げます~ 龍月みぃ @ryuugetumii

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