浮世

白川津 中々

◾️

夏、街路樹にもたれかかる男がいた。


彼には帰る家がない。一日歩き回り、腰を落ち着けてはまた歩き出し、眠れそうな場所で眠るのだ。なんとかして得た金も全て酒に消えてしまうものだからいつも意識は朧げで、日毎に滲む汗と垢が悪臭を放ち、すれ違う人すれ違う人に眉を潜められていた。

男は生粋のルンペンではない。かつては働いており、妻も子もいた。家もあり金もあった。人が望むべく幸福を、しっかりと享受していたし、それを守ろうとする意志もあったが、不幸なことに彼はその意思を持ち続ける力がなかった。ある日、前触れもなく途端に家族の元を去り、それきり今の浮浪生活を続けているのである。

彼の心の中でなにが起こったのかまったく難解である。ただ疲れ切ってしまったのか、人間社会に馴染めなかったのか、あるいはもっと別な、彼独自の精神機構が働いたのか定かではない。いずれにせよ、彼は人の営みから外れて無頼となり、歩き回っては酒を飲み、強かに酔えば眠るというのを繰り返しているのだ。

いったいどうしてそうなったのか彼の口から語られることはなく、語る相手もいないが、満足そうに目を細め街路樹にもたれかかる姿は幸福そのもので、口を挟む余地もない。男にとってはそれがいい。それだけなのだろう。


立ち上がった男はまた歩き出し、街中へ消えていった。悪臭を纏いながら、一人きりで。

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浮世 白川津 中々 @taka1212384

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