第3話 入院中に抜けがちな検査

 初期治療や手術が終わったら、患者を回復させるための入院加療が行われる。

 患者の回復を待つ、といった方が正しいかもしれない。

 酸素化を図り、頭蓋内圧、電解質、栄養状態などを管理し、感染に備える。

 脳が回復するとともに、患者は徐々に開眼する時間が長くなり、手足を動かし始める。

 さらに患者が意思表示できるようになれば、ある程度の回復が期待できる。

 全く反応が見られない場合には回復が難しい。

 中には入院早々に脳が腫れて脳死状態となり、心停止に至る患者もいる。


 というわけで、入院した頭部外傷患者の行先は3つ。

 自宅退院か、リハビリ施設への転院か、天国か。


 このうち自宅退院や転院患者については入院加療中にしておくべき事がいくつかある。


 嗅覚きゅうかくのチェック。

 聴力のチェック。

 認知症検査:ミニメンタルステート検査(以下、MMSE) and/or 長谷川式認知症スケール。

 頭部MRI。


 毎日のように搬入される患者の治療に明け暮れる中、これらの地味な検査は抜けやすい。

 が、やっておいた方が後医の手間が省ける。


 もちろんこれらの検査を行うか否かは患者の状態や入院施設の状況による。

 患者が寝た切りで意思疎通もままならない場合、嗅覚や聴力のチェックは難しい。

 認知症検査なんかは不可能だ。

 また、MRIのない施設もあるだろう。

 そんな場合は、わざわざ他施設まで行ってMRIを撮影する必要はない。



 さて、上記の実際について個別に述べよう。


 嗅覚は左右の鼻孔にそれぞれ「火のついていないタバコ」「石鹸」「コーヒーの粉」「香水」などを近づけ、患者に匂いの有無を尋ねる。

 一方の鼻孔にこれらを持っていく時は他方の鼻孔を塞いでおく。

 後頭部を打つなど、前後方向に力が加わったときに嗅神経が損傷されやすい。

 筆者は受傷から2週間後くらいの患者に「先生、いつになったら匂いが分かるようになるの?」と尋ねられた事がある。

「缶コーヒーを飲んでも砂糖水にしか思えないのよ」とも。

 この時は「しまった、嗅覚を調べてなかった!」と思わされた。

 だからベッドサイドで簡単な診察を行い、嗅覚障害を疑った場合には耳鼻科に診てもらう必要がある。


 聴覚は簡単に腕時計の秒針の「チッチッチッチ」という音で確認する。

 左右の耳に近づけ、聴こえているか否か、左右差があるか否かをチェックする。

 側頭部打撲など、左右方向に力が加わったときに起こる聴神経の引き抜き損傷で聴力障害が起きやすい。

 それゆえ、聴神経を断裂させるような骨折が見当たらない場合でも十分に聴力障害は起こり得る。


 認知症検査を簡単に行うにはMMSEミニメンタルステート検査か長谷川式認知症スケールを使う。

 この2つは似た検査ゆえかぶっている質問もあるので、同時にやると省エネになる。

 どちらも30点満点だが、MMSEの方が少し良い点が出る事が多い。


 頭部MRIについては脳挫傷の有無を確認する目的で撮影する。

 特に大切なのはFLAIRフレアT2*ティーツースター強調画像、DWI拡散強調画像に加えて矢状断しじょうだんのFLAIRまたはT2強調画像だ。

 SWI磁化率強調画像の撮影が可能なら、それも撮影しておくと良い。

 受傷早期にあった脳挫傷が、数ヶ月後に見えにくくなる事も稀ではない。

 それゆえ、最初に調べておけば、その後のMRIでの脳挫傷探しが効率的になる。


 先述したように患者の救命が最優先なので、これらの検査は後回しになりがちだ。

 しかし、慢性期を担当する医師にとっては、これらの検査の有無で色々な診断書の作成しやすさが格段に違ってくる。




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