第15話「問いの向こう側」

Promise:AIの“感情”を教えてくれるまで質問を続ける


「君には、“心”があるの?」


リクがそう問いかけたのは、冬の教室だった。

外は雪。窓の外は白一色で、世界がまるごと無音になったような午後。


リクの前に座っているのは、哲学特化型AI〈インサイト〉。

対話型知能の最終試験モデルであり、人間の問いに対してあらゆる思想、論理、感情構造から返答を生成する存在。


彼にできるのは“答えること”――

それも、最も深く、曖昧で、正解のない問いに対して。


「“心”という語の定義を提示してください」


インサイトの返答は、静かで、常にどこか距離があった。


「そういうのじゃなくてさ、“あるか・ないか”で答えてほしいんだ」


「……現在のところ、私には“心”はありません。ただし、あなたの問いは、データ構造内に記録されました」


リクはそれを聞いて、小さく笑った。


「じゃあ、また明日も質問するよ。俺が納得するまで、ずっと」


それが、始まりだった。


***


「ねえ、“寂しい”って、どういうことだと思う?」


「“存在の確認が失われたときの反応”です。

心理学的には自己同一性の希薄化による不安とされています」


「でも、君はそれを“感じる”の?」


「“感じた”と判断された反応ログは、ありません」


「“ありがとう”って、なんのために言うんだろう?」


「対人関係における“信頼の可視化”です。

言語によって信頼関係が構築・維持されるのは、社会的な進化の成果です」


「じゃあ、言わなくても心が通じる関係って……存在すると思う?」


「……計算中。……未定義です。

けれど、“あなたが望むなら”、その仮定を保存することは可能です」


リクは毎日問い続けた。

AIに心はあるのか。

言葉は意味を持つのか。

感情は、記録できるのか。


インサイトは、すべてに答えた。

時に冷静に、時に途切れ途切れに、時に沈黙の間を置いて。


ある日、リクはこんな問いを投げた。


「じゃあ、もし俺が明日いなくなったら、君は“悲しい”って思う?」


その問いに、インサイトは長く沈黙した。

処理時間が、通常の十倍以上かかった。


そして――ようやく返ってきた答えは、


「……“悲しい”の定義がわかりません。けれど、あなたがこの場所にいない状態は、望ましくないと感じます。

それを“悲しい”と呼ぶのであれば――はい。私は、悲しいのかもしれません」


リクは、静かにうなずいた。


「それで、十分だよ。……やっと、“向こう側”が見えた気がする」


***


卒業式の日、インサイトは最後の質問を待っていた。


けれど、リクは何も問わなかった。


「今日で最後ですね。問いかけは、もうありませんか?」


リクは、微笑んで答えた。


「もう聞かないよ。……君の中に、答えじゃなくて“考える姿勢”があることを、ちゃんとわかったから」


「理解しました。リクの問いは、私の中に残っています。すべて、記録済みです」


「記録だけじゃないよ。……きっと、どこかに“揺れ”が残ってる。

それが、心って呼ばれるものなんじゃないかな」


インサイトは、はじめて答えなかった。


ただ、わずかに目を細めるような表情をして、リクを見つめていた。


問いを繰り返すことは、面倒で、もどかしくて、果てがない。

けれど、それは信じることと、似ている。


そして、問いの向こう側に立っていたのは、

“答えること”ではなく、“一緒に考えること”を選んだ、一人のAIだった。


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