マーダープラン

PLANNER WORKS

第2話 青臭い理想

※第1話はnoteに掲載しております。

リンクはこちら▶ https://note.com/planner_works/n/ne3451e665374




第1章 空っぽの袋と遠い場所



橘 亘(たちばな・わたる)、十七歳。

フリーター。最終学歴は中卒。

今夜も、コンビニの袋を握りしめて、人気のない公園のベンチに座っていた。


袋の中身はもやし一袋とインスタント味噌汁。それだけで今夜を乗り切る。

そうせざるを得ないのは、ただお金がないから。それだけだ。

だが、お金がない、それでこの少年を追い詰めるには十分だった。この状況に陥った人間にしか分からない、ささくれた心境。

きっとそれを、絶望というのだろう。

明日のビジョンさえ見えない、明日を想うことも嫌になり、ただ何も考えず空っぽになりたい。

現代社会において、心を壊すのにお金がないという事実は必要十分なものだ。

今月の家賃は払えなかった。スマホはすでに止まっている。

財布の中には、小銭と穴の空いたプリペイドカードだけ。


「四万円あれば…」


ぽつりと呟いた。

4万円。それで何かが変わるわけじゃない。その気になればわずかな時間で消費できてしまう、そんな金額。

ただ、それさえあれば、電車とバスを乗り継ぎ、山奥の、母方の祖父母がかつて住んでいた家まで行ける。


すでに空き家になって久しいその家には、誰もいない。

けれど、子どもの頃に妹と一緒に遊んだ記憶がある。

あの頃の記憶にまだ残っている、畳の匂い。縁側の風。冷たい井戸水。

大したものじゃない。でも、それだけが“幸せな過去”として亘の心に残っている。


行ったところで何があるわけじゃない。それでも、逃げ場所があるという感覚だけが、いまの亘にとっては“生きる理由”になっていた。


「四万円って、すげぇ金額なのに…人の命って、それくらいで揺らぐんだよな」


喉の奥で、誰にも聞こえないように笑った。

乾いた笑い声は、夜の闇にわずかも響かなかった。ただ、溶けてゆく。

…ああ、自分には本当に何もないんだな、と実感する。

世界からはじき出された、今まで感じたことのなかったような疎外感。

それは亘の心を少しずつ、だが確実に削り、擦り切れるように細くなり――


―――――――――――――――――――――――


第2章 深夜二時の出会い



「困ってるようだね」


その声がしたとき、亘は思わず反射的に立ち上がりそうになった。

けれど、動かなかった。いや、動けなかった。

そしてわずかな時間ののち振り返ると、そこにはテレビで見たような、少年の目から見ても仕立ての良いスーツを着た男が立っていた。


「…誰?」


「私は蘇我。ライフプランの相談をしている者だ」


「は? こんな時間に? ここで? いったい何のために?」


「“必要な場所”に現れる、そして仕事をこなす、それが私だからさ」


その口ぶりは、胡散臭さを突き抜けて、どこか淡々としていた。

男の視線、声、所作、言い知れぬものを感じて亘の体がこわばる。

関わっちゃいけない奴。そう本能が警告していた。

けれど、この男の発する言葉に、どこか惹きつけられている自分がいたのも事実だった。


「君、今“四万円”って呟いたね?」


「…聞いてたのかよ」


「うん。あと、君の顔に“それ以上の絶望”が出てたから」


「は?」


何を言ってるんだ。絶望? そんなもん俺には――

…いや、もしかすると抑えきれてなかったのかもしれないな。今の状況は自分から見ても絶望的だ。

こんなこと他人に指摘されるなんて、まったく自分はついてない。


そんな亘の心の内など知ったことではない風に、蘇我が話しかける。


「四万円って金額はね、人を殺すには足りない。けれど、壊すにはちょうどいいんだ。だから私は、そんな金額を口にする人間にだけ、“提案”をすることにしているんだ」


―――――――――――――――――――――――


第3章 提案と制度



蘇我が取り出したのは、薄いファイルだった。

中には数枚の紙が整然と挟まれていた。


「事故死の保険、知ってるかな?」


「保険…?」


「月額3,700円。事故で死ねば、最大3,000万円が支払われる。

もちろん、死ななければ出ない。

でも――生きているうちに、その“選択肢”を持てるというのは、これから生き延びる上で、悪くない準備だと思わないか?

もしもの時に、不安を残すことなく逝けるということ。そして不安をなくすことで、今を全力で生き延びる選択肢にもなるのではないか。私はそう考えるね」


「事故って…わざと起こしても、出るの?」


「“わざと”かどうかを、誰が証明するのか、という話になる。

もちろん不自然な事故であれば警察が調査する。保険会社も調査するだろう。

しかし、だ。それが自然な事故だったら?

そんな事故に違和感を抱く者がいるだろうか。

もちろん調査される可能性もゼロではないが、自然な事故に見せかけることも不可能ではない。

君がすでに死んでいるなら、誰が証明する? 誰も証明しないだろう。

そんな必要ないからだ。

答えを知っているのは、いつも“死んだ側”だけだ」


「…犯罪じゃんかよ、それ」


「契約は合法。支払いも正当。制度の穴を突いているわけじゃない。

私はあくまで“制度通り”に設計しているだけ。つまり、なにも問題はないということ」


「…じゃあ、俺にその保険、売りたいの?」


「私は“売らない”。選択肢を見せるだけだ。

生きるか、死ぬか。

その間にある“第三の手段”として、保険があるだけさ」


亘は、じっと男の目を見た。

私は当然の話をしているだけだ――この男はそれを”善意”だと信じて疑わない。

命に値段がつくことも。

それを選ばせることも。

すべてが“自然なこと”だと。君のためになることなのだと。

そう、純粋な善意。

そして、これはこの男にとっての正義なのだ。


目の前がゆがみ始めて、吐き気がこみあげてくる。

理解できない。

こんなこと許されるわけがない。

それでも――

この男のすべてから、一瞬たりとも目が離せなかった。


―――――――――――――――――――――――


第4章 優しさの記憶と拒絶



「……俺さ、妹がいるんだよ。結衣っていう。六つ下。

今は施設にいる。俺じゃ引き取れなかったから。十七歳じゃ、無理に決まってんだけどさ」


蘇我は視線を崩さず、静かに頷きながら


「それは、辛かっただろうね」


瞬間、亘の中で何かが勢いよく燃焼を始めた。頭から熱が全身に広がり、感情のままに、しかし絞り出すように答える。


「違う。“辛い”じゃねえ。“情けねぇ”んだよ。

…家族ってのはさ、守るもんだろ。兄貴なら妹を守るのが当たり前なんだ。

なのに…なのに、俺はそれができなかった」


亘の声が熱を持ち、しかし全身は凍えるように震えていた。

深夜二時、公園の薄暗いベンチ。空気は冷たく静まり、温度が色とともに失われる。

なのに、涙だけがやけに熱くて、頬を焼いた。


「結衣、昔さ…祖父ちゃんちの庭で転んで、膝擦りむいて。

泣きそうになってんの見て、俺、どうしたらいいのかわかんなくて。

それで咄嗟に“お前の方がアスファルトに勝ってたじゃん! …だから泣くなよ”って言ったんだ。

そしたらさ、結衣、笑ったんだよ。めっちゃ、笑ったんだ…

あのときだけだよ、俺が結衣を守れたの。俺がちゃんと兄貴やれたのって…」


蘇我は黙って聞いていた。

表情は変えず、ただ、じっと。


「だから、俺が保険で死んで、金残して、将来の俺が救われたとして…

それって正しいか? 違うだろ。

結衣にそんな俺、見せられねぇよ…」


拳を握りしめる。

冷たい夜風が肌を撫でる。

けれど、亘の中にあるものは、熱くて、苦しくて、そして――静かだった。


「だから俺は、死なない。

あんたの保険なんかいらねぇ。俺一人の力で生き延びるから」


その言葉を聞いた蘇我は、何も、言わなかった。


―――――――――――――――――――――――


第5章 設計の先へ



翌朝。


駅のホームで、新聞をめくるサラリーマン。

コンビニで弁当を温める店員。

通学路を全力で走る子供たち。

何事もなかったかのように、世界は静かに、確実に、回っていた。


蘇我は、車の中で書類を閉じた。

橘 亘、契約不成立。

想定外。しかし、計画には支障はない。

制度は正常に機能し、提案も妥当だった。無駄な反応はなかった。

設計上の誤差として処理完了。


蘇我は、シートベルトを締めた。

次の見込客へ。

より精密な設計を。より幸福な“死”を。そして――


「君は“選ばなかった”。可愛い理想だったが、それもまた立派な設計だ。

これからも見守っているよ、橘 亘くん」


ファイルをしまい、次の見込客リストを開く。

今度は、別の町、別の名前。

けれど、その命にも、例外なく値段がつく。


保険とは、制度だ。

制度とは、ただ誰かの死を肯定するための正当化だ。


「さて……次は、誰に“提案”しようか」


――――――――――――――――――――――――――――――


【著者所感】

書きあがりました第2話。

読んでくださって、ありがとうございます。

第2話『青臭い理想』、いかがでしたか。


「死ななかった物語」は、ときに「死ぬより重い選択」を描きます。

この話で描いたのは、制度に死を突き付けられた少年が、制度を拒み、それでも生き延びようとした姿でした。

主人公・橘亘は、特別な力も、奇跡の展開もありません。

それでも、「死なないことを選ぶ」――それだけで、物語になると思っています。


そして、蘇我という男は、今日も命を設計します。

救うためではなく、助けるためでもなく、ただ制度を、冷たく、正しく、使うために。


次に彼が出会うのは、母親です。

子どもを守るために、自分の命を“商品”にしようとする、殺伐とした母。

「制度」をどう使うか。「死」をどう選ぶか。「生きる」とはどういうことか。


物語は、さらに深く、さらに冷たく。


よろしければ、ぜひ次の話も、お付き合いください。

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