現代哲学批評論

翡翠食べたい

現代哲学批評

私はまだ、16歳だ、だがしかし現代の社会を見て、現代に生きるもの達を見て、私は疑問を持った、彼らは本当に自分自身として生きれているのか。


現代に生きる人は最も病的な人だ。

(エーリヒ・フロム)

私はこの言葉を聞き、現代の資本主義の性質を知り、この言葉を理解した。

次にカントによる、人間の快の感情について

知り、いかなるものかを快と見なしたのか、

それを理解した。


この2つの思想のから、人間にとっての幸せとは、人間にとっての快とは、自分自身の感性を磨き、自分のために自分の力を使う事だという結論がでた。(この2つの結論からであり、実際には美しいものや崇高なもの、直接的な善なども、快であると理解している。)


私はこの結論の多くは否定しないが、それだけが人間の幸せではないと考えた。


人間の幸せについて、私はこう考える。

自分自身の幸せとは、他人と共鳴することにより得られているものである。

自分自身のみ、つまり1人だけで幸せになることは出来ない。

また、感性におくなら、最もそれは重要視されるべきものである。

そして、フロムの思想から言える、所有とあるものについてだが、私は所有には意味があると思うし、所有を幸せと思うのは一般的感性だと思う。

現代では、フォロワーという言葉が存在する。フォロワーとは、自分の感性をどれだけ認めてくれるかの数値と言えよう。

だが、時にそのフォロワーを増やす為には

美しいもの、の感性や崇高なもの、の感性、

それら全てに共感を求める時がある。


簡潔に話すと、人は共感によって、共鳴によって幸せを生む、だとするならばそれは感性だけでなく、誰かの手によって出来たものを皆んなと吟味、評価する。そうして、また良いものが出来て、またそれを吟味、評価する。

幸せの為、互いの感性を共鳴させ続ける、そのためにはありとあらゆる物を必要とすべきである。私は以上を2人の思想から考えた。

皆さんの意見を聞きたい、現代の人に、生きることについて、生きる意味について、もっと考えて欲しい。


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