その翡翠き彷徨い【第21話 冷たい手】

七海ポルカ

第1話


 石畳を一歩ずつ踏みしめるようにして奥館までの石柱路を歩いて行く。

 脇に重い魔術書を抱えたままこの道を行くのにもようやく慣れ始めた。

 リュティスのいる奥館の扉を開く時、以前感じていた胸躍るような気持ちは無くなったけれど。


 半年前からだ。


 この扉の前に立つと緊張するから、いつも大きく一度息を吐いてから扉を開くようになった。

 館の中には侍従がいることもあったし、いない時もあった。

 メリクが魔術の勉強をしに来る事は知っていたから、顔を合わせれば軽く挨拶する程度である。

 ここには進んで自ら口を開くような人達はあまりいないようだった。



 メリクは三階の勉強部屋へと階段を上がって行く。

 勉強部屋となる書斎の前に執事の姿があった。

 丁度メリクより前に部屋の中へと入って行く所だ。


「殿下、本城よりのお手紙です。外交の書状でございますが」


 老人がそう言って、中に消えたのでメリクは荷物を抱えたまま外で待った。

 この奥館にまで持ち込まれる外交の手紙となると、軽々しい話題ではないはずだ。

 

 以前のメリクならば興味が勝って、何の手紙だろうかとリュティスに近寄って行ったはずだが、今ではもうそういう自分の興味本位こそを第二王子が毛嫌いしていることも、自分という存在がこのサンゴール王国のどんな些細な政にも関わる必要がないこと――いや、関わるべきではない事をメリクはよく知っていた。

 廊下に置いてあった横椅子に腰掛けて、今日学ぶべき範囲の魔術書を開き軽く目を通すことにした。


 四種の基礎魔法を取得し【契約の儀】を終えたメリクは、すでに光と闇の領域の魔法も学び始めるに至っていた。これは十三歳としては異例の早さとも言え、それを聞いた人間などは手放しで素晴らしいと誉めて来る場合も多いのだが、日々リュティスの双眸に晒されているメリクとしては、そんな形ばかりの賛辞を貰った所で有頂天になるような所は一切無かった。


 半年前のあの事件から、しばらくメリクはまともにリュティスの顔を見れない状態が続いたのだが、今は大分落ち着いて来た方だ。

 でもリュティスの瞳を見る時に感じる『恐れ』は、残り続けた。

 だがそれは他の人間がそうするように、リュティスの【魔眼まがん】の魔力を恐れた事ではない。

 メリクはひたすらにそこに浮かぶ、自分への嫌悪の色を警戒して恐れたのである。

 普通に存在するだけでもリュティスに疎まれる存在であるという自覚を持ったメリクは、極力『それ以上』のことをしないようにしようと心に決めていた。

 与えられた時間、与えられた範囲、与えられた許し、それ以上の事は決してしない。

 メリクがそれをすることで、リュティスの心に何か良い変化を与える事など決してないのだから。


 寂しい関係だとも思う。

 でも、本当に完全に会えなくなってしまうよりはずっといい。


 執事の老人が出て来た。

 メリクの姿を見つけると、丁寧に頭を下げただけで階段を下りて行った。

 メリクは立ち上がり、まず少し開いたままになっていた扉から中の様子を窺ってみる。

 リュティスは部屋の隅の暖炉の方に立っていて、何か手紙らしきものを読んでいる所だった。しかし全て読み終えたのか視線を外すと、まるで汚らわしいものでも投げ捨てるかのように、火の入った暖炉にそれを投げ入れる。

 ボッ、とすぐにその薄様の紙に火が付いて燃え上がった。

 メリクは顔を引っ込める。

 リュティスが非常に苛立っている様子が伝わって来たので、とても今入る気にはなれなかったのだ。

 しばらく間を置いた方がいいのかもしれない。

 脇に抱えていた本を両腕で抱きしめて、メリクはそっと扉の前から遠ざかった。廊下の隅の方でじっとしていると、しばらくして部屋の中から声が聞こえた。



「……何をしている、さっさと入れ」



 メリクは慌てて部屋の中に立ち戻ると背を向け静かに扉を閉めた。

 いつもの自分の席に向かう途中、ちらと暖炉の方を見ると丁度燃え落ちようとする手紙の一部が見えた。

 何かの紋のようだった。

 神角と翼を持つ馬の紋章は……確か大陸西部にあるガルドウーム王国の紋章ではなかっただろうか?

 そこまではすぐに思ったのだが、メリクはそれ以上の事を考えるのはやめておいた。


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