第5話 精霊弓とエコーズの共鳴
冷たい風が、森の梢をざわりと揺らした。
黒羽根の仮面──“鴉王”ゼクスは、木陰に実体を持たない影のまま滞空している。まるで月明かりに縫い付けられた影絵だ。
ライルは剣を構えたまま足を踏み出した。
「ベルクトさんの無念、ここで晴らす!」
「感情のまま突っこむな、灰の剣士!」
ゼクスの声が十数羽の鴉の喉から同時に発せられ、森が不気味に反響する。
コリンは丸盾を突き出しつつ、焦げた鍋蓋サイズの金属音で士気を高めた。
「まずは距離を詰めてブッ叩く! プラン鍋蓋ワンで行くぞ!」
「誰が考案したんだそのプラン!?」
「今!」
叫ぶや否や、黒羽根が散弾のように飛来。ライルが横薙ぎに走らせた剣は、羽根の雨をわずかに逸らしたが弾ききれない。
カツン、カツン! 金属音を響かせ丸盾が砕け散り、コリンが尻もちをついた。
「大丈夫か!」
「ギリセーフ! 鍋蓋よりは持った!」
コリンの肩口から血が滲むのを見て、ライルの喉が焼けつく。
その瞬間、耳奥で“残響”が弾けた。木々のざわめき、羽ばたき、そしてゼクスの声──すべてが重なり、ひとつの拍子を刻み始める。
(聞こえる……!)
ライルは剣を胸元まで引き、鼓動に合わせて刃を震わせた。共振の波が空気を震わし、羽根の軌跡が淡い光線のように可視化される。
「セレスティア、射線を合わせる!」
「了解!」
半精霊は矢筒から一本の白銀矢を抜き放つ。矢の尾羽は風精霊がまとい、青白い光を帯びた。
「〈レイ・アルヴェン〉──行くわよ!」
羽根弾幕の隙間、共振が開けた一拍を狙ってライルが踏み込み、剣を縦一文字に振り下ろす。空気が裂け、黒羽根の一部が霧散。そこへセレスティアの矢が滑り込む。
光の軌跡が影を貫き、ゼクスの仮面に走る赤い眼孔がわずかに揺らいだ。
『ほう──精霊弓と共鳴剣。面白い玩具を手にしたな』
声は平静だが、鴉の羽数が目に見えて減っている。
「今だ、畳みかける!」
ライルが二撃目に移ろうとした瞬間、地面が黒く滲んだ。影が液体のように広がり、数本の槍状触手が跳ね上がる。
ズバッ!
一本がセレスティアのマントを裂き、もう一本がライルの脇腹をかすめた。鉄臭い痛みとともに視界が白む。
コリンが転がりながらライルを引き倒し、残った盾で影槍を受け流す。
「ライル! まだ動けるか!?」
「問題……ない!」
息が荒く、脚が震える。それでも剣を離さない。
ゼクスは羽根を再集合させ、仮面の笑みを深める。
『反射は悪くないが、所詮は“分体”相手に手こずる程度か──では試験はここまで』
影の全てが樹上へ吸い込まれると、仮面も霧散。突然の静寂。
去り際に落ちた鴉羽根が一枚、銀色に変じて地へ刺さった。
セレスティアが血だまりに足を取られつつ拾い上げる。
「……ディオス=ギアの素材片。ゼクスは“試した”だけみたいね」
「試したって、こっちは全力だったんだぞ!」
コリンが怒鳴るが、その声も震えていた。
夜。森の小さな洞窟をねぐらに、ライルは火を囲んで腹巻きに包帯を巻きながら呻いた。
「痛い。けど生きてる……」
「ポジティブに行こうぜ。影槍一本で済んだんだから」
コリンは火口鍋で野草スープを煮ている。盾は真っ二つに折れ、鍋を代役に転職させる気らしい。
セレスティアがライルの傷に手を当て、緑金の光が滲んだ。魔力が脈打ち、キリキリした痛みがぬるく引いていく。
「深い傷じゃない。でも瘴気が混じってるから長旅には気をつけて」
「ありがとう……セレスティア」
ふと、彼女が黒羽根の金属片を火にかざす。
「ディオス=ギア……神代兵器の欠片。これだけで、あの影を媒体にできる。ゼクスは“完全型”を集めてる」
「完全型?」
「七つの断層に残る“本体核”を接続すれば、世界を再統合できるほどのエネルギーになるって文献がある。──だけどディオス=ギアが動けば、深淵種アビスの封印が……」
言い淀むセレスティアに、ライルは頷いた。
「つまり統合は諸刃の剣。ゼクスは世界を救うか滅ぼすか、どちらかを選ぶ気もない」
「おそらく“再統合で混乱させたあと、アビスを操る”筋書きでしょうね」
ロジックとリスクが飛び交う中、コリンがスープを掻き回しつつ首を傾げる。
「難しい話はさておき、要するに“断層の核を追ってる悪党がいる”ってことでOK?」
「極めてざっくりだが核心だ」
ライルは笑い、鍋(元盾)からスープを啜った。熱い汁が喉を滑り、張りつめていた筋肉が少しだけ緩む。
ふと、森の外れで風鳴りがした。ライルが耳を澄ますと、弱い残響──どこか遠くで太鼓のような魔力脈動が再び刻まれている。
あれは障壁じゃない。自然の鼓動でもない。
「セレスティア、今の聞こえる?」
「……ええ。北西方向。断層に沿った位置ね」
「ゼクスか、それとも……」
「どちらにしても放っておけない。今夜は休んで、夜明けと同時に追跡しましょう」
セレスティアはそう言いながら、ライルの包帯を結び直した。彼女の指先は少し冷たいのに、触れられると胸に灯が灯る。
コリンが唇を尖らせて茶化す。
「お熱いこって。おれは鍋ごと熱いぜ」
「黙って飲め。そして寝ろ」
「はーい」
火の粉がぱちりと弾けて、洞窟の天井に揺らめく。
傷と不安は尽きないが、失われたものの重さを背負ったままでも、今は“進む”選択しかない。
ライルは剣を枕元に置き、空を覆う岩の隙間から星を見た。
七つの断層を示す星図、その中央の空白──第八座標にきっと夜明けはある。
次に目を開けたとき、灰の騎士の剣と精霊弓は、再び共鳴するだろう。
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