第2話 そもそもの始まり



王立学園での寮は二人部屋で、寝台は二段ベッドだ。下段部分がサージュで、上段部分に自分の主人が眠っている。


サージュの一日は主人より早く目を覚まし、気配を消して、主人の安眠を妨げないよう物音を立てずに、身嗜みを整えるところから始まる。


サージュは美しいのだから、いつだって綺麗にしていなさい。とは主人の言葉で、忠実にサージュはその言葉を守るため、髪を梳かし、肌に手入れを施す。

それから王立学園の制服である白いシャツに特徴的な紺色の上着、その上着と同色のスカートと靴下を身につけ、緑色の腕章の位置を正す。


そして姿見で自分を観察し、皺一つなく制服を着こなしていることを確認したところで、満足気に頷いたサージュは何となく、この学園に通うことになった経緯に思いを馳せた。


通学が始まってはや一ヶ月が経過したものの、未だにどうしてこうなったのだろう…と胡乱な気持ちを抱くサージュは、その思いのままベッドの上段を見やるが、それに気づく気配はまだない。




そもそもの始まりは…去年の終わり頃のことだ。




「お父様から許可をいただいたの。来年から王立学園の高等部に通うのだけれど、サージュも付いてきてくれるかしら」


突然そう言われて、サージュは今がいつだったか考える。


今は年の暮れ。

受験は年明けすぐ。

ひと月どころか半月も準備期間はない。

王立学園は優秀な生徒が通う難関だ。


そこへ、もうすでに入学が決まっている口ぶりというのはどうした事か。


「……リュミエール様、入学試験はどうされるのですか。陛下がお口添えを?」


「まさか、そんな事するわけないでしょう。普通に受験するわよ。サージュったら、もしかして受かる自信がないの?」


王立学園へ入学を果たすため、日夜、勉学に励む生徒たちに頭を下げて回りたくなるような不遜な言葉だが、確かに自分たちが落第することはないだろうとサージュは首を振った。


何せリュミエールは、このエルドラド王国の第一王女。幼少の頃から国一番の教育を受けてきたのだ。


そしてサージュも。幼い頃からリュミエールのお気に入りだったため、リュミエールの遊び相手はもちろん。勉強やマナー、ダンスの練習にも連れ回され、リュミエールが受ける教育は全て一緒に受講していた。


サージュは後ろ盾のある身分の人間ではないが、その背景など関係なく、何をするにもサージュを側に置きたがったリュミエールに意を唱える者などいなかった。サージュが侍女としての作法を学び、護衛として腕を磨くようになるまでは、いや、そうなっても可能な限り同じ時間を過ごしてきた。


かくしてサージュは淑女としての教養と、侍女としての作法、護衛としての技術を併せ持つ超絶人間となり、今更、国内随一の難関校に受験すると言われても臆することはない。


しかしそれも、ただ受験し、合格を目的とするならばだ。


王女殿下が、一般生徒に混ざって通学する?……無理では。


あまり現実を受け入れたくなくて思考を止めたサージュの耳に、続いて聞こえた言葉がさらに戸惑いを生み出させる。


曰く。「もちろん寮生活よ」と。一体どこの国に、王族が寮生活で勉学に励むような現象が起こるというのか。

さらに「大丈夫よ、身分は隠して生活するわ」と言われても、何も大丈夫な気がしない。


リュミエールはとても目立つ。

光を閉じ込めたような金色の髪も、空より蒼い瞳も。きめ細やかな白い肌、均整の取れた体格、王族特有の隠しきれない威厳ある空気感。


それに加えて、未成年であることから公の場に姿を現す機会は少ないとはいえ、孤児院の慰問や、街の視察に同行することはある。つまり顔が割れているのだ。


どうやって身分を隠すつもりなのか、と思っていたら顔に出ていたのだろう。リュミエールは悪戯好きな満面な笑顔を見せてきた。


ああ、面倒なことになる。


そう察したサージュは、つい遠くを見てしまった。そしてまた視線をリュミエールに戻した時には、目の前には先ほどの王女然とした姿とは似ても似つかない人物になっていた。


くすんだ砂色の髪、どんよりと覇気のない曇天の瞳。手入れをしていない肌、猫背に丸まる背中。どう見ても同一人物には思えなかったが、浮かべる笑顔はリュミエールだった。


『エリュ』の力を使って姿を変えたのだとすぐに理解をしたサージュは、特に驚くことはなかった。こんな現象はリュミエールといれば日常茶飯事だったからだ。


ただ一言、力の無駄遣いだとサージュが言ったらリュミエールは声をあげて笑っていたが。淑女として完全に失格な態度に、サージュは頭が痛くなる思いだった。


そもそもリュミエールのお父様、つまり国王陛下が許可を出したというならこれは決定事項の案件だ。自分が口を挟む余地などないことはよくよくわかっている。


それでも、目の前の王女殿下が学園に通うなんて言いしれない不安が次から次へと湧いてきて止まらない。軋む胸を押さえながら、務めて冷静になるよう心がけつつ、サージュはこの件に対する発言の許可を求めた。


「リュミエール様。この案件に関して、どうか私が意見を述べることをお許しください」


「ええ、許可するわ」


こちらの気など知らないリュミエールが鷹揚に頷くのを、何とかため息を吐かずに受けとめる。


「……ご機嫌なようですが」


「あら、わかる?」


「私は不安でいっぱいです」


「ふふっ」


「考え直しませんか?」


「……ふー」


「出来もしない口笛を吹くような真似はおやめください。はしたないです。王女様のマナーは完璧です!と褒め称えていた家庭教師が泣いてしまいますよ」


「……サージュは堅いのよねぇ」


「真面目な話をしたいと思っておりますので。ご理解いただけますと幸いです」


「はいはい」


「はいは一回だと家庭教師が」


「はーい」


途中、というか話し始めから話の腰を折られ続けたが、めげずに想定される不安要素を並べ立て、リュミエールの悪戯な笑顔の牙城を切り崩しに掛かる。


「同年代の方との集団行動など初めてでしょう?気疲れしますよ」


「これからの世代を担う優秀な人材を自分の目で見て確かめる、というのは王族として大切なことだと思うの」


もっともらしいことを返されるが、まだサージュの不安は尽きない。


「この部屋の十分の一もないような狭い部屋で、二人で生活するのですよ」


「秘密基地みたいで素敵ね」


サージュの中で秘密基地とは、子ども時代に林の中に作った小さく粗末なものだったが……リュミエールはどういうものを想像しているのだろう。


「食事がお口に合わないかもしれません」


「あのね、サージュ。王立学園の食事は、この王城のシェフの息子さんが作っているのよ。安心して」


それは知らなかった。この王城の食事はとても美味しいと、近隣諸国の来賓の方々にも好評だ。そのご子息が手がけているというならそれは楽しみ……いや、違う。そうじゃない。サージュは己を必死に立て直した。


「いつもお使いのベッドのようなふかふかなものではありませんよ。二段ベッドというものをご存知ですか?」


「机に向かったまま寝てしまったりするから、その辺りは大丈夫だと思うのよね」


正真正銘、生まれも育ちも高貴な方なのにどうして。そこは逞しくなってしまったのか。


「授業が退屈だと思います」


「今一度学び直すというのも、新しい発見があるかも知れないわ」


またそれらしいことを返されるが、新しい発見など全くないとは言い切れずとも、日頃のリュミエールの努力を考えると、そうそうあることでもないだろう。傍若無人な振る舞いが目立つリュミエールだが、実のところ、とても実直な努力家なのである。


そしてその成果を確かに納めてきた。


王国のため、民のため。

第一王女として。

光の子『エリュ』として。


頑張り続けている人である。


「それがなぜ今になって…」


学園生活に密かに憧れを抱いていたのだろうか。王立学園には初等部も中等部もあるが、その適正年齢の頃には通いたいと言わなかったのに。

ずっと側にいて、そんな素振りは見えなかった。見落としていたのだろうか。サージュは思案顔でリュミエールを見つめる。


「あら、何か難しいことを考えていない?違うわよ。これを見て」


「なんです?これは」


サージュの深刻な雰囲気などどこ吹く風とばかりに、得意気なリュミエールの手には先ほどまでなかった本が握られている。

見たところ大衆小説のようだが、これは。


「……へっぽこ探偵シリーズ⑦『学園寮に潜む七不思議を解き明かす!!』……まさか」


一見、幼児書に思えるシリーズ名のこの本。中を開いてみればびっしりと細かい活字が書き込まれ、挿絵は一切ない上に大変ページ数も多い、読書家からも手強い相手として知られる品である。


「ね」


「……ね。とは?」


嫌な予感がして顔を顰めるサージュに対して、リュミエールは覇気のない曇天の瞳に真摯な光を宿し始めた。それは何とも楽しげな輝きだ。


「察しました。という顔をしてるわよ。さすがね、サージュ」


この小説は最近リュミエールが好んで読んでいるものだ。内容は確か、とある学園に在籍している学生が探偵となって、その学園で次々と起こる事件を迷推理で撹乱し、未解決事件を続々と作り出していく、という何とも珍妙なものだった。


これは面白いのですか?と聞いたら、探偵ものと思わなければ、との返答を賜り、全く不毛な会話をしたものだと後悔したのだ。ちなみにサージュは読み始めて三行にいかないうちに眠くなってしまう。全く手強い相手である。


その小説の題名を見て、察したくないが察してしまった。


「…リュミエール様、王立学園の学生寮に七不思議なんてありませんよ」


「ふふっ、そんなの分からないじゃない?」


きらきらと光を弾く瞳が眩しい。が、ここは釘を刺しておかなくてはいけない。


「あわよくば、という期待くらい良いでしょう?」


「期待した分、叶わなかった時にがっかりするのはリュミエール様なのですよ」


侍女として護衛として、側に使えるようになって、幼い頃の関係性とは一線を画すようになった。


それでも時折、こうして一介の使用人には決して許されない気やすさが顔を出してしまう。サージュは気をつけているのだが、リュミエールは気にした様子もなく、寧ろ嬉しそうにしているので複雑な心境だ。


しかし現実的な話として。リュミエールが学園に通うとなれば、徹底的な安全確認が行われるはずだ。もし仮にも、万が一にも、不可思議な現象が起こったとして。即刻排除されて事なきを得るに決まっている。


そうした事態を想像できないはずもないだろうに、あわよくばとは。諦めが悪いと言うか、強靭な精神と言うか。


「サージュは夢がないわねぇ」


「申し訳ありません。現実を見るのに忙しいのです」


精一杯の皮肉も全く響いた様子がない。一国の王女が寮生活で学園に行きたがっているこの現実こそ夢であれ、と願うばかりだ。


「…あのね、この小説ね。探偵の描写より学園生活の描写が巧みなのよ。まるで目に浮かぶような生き生きとした表現と、学生でいられる有限な時間の儚さがよく書かれているの」


サージュの頑なな態度に思うところがあったのか。急に今までの勢いが鳴りをひそめ、差し出すように静かに語られる雰囲気に、サージュも幾分か頭ごなしだったことに気がついた。


冷静であるつもりだったが、そうではなかったようだ。


先ほどまでの自分を素直に反省し、サージュも小説の内容に乗ろうとしたけれど、中身に全く興味を惹かれず、あらすじだけ把握して終わっていた事実を思い出す。なのでせめてと、抱いていた素朴な疑問を口にすることにした。


「……どうしてこの作家の方は、探偵ものという分野で書いていらっしゃるのですか」


「さぁ、それは私にも分からないけれど」


捻り出したサージュの疑問は、至極当然な返答の前に散っていった。


「この作家さんはきっと学生時代に素敵な体験をしたのでしょう。そう伝わる表現が沢山あって、それがとても羨ましかったの。だからお父様にお願いしてしまったのよ」


目を細めてふわりと微笑む姿は、とても純粋で、このリュミエールの表情にサージュは昔から弱かった。


「……」


決して陛下が許可されたことが覆ると持っていたわけではない。それでも思い留めたい理由がサージュにもあったのだが、この笑みの前には敵わない。


目を閉じて天井を仰ぐサージュの姿を見て、リュミエールはサージュが折れたことを悟ったのだろう。

にっこりと、純粋な微笑みはまたしても悪戯な笑顔に塗り替わり。そして、そんなサージュに、こんな言葉を放ったのだ。


「私とあなたが王立学園の高等部に来年から通うことは決定事項よ。試験には必ず受かってちょうだい」


御意。以外の返答があったなら、どうか教えてほしいと、この時のサージュは切実に思っていた。






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されどそれは、特別な王女の日常 ぺんぎん。 @dora10

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