第2話 「友」

二十年前


あれは、風が心地いい春の日のことだった。

施設での生活にも慣れてきたころだ。


僕には両親がいない、二人とも焼死している。

家が火事になったとき、母さんは、当時生後三か月だった僕を、タオルを何枚も重ねてぐるぐる巻きにして外に放り投げた。おかげで僕だけは助かった。

人と話すのが少し苦手だった僕は、みんなに混ざって施設の中で遊ぶことが楽しいことだとは思えなかった。だから外に出て、散歩でもしようと思ったんだ。

そうして芝生の上を少し歩いたとき、一人の少年を見かけた。

大樹の根のもとで寝そべって昼寝をしている少年を。


「よお」

「うわ、びっくりした」

僕が話しかけると少年は目を覚ました。


これが僕と司との出会い。


「いつもここで寝てるのか?」

「うん・・・・なんだか心地よくてね、すぐ眠ってしまう」


司は青空を見つめ、澄んだ顔をして言った。

「私のお気に入りの場所なんだ、君も横になってみなよ」

僕は司の隣で、司と同じく、頭の後ろで手を組んで、足を広げて寝そべってみた。


「・・・・いいな」

「でしょう」


司は微笑みを浮かべながら、また目をつむる。そこは、全てを忘れられるような場所だった。清々しい空気と景色、聞こえるのはさえずりと、施設の子どもたちの楽しそうな声。感じるもの全てが綺麗だったんだ。そこでふと気になった。


「・・・・なあ、なんでここにいるんだ?」


聞かなくてもいいことなのは分かっている、ただ、その澄んだ顔の奥にどんな理由があるのかを知りたかった。

「それ、気になる?・・・・私の親は、私が一歳にならないうちに事故に遭って天国に行っちゃったの。私もそのときの衝動で外に放り投げられたけど、落ちた場所が芝生の上で運良く命だけは助かったんだ」

嫌われてもいいと思って聞いたけど、司はゆっくり丁寧に話してくれた。そしてその話を聞いて、自分と過去が似ていることに気が付いた。両親を目の前で亡くし、自分だけ生き残る。司も同じ。


そりゃあ、今さら悲しいとかは思わないけど、たまに安心感を求めるときがあるんだ。そんなときに司と話していると、なんだか柔らかい空気に包まれて安心できる。同い年だったのに司は僕よりも大人っぽくて優しかったから。


「この怪我、事故のときの?痛いの?」

司の左目の辺りから首元にかけて抉られたような跡があったんだ。

「そうだよ。今はもう痛みは無いんだ」

司は僕からのどんな質問にも答えてくれた。


「周りから見たら少し気味悪い傷跡かもね。でも私からしたら、愛おしいまであるんだよ、この傷は消えないでほしいと思っている。見るたびに事故の記憶が昨日のことのように蘇ってくるんだ。苦しいけど嬉しくて、私にも親がいたんだって思える」


司は全てを受け止めているようだった。

今思えば、司の口から愚痴や文句を聞いたことがあったっけ。目に見える全てを肯定し受け止め、包容する。そんな人だった。

でも、十二になったとき、僕と司は離れ離れになってしまったんだ。


「もう行くの?いつ会えるの?」

「行かなきゃ。分からない、また会えるかな」


司の里親が見つかって、司は施設からいなくなった。

それから僕は一人になった。いいや、僕の周りにいつも人はいたけれど、心はずっと寂しかったんだ。でも、時間は止まってはくれないのだから、僕は踏ん張るしかない。

どうせなら、次会うときは立派な姿で、僕にとっての、たった一人の友に会いたいな。


現在


午後の会議を終え、僕は上司からの食事の誘いを断って家に帰る。今まで、教団に対して幾度もの改善命令を出しても一向に現状は変わらないんだ。一般人への被害が拡大した今、教団の拠点であるとされる廃アパートの強制捜査は、明日の午前中に行われるらしい。

議員がする仕事じゃないから、首は突っ込めないけれど。


「!」


夜道、突然僕の背後に人の気配。


「振り向いたら殺す」


冷たく低い声が、すぐ後ろで聞こえる。


わたしは知っている、男を一人遣わせているだろう」


ひとつの動きが死に直結する、全身でそう感じた。音もなく現れたその影に対して、僕は声を出せる度胸も、身動きをとれる度胸も持ち合わせていない。


「貴様やあのネズミのような政府の人間は敵だ。正直すぐにでも殺してしまいたい、だがあの方がやめろと仰っている」


そして男は続ける。

「下手な動きをしたら貴様もネズミも殺す。我らが望む未来を邪魔するな」


そう言い残して、足音とともに男はその場から消えた。話しぶりから察するに、副教祖である可能性が高い。だとしたら、あの方とは教祖のことだ。いや、それもそうだが、いおりの存在がバレているのか。解散命令を出すなら、やはり強制捜査が終わってすぐの方が良いな。

いおりを狙う隙をつくらせないために。


同時刻


金と紫が映える場所、教祖が信者に語りかける場所、それは説法の間。

現実だとは思えない、その輝きと儚さに、汚れた心は浄化される。

そんな神聖な場に、男が一人、女が一人。


「ねえ、教祖様、」


男の名は東雲 司、女の名はミア。

東雲は目を閉じて、夢の中にいるところ。


「わたしは、貴方の脳天から足の爪先の全てに尽くします」


人は飢え、乞う。その証明がミア。


「この身も心も、あの日から全部教祖様のもの」


東雲の隣にくっつき、東雲の手を持って、自分に近づけて、その手でミア自身の顔を覆うようにする。


「その尊い傷跡はお顔にだけじゃないことも、わたしは知っている」


そのとき、東雲が目を覚ました。


「・・・・何だ」

「・・・・いえ」


東雲の傷は、左目の辺りから首元にかけてだけには収まらない。

左目の辺りから腰にかけて広がっている、火傷跡のように。

「・・・・少し寂しくなりました。教祖様でさえも、私を裏切ってしまうのではないかと」

ミアは東雲の手に自分の頬をこすりつける。

それはまるで、その手に縋りつくような様子だった。


「・・・・おいで、ミア」


東雲は柔らかく澄んだ表情で、ミアを自分の腕の中へ寄せた。



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