そもそも人は何故死んでしまうのか。

 さて、前回、私は『人は死ぬために生きている』といったが、まずここに一つ、不可解な事実がある。その事実とは『ほとんどの生物はいずれ生命活動を終えてしまう』ということ。当たり前のことのように聞こえるが、これは実に不思議なことなのである。

 全ての生きとし生けるものは、何百何千年とかけて、環境に適応するためのを遂げてきた。あるものは翼を得、またある物は体を覆う分厚い毛皮やふかふかな体毛を作ってきた。我々人間の得たものと言えば優れた知能や二足歩行するための足、火や木材などを自由自在に扱うための2本の腕、10本の指。人類が食物連鎖のトップに立つことができたのは、この器用な四肢にあるといっていい。かつては枝上でしか満足に生きられなかった猿が、たった数千年年如きで枝上から宇宙へ飛び出したのだから、実に面白い話である。

 ところで、私はさっき進化とは『環境に適応するもの』と言った。ではなぜ本来、来て欲しいものでもない『死』、或いは『生命活動の収束』については、克服することができなかったのか? 全ての生き物はいずれ、その人生に終止符を打つ日が訪れる。それは他の種族による捕食や、老衰など……理由は多様であるが、いずれにしてもその日は必ずやってくる。


 私が思うに、生きとし生けるものにとって、『死』とは必要不可欠なものだったのである。生物が生きていく上で食事や睡眠が必要になるのと同じように、『が生きていくためには、いつかは死ぬ必要がある』のである。

 もし私が神論者であったなら『地球が人間で一杯にならないように、死という概念を神様が作ったのだ』、なんて、何の根拠もない暴論を語り出したであろう。あいにく、私は無神論者であるため、根拠と筋の通ったまともな説を考える必要がある。


 それでは早速次の話で、その『根拠』と『筋の通ったまともな説』について、考えていこう。

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『死』とは何か。 憂さ晴らし症候群 @Uta_T

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