『死』とは何か。

憂さ晴らし症候群

人はなぜ生きるのか。

 私の産んできた小説達は、まさに十人十色、と言った感じだ。

 似通ったような物語の進み方をするものもいくつかあるが、それでもそれぞれのストーリー、登場人物、背景設定などは、全くと言っていいほど異なっている。

 しかし、いくつもの小説たちの中にも、一つだけ、共通しているものがある。私の小説をある程度読み通してくれた読者なら、共感していただけるかもしれない。


 その共通しているものとは、『それぞれ死について考えさせられるようなストーリー構成になっている』ということだ。

 と言っても、私が書いている小説の中にはそんなストーリーには未だなっていないものもある。しょうがないであろう、私は現在、おおよそ5つほどの小説を同時進行という形で書き続けている。書く順番は気分によって異なるが。

 



 私が望んでいるのは、『小説を通して読者の皆さんに対して「生きていく理由」とは何か。「死ぬために生きること」とはどういう意味なのか』を考えてほしいということ。

 死ぬために生きるというのは何とも矛盾した話だが、実のところ、人が生きる本当の意味は、人生の最高到達点である『死』に存在していると、私は考えている。


 では、なぜ私がそこまで死に執着しているのか。

 それを語るのは、次のエピソードで。


 ちなみにこの評論文は、たまに書きたくなったら書こうと言った感じで、投稿頻度の低いものになる予定なので、どうぞご理解いただきたい。

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