ケル・ファンジの奇妙な祭礼

庚乃アラヤ(コウノアラヤ)

本編

 宗教は、その土地の環境に要請されて形作られる。

 そう教えたのが誰だったか。それは思い出せない。

 だが私はこの地に来て、その言葉が真実であったという一点だけは確信している。

 宗教には、土の匂いがある。

 信仰とは、大地とヒトを結節する根のようなものだ。


 私が総裁閣下に進言したいことは唯一つ。すべての機構職員に対して、ケル・ファンジ教団への関与を今後一切禁ずるべきということだ。

 土着神は、その土地に呪縛されているからこそ土着神なのである。その戒めを解き、土地から切り離す行為は、それが持つ危険性を無際限に拡散する行為に他ならない。


 私は、本プロジェクトの凍結をここに強く提言する。

 アレを本国に移送しようというのは、まったく愚かな試みだ。

 いくつか有益な研究成果を当局にもたらすことがあるかも知れないが、アレは長期的には我々、神秘存在休眠監視機構M.E.Q.――ひいては我が国にとって害悪にしかならないだろう。この手記が、私の遺骸とともに本国へ移送されることを切に願う。

〈機構職員 洞島山麓による手記:報告書雑記 終章より抜粋〉


     ◆◇◆


〈報告書雑記 003-甲 現地時間:2032-06-13T14:30〉

 アルジェリア、グランド・エルグ・オクシデンタル。

 サハラ砂漠北西部に位置するこの砂漠地帯に踏み入るまで、三日間も掛かってしまった。成田からウアリ・ブーメディアン空港までドーハ経由で一日半。そこから陸路で、また一日ちょっとだ。機構が用意してくれたビジネスクラスの座席は、フルフラット仕様でだいぶ負担が小さかったが、後の車移動で体力は大きく削られた。


 現地駐在員が用意したVWトゥアレグは、砂漠地帯用のチューニングが不十分だったのか、はたまた運転手の腕がイマイチだったのか、なんにしても頻繁に立ち往生スタックした。


 炎天下の中、我々は車外に繰り出して砂を掘り、また掘り、フロアマットをタイヤに噛ませて何度もトゥアレグを救出した。車中がどれだけ涼しかろうと、これだけ繰り返し外に出ていては意味もない。


「トゥアレグの名折れですな」


 ハンドルを握るジャミル・ムフタールが、流暢な英語で話しかけてくる。

 どういう意味かと私が訊ねると、助手席の宍戸研究員が代わりに答えた。


「トゥアレグっていうのはアレだ。このサハラ砂漠に住む遊牧民から取った名前だ」

「なるほど」

「ちなみに、トゥアレグは『神に見捨てられた者』って意味だ」

「……縁起でもない」

「本人たちは、ケル・タマシェクを自称しているらしい。“タマシェク語を話す人々”って意味だ。まんまだろう?」


 宍戸が披露する一行知識トリビアに半笑いで応じながら、私は水筒の中身を口に流し込む。この男の観光ガイド然としたお喋りが、摩耗した私の精神をさらにささくれ立たせていた。我々は、ドバイから来る浮かれた観光客とは違う。我々は調査員だ。


 我々の目的は、“フェティッシュ”にある。

 フェティッシュ。言うまでもなくそれは性的嗜好フェティシズムの話ではなくて、原義が意味するところの霊物崇拝とか怪物崇拝といった“神秘存在”関連の事象を指す。


 機構が私に依頼した任務は二つ。


 一、この地を拠点とする宗教団体”ケル・ファンジ教団”の戦力調査。

 二、同教団特有の儀式礼拝 “アル=バアスの儀”の実態調査。


 私がこれを言って聞かせると、宍戸は頭を振った。


「三つあるぞ、洞島クン」

「なんだって?」


 説明が遅れたが、今回の調査派遣で私は“洞島どうじま山麓さんろく”名義の偽造パスポートで入国をしている。偽造と言っても、日本国政府公認の偽造書類なので本国に照会されて強制送還に遭うということはない。洞島という実体のない個人が今の私の正体ということになっている。そういうわけで、宍戸もジャミルも私のことを洞島という偽名で呼んだ。


「“イマン=フルルド”。つまりは、教団の連中が信仰している御神体の調査、ならびに回収・休眠化も本プロジェクトの目標だ」

「休眠化って……目標の在り処は分かっているのか? 大きさは? 構造は?」

「一切不明だ。この砂漠には神殿もない。そもそも公には無人地帯とされているぐらいだしな。探すにはまず、この砂漠のどこかにいる連中のキャラバンを見付けなくっちゃな」

「それで、手掛かりは?」

「五日前の夜まで、偵察衛星が教団の移動キャンプを捉えていた。だが四日前の朝、連中はこのサハラから忽然と姿を消した。いま俺たちは連中が辿った足跡をなぞっているというわけだ」


 この車両ポンコツの計器が正しければそういうことになりますな、とジャミルが付け足す。宍戸は大ウケしていたが、私には笑えない冗談だった。一応、車載のナビゲーションシステムは我々が辿った経路と教団のそれを並列表記していて、この追跡行が正しく行われていることを示している。


 この任務に失敗は許されない。もしも、どこぞの危険勢力が我々より先に神秘存在フェティッシュと接触したならば、事態の収拾はより困難を極める。


「呑気なことを言っている場合じゃない。教団の足取りがつかめないっていうのは、どういうことだ? ここには遮蔽物なんか何もないだろう?」

「さあな。もしかしたら、穴でも掘って隠れているんじゃないか。なにせ、ケル・ファンジっていうのは“穴を掘る人々”って意味らしいし。なあ、ジャミル?」


 宍戸の投げやりな発言に、ジャミルが無言で頷く。

 どうやら、またハンドルの手ごたえに不安を感じ始めたらしい。

 もうジェットコースターはごめんだ。


     ◆◇◆


〈報告書雑記 003-乙 現地時間:2032-06-13T16:00〉

 最初の異常は、砂に現れた。


 風に運ばれて、大小さまざまな波形を描き出すはずの砂丘が不意に凪いだのだ。さっきまで我々の車両を大いに弄んでいた三日月形砂丘はどこへやら、トンボ掛けでもされたみたいに綺麗に平準化された砂地が広がっている。


 明らかな異常現象フェティッシュだ。


「風速は五から七メートル毎秒。ガイド本によれば、これくらいなら美しい風紋が拝めるって話なんだが……虚無だな、こりゃ。枯山水より地味だぜ」


 能天気な宍戸も、気味悪そうに顔をしかめていた。

 VWトゥアレグは、順調に教団キャンプが蒸発した地点に接近している。ハンドルを取られることもタイヤが空回りすることもなくなって、ドライブは快適そのものだったが、得体の知れない化物に誘い込まれているような嫌な感覚を覚える。


「洞島さん。一応コレ、持っててください」


 そう言って、ジャミルが寄越したのはベレッタM9だった。

 この手の米軍制式装備は、20年代に米軍がアフガニスタンから撤退したのを契機に周辺諸国へ拡散したもので、裏の市場では高軌道多用途装輪車両ハンヴィーや戦闘ヘリまでもが売りに出されているとかいないとか。


 まあ、何にしても空路でやってきた私が、機構お手製の兵器を携行していないのは明らかで、教団カルトとの衝突を見込んだジャミルがこういった気遣いをするのもある意味納得なのだが、こと私に関しては無用なサービスである。


「折角ですが遠慮しておきますよ、ジャミルさん」


私は彼に笑い掛けて、なるべく何でもないような口調で言った。


「私も” 神秘存在フェティッシュ”なので」


     ◆◇◆


〈報告書雑記 003-丙 現地時間:2032-06-13T16:50〉

 私が極東くんだりから、この北アフリカに派遣されたのは一にも二にも環境適性が抜群だったためだ。機構は、私よりも強力なフェティッシュを多く抱えている。私よりも応用が利くフェティッシュも同様だ。


 だが、こと砂砂漠エルグにおいては私の右に出る者はない。

 私は、砂礫を意のままに操ることができる。


 機構の東京支部にいるときは、公園の砂場くらいでしか活躍できない異能だが、砂漠地帯や海辺では強力無比な力になる。目標物が埋もれていたとしても、重機なしでの発掘が可能だ。砂吹き機サンドブラスターの要領で、大抵の物質は抉ることができる。


「車がスタックした時も役に立ってくれよ」


 私が自分の局地戦力ぶりについて説明すると、さっそく宍戸がぶー垂れ始めた。


「外で汗かいたのがアホらしいじゃないか」

神秘存在フェティッシュを隠ぺいするのが機構の責務だ。誰に見られるかも分からない状況では使えない。それに、平時の私は薬剤によって能力を休眠化させられている。活性用のアンプルはあるが、数が心もとない」

「役に立たねえなあ」


 まあまあとジャミルが宥め、それとなく話を繋げる。


「黄砂とかPM2.5とかあるじゃないですか。アレも操れるんですかい?」

「私が制御できるのは、1ミリから6ミリ程度の砂粒だけだ。黄砂やPM2.5のようなマイクロメートルサイズのものは知覚できないし、制御もできない。お陰で春先は酷い鼻炎に見舞われるよ」

「役に立たねえなあ……」


 しみじみと宍戸が言うので、少し泣きたくなった。

 帰国したら、ハラスメント相談室に行ってやる。

 私だって、もっと分かりやすく強力な才能が欲しかった。でも、強力な異常性フェティッシュというものは、概して機構の収容施設に封じ込められているか、誰にも知られずに放置されているかのいずれかで、そのどちらも私には願い下げだった。


     ◆◇◆


〈報告書雑記 003-丁 現地時間:2032-06-13T19:30〉

 なかなか時間が取れず、報告書を書くのが遅くなってしまった。

 一応、他の媒体でも記録の類は残しているので恐らく心配はないと思うが、音声や映像というやつは筆記録に比べて改竄が容易だ。その手の小細工が得意なフェティッシュも少なからずいるわけであるし、極力この手帳に控えておくのが望ましいだろう。


 まあ、そんなことは良い。我々は、ついに教団が辿った最終座標に行き着いた。

 辺りの砂は相変わらず凪いでいて、私が備えている特性の都合上、それは肌身に感じるほどの無気味さを放っていたが、目の前の異様な光景に比べれば些事だった。


 詳しくは撮影した写真を参照してほしいのだが、まあとにかく、大小様々な縦穴が砂地に穿たれていた。教団の集団失踪が五日前なので、少なくともそれ以前に掘られたものと推測されるが、穴は砂礫に埋まることもなくそこに有り続けた。覆いも支柱もなしに、砂漠に掘られた穴が残り続けているのはとても奇妙なことだ。


 加えて、この穴の中身だ。


 掘られた穴には地上からロープが垂らされていて、その先には果物や魚、正体不明の肉塊などが括り付けられている。ジャミルいわく、これはケル・ファンジ教団特有の供犠くぎ――つまりは神への捧げものということらしい。資源に乏しいグランド・エルグ・オクシデンタルの砂漠では、ロープで食物を吊るすこともせず、穴だけを掘って神に捧げる例もあるという。彼等が穴を掘る人々ケル・ファンジと呼ばれるのはこれが由縁だ。


「にしても、美味そうだよなあ」


 と、宍戸が穴の中身に熱い視線を注いでいたので、私はすぐに釘を刺した。


「食べるんじゃないぞ。あれもサンプルとして押収する」

「いや、食い意地で言っているんじゃなくってさ。五日もほったらかされていたにしては、傷みも乾きもしなかったんだなあと思ってな」

「……確かに」


 言われてみれば、そのとおりだ。軽薄なヤツだと思っていたが、これでちゃんと機構職員なのだなと密かに感心した。私がジャミルに視線を送ると、彼は頷いて、


「教団の連中は、大地に眠る御神体――イマン・フルルドに縦穴を介して供物を捧げ、神威によって清められた供物を食すことで、己もまた神に近づくのだと信じています。これが“アル=バアスの儀”と呼ばれる儀式ですな」

「清められた供物、ねえ。実物を見ると、観念的な話って言うよりもだいぶ物質的な印象だな。虫も寄り付いてないぜ、あの食い物」

「それで言うと、神体の扱いもそうだ。他の文化圏でも氏神だの地霊だのっていう観念はあるが、土地神が足下に埋まっているなんていう神話体系は耳にしたことがない。イマン・フルルドっていうのは、冥府神なのか?」


 私が二人に問いかけると、ややあってまたジャミルが答えた。


「イマン・フルルドは、教団が信仰する唯一絶対の存在です。多神教ではない。この岩と砂ばかりの土地では、身の周りの物品に複数の神性を見出すことは難しかったのかも知れません」

「なるほどねえ。それじゃあ、御神体っていうのは馬鹿でかい宝石か、あるいは鉄隕石かもしれないな。個人的には前者だと心躍るんだが、まあ隕石信仰って線もあるよなあ。北アフリカにはカルテンホフ隕石とやらがあるんだろ……」


 結論を急ぐなと宍戸を諫めてから、私は二人にこれからの行動について指示した。

 まず、ジャミルには野営の準備と周囲の警戒を割り振り、宍戸には縦穴が持つ異常性フェティッシュについて検証するよう伝えた。そして私自身はというと、機構から渡されていた活性アンプルを腕に突き立てることから始めた。


 このアンプルの中身は、いわゆる劇薬だ。抗異常性物質であるシェオロン系化合物を中和する成分と強壮効果のある成分を混合した代物で、なんでも日に三回以上摂取すると幻覚や呼吸困難、脈拍異常に腎不全その他諸々の症状を引き起こして絶命するとの触れ込みだった。温泉の効能よりも長々とした説明だったので一部は覚えていないが、まあ使わずに済むならそれが一番だ。


 しかし今この状況においては、人の身を超えたスペックが必要だ。私一人で重機数台分の仕事をしなければならない。砂礫を浮かせては放り、浮かせては放り、地中のどこかにいるイマン・フルルドを掘り当てねばならない。


 長い宝探しになりそうなので、今日の記録作業はここまでにする。

 続きはまた明日。


     ◆◇◆


〈報告書雑記 004-甲 現地時間:2032-06-14T09:00〉

 何から書けば良いか。

 まずはそう、薬剤部の諸兄には礼を言っておこう。活性剤の効果はテキメン(帰還したら漢字を調べよう)だった。お陰様で大型ダンプ十台分、いや二十台分ぐらいの仕事をこなせたと思う。自己ベスト更新だ。まあ、そもそも彼らが私から異常性フェティッシュを取り上げる薬品を作っているのだから、これくらいできて当然と言えるかもしれない。いや、むしろもっとできて良いはずだ。諸兄らの奮闘に期待する。


 と、見てのとおり今の私はハイになっている。


 薬剤の影響もあるし、久々の能力開放に酔っている部分もあるだろうが、一番は私が掘り当てたブツによるところが大きいだろう。そうだ、私は見つけたのだ。


 イマン・フルルド。ケル・ファンジ教団が崇拝する異教の神。

 砂面に穿たれた“捧げものの穴”を壊さないよう迂回する形で地面を掘り進めていると、私はガラス質の地層に行き当たった。そして、その層がすり鉢のような形状をしていると気がつくのに、そう時間はかからなかった。


 すり鉢状の窪地にガラス質の地層というとまず頭に浮かぶのはカルデラだが、生憎とこの辺りが火山地帯だという情報はない。となれば、悔しいが宍戸の与太話が良い線を行っていたってことになる。


 つまり私は、イマン・フルルドが地球外から降ってきた異星生物だと考えている。

 アレは今も、自身がこしらえたクレーターの底で生命活動を継続しているのだ。


 まだ穴から引きずり出したわけではないので直視したわけではないが、体長約五百メートル・横幅約百二十メートルの人型生命体であることは確信をしている。砂を介して輪郭を感じるのだ。アレには四肢が生えている。そして、拍動らしきものを刻んでいる。


 早く掘削作業を再開したい。薬のインターバルがもどかしい。あと半日は木偶の坊だ。これも薬剤部にクレームを言わなくっちゃな。


     ◆◇◆


〈報告書雑記 004-乙 現地時間:2032-06-14T11:00〉

 休憩の後、宍戸から穴の異常性フェティッシュについて報告を受けたので、ここに結果を記録する。まず穴の構造についてだが、開口部の大きさや深さもまちまちで、最大のものは三十メートルに及ぶらしい。一般人類パンピーにしてはよくやるもんだ。


 宍戸は穴の規模が同程度のものを幾つかピックアップして、それぞれに物品を懸架した。


 物品の一覧は以下のとおりである。


 サンプル群α、生きた雌鶏。個体識別番号E57、E59(詳細は管理データ参照)。

 サンプル群β、鶏ムネ肉百グラム。ガルダイア市場で購入。ちょっと傷んでいる。

 サンプル群γ、生きた雄豚。個体識別番号P19(詳細は管理データ参照)。

 サンプル群Δ、豚の死骸。またの名を豚の角煮の缶詰。未開封につき保存状態良好。

 サンプル群ε、飲料水100ミリリットル。ガルダイア市場で購入。

 サンプル群ζ、日本酒100ミリリットル。機構の支給品。純米酒。

 サンプル群η、宍戸の血液100ミリリットル。O型Rhマイナス、ハイオク(本人談)。


 貴重な生鮮食品をサンプルとすることに宍戸は不満げな様子であったが、私が本国から持ってきた和惣菜缶詰セットを渡してやると素直にブツを手離してくれた。必要な犠牲とはいえ、私のお楽しみが減ったことはやはり残念だ。せめて、経費で落ちると良いんだが。


 話を戻そう。宍戸は日没前に上記サンプル群をそれぞれの穴に懸架し、ケル・ファンジ式の祈禱を捧げ、夜明けとともに回収した。その結果は非常に興味深いものとなった。


 サンプル群α、特段の変化なし。それぞれ一つずつ卵を産んだ。

 サンプル群β、pH値上昇、K値が低下。端的に言って鮮度が戻った。

 サンプル群γ、実験容器を残してすべて消失。実験容器に破損を認めず。

 サンプル群Δ、実験容器・缶詰を残して豚の角煮が消失。返せ。

 サンプル群ε、よく冷えた状態で発見された。実験容器に破損を認めず。

 サンプル群ζ、実験容器を残してすべて消失。実験容器に破損を認めず。

 サンプル群η、実験容器を残してすべて消失。実験容器に破損を認めず。


 監視カメラでモニターしていたが、穴の開口部に近づくものは認められなかった。それにもかかわらず、サンプル群には複数の変化が発生していた。腐りかけの鶏肉はフレッシュさを取り戻し、豚は生死を問わず消失。アルコールと血液は密閉状態で蒸発し、水は不自然なほど低温な状態で回収された。


 掻い摘んで言えば、こういう結果だ。なお、サンプル群は反経時式保存容器に収容しているので、持ち帰ったら詳細な構造分析を行なうこととする。


 さて、ここからは私の個人的な見解だ。先にも述べた通り、多少の変質はあれ“中身”を回収できたのはサンプル群α・β・εで、サンプル群γ・Δ・ζ・ηは心霊手術でも施されたように“中身”だけが滅失していた。言い換えれば、鶏と水は多少の加工を経て存在を許容され、豚と酒と血液は跡形もなく除かれたということだ。それはさながら、イスラム文化圏のハラルに基づいた下ごしらえのように思える。


 信者たちの文化が作用したのか、はたまた彼らの神がハラルを望んだのか――それは言わば卵が先か鶏が先かという話で、コトの本質はそこにはない。イマン・フルルドにとって何がハレで何がケか、何が神聖で何が邪悪か、ということが肝要だ。


 もしも、“捧げものの穴”に汚染土壌を放り込んだらどうなるか。

 もしも、廃棄手前の飲食物を放り込んだらどうなるか。

 もしも、バイオハザード物質を。

 もしも、使用済みマスクを。

 もしも、核廃棄物を。

 病人を。罪人を。死体を。呪物を。悪魔を。邪神を。


 考え出したら止まらない。神秘存在休眠監視機構M.E.Q.の職員としては、このフェティッシュを封殺する巧い手立てを考えるのが最優先なのだが、こうして浅はかな好奇心が首をもたげることもある。


 私が穴に入ったら、イマン・フルルドは余計な思考を除いてくれるだろうか。なんて。


 まあ、ともかくだ。御神体の異常性はそれが埋まっている土地の敷地内でしか発現せず、しかも効果範囲は穴の中に限定される。ここが穴の外で本当に良かった。


     ◆◇◆


〈報告書雑記 004-丙 現地時間:2032-06-14T19:00?〉

 最悪の事態だ。

 どう最悪なのかは詳細を省くが、結論だけ言うと私は穴の底にいる。

 私をこうしたのはジャミルだ。あの裏切り者は教団の間諜だったのだ。

 さっき、穴の上からご本人が自慢げに語っていたので間違いないだろう。機構監査部に対してはぜひとも監査手法について物申したいところであるが、ここで死ねばそれも叶うまい。私のフェティッシュをもってすればこんな状況は屁でもないのだが、頼みの活性アンプルはここから二十メートル離れた地上にある。


 宍戸が助けに来ないあたり、同じく穴に放り込まれたか、最悪殺されたかのどちらかだろう。こんなことなら、手帳を改造してアンプルを仕込んでおけば良かった。いや、もしもなんて考えても無駄だ。とにかく、ここを明朝までに脱出しなければならない。


 豚のようにまるごと消失するか、はたまた血抜きされてショック死するか。賭けてみる気にはならない。手帳はここに置いていこう。私が死んだとき、これを持っていたらまずジャミルに持ち去られてしまうだろうから。


     ◆◇◆


〈報告書雑記 005-甲 現地時間:2032-06-15T??:??〉

 今が何時なのかは分からない。だが、開口部から僅かに覗く天体の動きで、私に残された時間がそう多くないことは分かる。


 穴の中にいる間、イマン・フルルドが持つ危険性について何度か考えたが、やはり人間に対して害になる可能性が大きいと思えた。先述のとおり悪用のバリエーションには事欠かないだろうし、そもそもイマン・フルルドが異教徒たち――つまり我々のことだが――をどのように認識し、“加工”するかも分からない。触らぬ神に祟りなしってやつだ。


 まあ、その辺りは後で整理するとして。

 ジャミルがさっき、穴の上から妙なことを言っていた。


 明朝、イマン・フルルドは歴史の表舞台に上がるとか。

 そのカギとなるのが、私こと洞島山麓なのだとか。

 好き勝手なことを言いやがる。


 もし、もしもだが。この穴が私に対して発する効果が、“異教徒の抹消”ではなく”異教徒の改宗・教化”だとして。私がそれでジャミルの同類になってしまったとして。私のフェティッシュでもって、イマン・フルルドを地上に立たせるというのはまず不可能だ。


 私のフェティッシュが作用する対象は砂礫に限定される。砂礫に接触しているものまで操れるわけではない。ゆえに、体長五百メートルの異星生物を遠隔操作リモコンして立ち上がらせることはできない。寝床ごと浮上させるのも厳しいだろうし、直上にある土壌をすべて除くのもそれなりの大仕事だ。そんなことをやっている間に、機構は救援部隊を寄越すはずだ。


 ジャミルは、私を買い被っているのかも知れない。

 それならそれで結構だ。


 イマン・フルルドによる“教化”を良しとするか、あるいは先手を打って自害するか。朝日が昇るまでに決めたいと思う。仮に私が死んだとしても、機構はきっとうまくやってくれる。あんな、穴の内でしか力を振るえない神に我々が負けるはずはない。


     ◆◇◆


〈帰還報告書〉

 遺書めいたものを書いておきながら生還した自分を、恥じないでもない。

 あの日。穴の底で自らの命に終止符を打とうとしたあの時。いや、それより前の出来事もどこか霧がかかったように曖昧だ。そんな状態で報告も何もないのだが、リハビリがてらということで筆を執った次第だ。


 まず、ハッキリとしていることを記そう。


 この手帳に書かれていることの内、信じるに足るのはこの〈帰還報告書〉のみだ。これより前にある〈報告書雑記〉と題された一連の文書は虚偽で溢れている。信じてはならない。私を騙る何者かが書いた。そのはずだ。断言しなければならない。断言しよう。


 総裁閣下もそれを望むはずだ。

 総裁、そうだ、総裁だ。あの人は、アルジェリアでの仕事を大いに評価してくれた。


 私は総裁の命令で、神殿を作った。とっても前衛的で、神秘的な砂の神殿だ。

 彼は神殿の構造のことを“クラインの壺”だと言っていた。

 そう、メビウスの輪の同類だ。外側が内側で、内側が外側ってやつ(詳細は管理データ参照――って書くと、なんだか懐かしいな)。アレが象徴するのは裏表のない清らかな心だって話もあるけど、実はあの構造にはもうひとつ意味があるらしい。


 なんでも、穴の内側に安置されている神様を、外側に繋げて差し上げるのが目的だという話らしい。内も外もなくなれば、神様はみんなと繋がれる。世界は穴の外側で、穴の内側でもある。難しいことは分からないけど、とにかくそれで世界中のみんながイマン・フルルド様と一緒になれたんだって。


 そう教えてくれたんだ、ジャミル総裁が。


〈了〉

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