ワールドワイド・マイアイズ
南枝大江
ワールドワイド・マイアイズ
眩しい人工の光が目を焼く。新しい朝が来た。
「おはようございます……本日は」
「はいはい、どうせ、何も変わらないんでしょ」
機械音声がお決まりのセリフを発送とするのを遮って、イスカロはベッドから降りた。
白に近い、朝日のような金色の髪が揺れる。それはイスカロ本人の細やかな容貌とも相まって、三次元に存在する人物とは思えないような非現実感を漂わせていた。
「イスカロ様、身支度が整いになりましたら」
「要らないわよ。補助なんて。ったく、AIなんだから学習してよね」
物心ついてからずっと住んでいる施設だ。例えまともに目が見えなくとも、食堂にたどり着くぐらいは文字通り朝飯前の行為と言える。
「じゃあ……あ」
身支度などせず、寝起き姿のまま外に出ようとしたイスカロだったが、ふと思い出したかのように机の上のヘアピンを手に取り、それをポケットの中に入れた。
個室の外に出る。白く清潔感を主張する廊下には、イスカロと同じ患者の個室が見渡す限り並んでいる。
白と、所々の暖色。しかしイスカロにとっての白色は暗闇をぼんやりと照らす蛍光灯の光、床も壁も硬く無機質なものでしかない。
「おはよう、イスカロ」
揺らぎのある、気弱そうな声色。これはサムティの声だ。
「おはよう。今日は遅いね」
イスカロは壁を触っていた手を離すと、暗闇の中に飛び込んだ。
「イスカロが早いんだよ。今日はちゃんと起きれたんだね。……でも、またそんな恰好で外出てる」
イスカロは寝間着姿の上に、髪も寝癖だらけだ。
「別に、格好なんかに興味ないの」
「こんなに綺麗なのに、もったいない」
食堂にたどり着く。普段は人でごった返している大部屋からは人の声も、気配すらも感じられない。
扉を開いたら正面に三歩、右に二十四歩、左に四十二歩。
「おはようございます」
「ああ、サムティさん。……あら、イスカロさんも」
初老の女であろう声。これも十数年毎日聞いている声だ。
食事が入っているであろうトレイを受け取ると、普段と同じ席に着く。
「ベーコン貰えた」
「へぇ……」
「早起きは三文の得。だよ」
「なにそれ」
「地球のジャパンって国のことわざだよ。西暦の頃に使われてたんだって」
サムティは近頃地球に熱中しているようで、暇さえあれば今のような雑学を披露してくる。
「で、どんな意味?」
「早起きするとちょっとだけ得するって意味。三文っていうのは、6Bぐらい」
「それじゃあ、寝てた方がまし」
「積み重ねだよ」
こんな場所で積み重ねて何になるんだと、イスカロは心の中で毒づいた。
「ていうか、ずっとアーカイブ見てるの」
「そうだよ。他にやることもないし」
気が狂ってしまわないのだろうかと、これも声に出さずに心配する。サムティは完全記憶能力の持ち主だ。能力というが、これもれっきとした異常として認められている。完全な記憶を持ってしまうと、過去の経験の時に感じた五感はもちろん、感情すらもいつでも思い出せてしまう。故に記憶と現実の区別がつかなくなる。アーカイブにはそう記述されていた。
「イスカロは普段何やってるの?」
「……ひみつ」
朝食を済ませると、他にすることも無いので作業を始める。イスカロに割り当てられているのは、点字という西暦に使われていた指先で読み取る言語の翻訳だ。
「はぁ……」
ここに居る人は誰もが異常を抱えている。当然、現代の技術なら正常化することは容易だ。だが、脳を弄るとなると倫理コードに抵触する恐れがあるためそれが可能な医者はごく少数。当然金もかかる。故にこの施設はそのような患者の生活を支援しながら仕事を斡旋する慈善団体。……ということになっている。
実態はそうではない。親族が料金を支払い、患者を入院させる。ただそれだけの施設だ。
「イスカロさんって、いつからここに?」
「ずっとだよ」
男は普段より若干高い声色で話す。
「……お兄さん、学生?」
「うん、大学生」
ここに学生が来ることはさほど珍しいことではない。ボランティア活動に取り組んだという実績が欲しいのだろう。
「ずっとここに居て嫌だなとか、出たいとか、ないの」
「そこまで閉じてないよ。ネットは繋がってる。というか、出ようと思えば出れるし」
ただ、世界の出来事が自分事としてとらえられなくなるだけだ。
「へぇ……、あ、スレッドやってる?」
「やってない」
イスカロのSNSアカウントはどれも閲覧用で、現実の自分と紐づくアカウントは持っていない。
「……そっか。にしても……早いね」
男はイスカロの目の前に映し出された仮想ディスプレイを覗き込むと、大袈裟に驚いた。
「というか、よくこれで作業できるね」
「マイクロイヤフォン」
「ああ、音で……すごいね」
「ずっとやってるから」
十年かけてイスカロが調整した音声出力方式は画面上に表示された文字やグラフを直感的に認知できるものになっており、基本的な事務作業やネットサーフィンなら音だけで目で見るのと同じようにこなすことができた。
「終わり」
「ほとんどイスカロさんがやっちゃった。僕、何もできてないね」
「楽しかったよ。人と話せて」
それは半分嘘だった。
イスカロが感じている隔たりは誰と話している時にも感じているものだ。イスカロと他人では根本から見ている世界が違う。それがどうしようもないズレとなり、言いようのない不快感を生む。
しかし、人と話すこと自体は不快ではない。
「ねえ、この後、もしよかったらだけど」
「……ごめん、用事があるの」
イスカロは穏やかな笑みを顔に張り付ける。自分がどんな顔をしているのかも、笑顔というのがどんなものなのかも、イスカロは知らない。
イスカロは部屋を出るとすぐにポケットからヘアピンを取り出すと、左耳の横に取り付けた。
ヘアピンは電源が入れられると同時に周囲の地形情報を超音波で読み取り、イスカロのマイクロフォンへと情報を送る。
イスカロは早足で廊下を歩くと、偽装タグを使って施設を抜け出した。管理された空気は不快感のない温度、貴重な酸素を少しでも増やそうと、街の至る所に植物が植えられている。イスカロは平坦なアスファルトの上を歩き、目の前の角を曲がる。人にあふれていた大通りも、少し離れればまるで別世界のような静けさとなる。
辿り着いたのはゴミ捨て場の端の小さな小屋だった。
「生態ID、M225625921」
イスカロがこの場所を見つけたのはゴミ山から電子部品を拾っていた時だった。既に廃棄されたガレージ。だが設備は生きていた。イスカロは電子ロックに登録されていた生態IDをすべて削除すると、自分のIDを登録した。誰に監視されることもなく、おんぼろの介護ロボットもいない。このガレージは正真正銘、イスカロの部屋なのだ。
「さて……」
まともに作業ができるのはヘアピンのバッテリーが持つ間だけ。充電するには施設にあるようなしっかりとした電源が必要だ。1日3時間。それがこの場所で作業ができる限界時間。イスカロは眼前の円錐形の鉄へと顔を向けると。無表情のまま作業を開始した。
イスカロが作っているのは宇宙艇だった。狭いコロニーの中なんかじゃなく、もっと広い、無限の宇宙を進む舟。
「これなら疑似重力を抜けれるけど……。5分で止まっちゃう」
宇宙艇を作るうえで最大のネックは動力だった。他はこのゴミ山に落ちているジャンクパーツを注ぎ合わせて作ることができたが、動力炉だけは満足するものを作ることができなかった。
「この出力を維持するなら最低でも核……。燃料を積んでもいいけど、それだと重量が……」
核動力なんて現実的じゃない。一人で作るのは不可能だ。
この疑似重力を抜けることができる機体を作れないことは、イスカロは最も承知していた。近頃は椅子に座っているだけの時間も増えてきている。それでも彼女が毎日ここを訪れるのは、この場所が一時だけでも閉塞感から解放させてくれるからだ。
「生態ID、P3。が、入室を求めています」
「P3……?」
突然、機械音声が来客を告げる。
来訪者が来るのも初めてだったが、イスカロを驚かせたのは突然の来訪者の存在より、その生態IDだった。
生態IDの頭のアルファベットは大まかな能力の方向性、その後の数字が何番目に生まれた個体かを意味している。
イスカロの場合、Manufacturing《製造》タイプの225625921番目ということになる。その他にはS《サービス》だったり、珍しいものだとG《統治》があるが、Pなんてものは聞いたことがない。それに、ナンバーも3。おそらくまだ実験段階ということもあり得る番号だ。
「待って、開ける」
興味を惹かれたイスカロはそのP3が一体どんな人間かを知るため、ガレージの扉を開いた。
「こんにちは。……えっと、なんの用、でしょうか」
「…………道に、迷った」
吸い込まれるような白い髪を肩まで伸ばした少女だった。一見無表情に見える顔は様々な感情を内包しているようで、ヘアピンはでたらめな情報をイスカロに流し込む。
「迷う……。マップは?」
少女は黙ったまま首を傾げる。
「ええ……。ディスプレイ開いて、ほら、左手首あたりがキーになってるはずだけど」
「…………出ない」
イスカロは大きく息を吐くと、少女をガレージの中へと招き入れた。
デバイスは生まれた時に埋め込まれる。それがついてないということは、彼女は本当に実験体かもしれない。
「で、えっと……。なんて呼ぼうか」
「ドライ……」
「うん。私はイスカロ。——それで、ドライはどこに行きたいの?」
ドライは何も答えずしばらく黙り込んだ後、小さく呟いた。
「わからない」
「んー、なるほど」
いよいよ答えが見えてきた。本当なら中央塔のラボに送り届けるべきだろう。だが、イスカロを突き動かしているのは好奇心だった。
「ちなみに……、あなたのID、Pって言ってたよね、あれの意味とかってわかる?」
「……わからない、でも」
瞬間、世界に色がついた。
灰色のコンクリート、錆びた鉄。軋む椅子に座る少女は金色の髪をしている。
「え……、なに、これ」
少女は目を丸くして、周囲をきょろきょろと見渡す。だが、この視線が動くことはない。
「それは、イスカロ」
「私……、これが? まって、どういうこと」
その視界はドライのものだった。ドライの目で見ているものと全く同じものをイスカロは見ていた。
ドライはイスカロを見る。病的なほどに白い肌を、朝日のような金色の髪を、黒以外の鮮やかな色彩をイスカロは見た。
生まれて初めての色彩、自分の姿。
「私……、これが」
「うん、私には見えるの。みんなの世界が」
道の情報で混乱しながらも、頭の隅で思考を働かせる。
「それって、まるで……」
そう言いかけた瞬間、イスカロの世界は再び闇に染まる。視界の共有が溶けたのだ。
だんだんとイスカロに余裕が戻ってきて、考える余裕もできる。
今の現象に説明を付けると、電気信号としてドライの脳に送られる視覚情報を複製し、イスカロの脳に流し込む。理屈としては可能かもしれない。
「ねえ、その他には……」
イスカロの耳に響く音声情報には、ドライの姿が含まれていた。
ドライは空を見上げている。ガレージの天井、小さな窓ガラスの向こう、眩く輝く白い光。
それは、イスカロが普段見上げているものだった。真っ黒な暗闇に唯一差し込む光。他の何よりも大きく、絶対的で、見えないはずの目が焼かれてしまいそうな、太陽の光。
イスカロはそれを見た。普段と同じように、幾度となく見上げたあの輝きを。
「眩しい……」
「見えるの……?」
それは、イスカロにとって初めて世界を見た以上の衝撃だった。
「見える」
「え……」
言葉が喉に詰まるようで、何と言えばいいかわからない。これもイスカロにとって初めての経験だった。
「太陽……」
「……私、初めて見た。太陽なんて、直接見たら目が潰れるから」
「……どう?」
「眩しい。すごく、白い」
イスカロの口元には作り物ではない、自然な笑みが浮かんでいた。今まで感じたことのないような胸の高鳴りを抱えながら、イスカロは空に向かって語りだす
「私、私ね。これに乗ってあそこに行くの。こんな場所の外に出て、あの光の方へ行くの」
イスカロの語る夢のような話をドライは黙って聞いていた。時に頷き、時に同じ空を見て、それに思いを馳せるながら。
「あ、バッテリーが……」
いつの間にか時間は過ぎ去り、ヘアピンのバッテリーが完全に切れてしまった。イスカロにしては珍しい失態だ。これでは無事に施設に帰れるかわからない。
「……ドライって、どこに住んでるの?」
「わからない……」
「そう。じゃあ、私の部屋に来ない?」
イスカロの推測通りドライが何かの間違いでそとにでた実験体だとすれば、発見され次第ラボに戻され、2度と会えることはないだろう。
「……いいの」
「うん、ちゃんと安全だよ。——それに、私も一人じゃ帰れなくなっちゃったし」
ドライに手を引かれ、ガレージの外に出る。ドライと共有した視界の中では地面に色がついていて、空の青色がどんな色をしているのかをイスカロは初めて知った。
「なんだか、頭が痛くなりそう」
「……そう?」
「うん、変な感じ」
様々な色がひしめく世界。ドライの手を引いて目の前を歩く自分。すれ違う人々はさりげなくこちらに視線を向ける。
「……わかんないな」
誰にも聞こえないように、イスカロは小さく呟いた。
施設に帰るとイスカロは監視機器に偽装データを流し、ドライを窓から自分の部屋へ招き入れた。
「部屋の中は基本誰も入ってこないから」
それほど広い部屋ではなかったが、イスカロは普段ベッドと机しか使っていないので部屋の半分近くの面積を持て余している。
「あ、勝手に外に出ないでね。見つかったらまずいから」
イスカロはベッドに飛び込むと、じっと天井を見つめる。真っ暗な世界、電気の光が白く差し込む。
でも、それは違う。普段見上げている空の光とは違う。眩く目を焼く光。具体的に説明はできない憧れ。きっと、強すぎる重力に魂まで引かれていったのだろう。
「わっ、……」
ドスンと鈍い音。ドライが転んでしりもちをついたのだろう。
「大丈夫……?」
「うん、平気」
部屋につまずくようなものは置いていない。
「見てるの? 私の視界」
「うん。……なんだか、落ち着く」
イスカロはそれにそっけなく返事をすると、寝返りを打って壁の方を向いた。胸の高鳴りを抱えながら、緩む口元を見られるのを恥ずかしがって。
◇
「で、どうしたの、今日は」
施設の一室。まるで普通の家庭のリビングのような部屋の向かい合ったソファにイスカロは座っていた。
ため息をつき、対面に座る男に対して不機嫌を隠そうとしない。
「何か良いことでもあったのかい?」
「……なんでそうなるの」
「ずいぶん元気じゃないか。それに、機嫌が悪いのも僕がここに来たこと自体が原因じゃない。何か楽しいことでも邪魔したかな」
根拠はないが間違ってはいない。イスカロは不貞腐れたようにそっぽを向く。
「父さん、キモい」
イスカロの父はわざと声を出して、朗らかに笑う。
「お、それ、ずいぶんと小さくなったじゃないか。性能は?」
イスカロの髪にはヘアピンが付いている。前に父親と会った時はヘッドホンの形をしていた。
「バッテリー以外はおんなじ」
「なるほど、大したものだ。金さえあればバッテリーはいいのを積める。もう売り物になるレベルなんじゃないのか?」
「……売れないよ、こんなの」
声のトーンが1段階落ちる。どれだけいいものを作ったとしても需要がない。それに、イスカロはこれを売るために作ったのではない。
「そうか、すまん。——で、だ。イスカロ。外に出るつもりはないか。仕事ならいくらでも見つかるだろうし、学校に行く金もある。そうでなくとも――」
「出ないよ。ここに居る」
言葉を遮るように断言する。
「そうでなくとも、何? 結婚でもしろって言うの」
——金だ見た目だって、そういう所が気持ち悪いんだ。
「そう言ってもな……」
「ごめん。大人になったら、ここを出るよ」
「わかった。あと一年だな」
大人になったらどこか遠くに行ける。そう言っても行きたい場所なんてない。否、強いて言うなら――。
イスカロは窓の方を見る。暗闇の視界に差し込む白い太陽の光。
太陽に行きたい。表面にたどり着けなくとも、できる限り近付いてみたい。
「ただいまー」
面会が終わり、ヘアピンの充電が減ったことに文句を言いながらイスカロは自室に帰る。
「今から変電室に忍び込むわけにもいかないしな……」
「どうかした?」
「いや、特に」
「変電室って、昨日の夜行ってたところ?」
「夜中だったらカメラと鍵だけなんとかすれば通れるんだけどね」
ドライは小さく首を傾けると、何でもないことのように言う。
「人をなんとかすればいいの?」
「……あ、できるの?」
心当たりはある。視界の共有をうまく使えば人の視線を誤魔化せるかもしれない。
「うん。少し」
何気ない顔をして廊下を歩くイスカロと、サングラスとマスクで顔を隠したドライ。
変電室にたどり着くには職員休憩室の横を通り過ぎなければいけない。その部屋には巨大な窓があり、中にいる職員に見られず通ることは不可能になっている。
「……いける?」
「うん」
ドライが目を閉じる。
その時職員が見たのは記憶だった。間違いなく自分の記憶。五感で感じたもの、その時の感情。すべてが完全な記憶。現実を生きている最中に突然現れたそれは。現実と記憶の境を曖昧にさせる。
「……通れた」
ガラス越しに見えた職員たちは瞬きも忘れて呆然と空中を眺めていた。その風景はまるで薬物中毒者のたむろする路地裏のようだった。
「ねえ、何見せたの?」
「……見たい?」
「——まあ」
恐る恐る、イスカロは首を縦に振る。ヘアピンの充電が終わるまであと数分はかかる。多少呆けていても大丈夫と考え、イスカロは好奇心に負けた。
「じゃあ、ちょっとだけ」
ドライが頷く。数秒、何も起こらない。緊張の中でイスカロが考えることを始めた瞬間、それは蘇った。
「うん……」ドライが頷く。硬い地面を右足が踏む。左を向く。機械音声がガラスの向こうの様子を告げる。ドライが前を行く。見たことがある。色が見える。青い空が見える。日差しが肌に突き刺さる。地面は灰色だった。太陽は白色だ。今は変電室に居る。隣にドライが居る。父親が優しく笑う。「大したものだ」少し嬉しかった。私は、私は――。
混ざる、混じる。自分の立っている世界を足元から歪められる。私は今色を見て外を歩いている。私は今父親と話している。私は今職員休憩室の横を通り過ぎた。私は変電室の中。私はここに居る。
「……大丈夫?」
「————ああ、うん」
記憶が消えて現実が蘇る。
「……完全記憶」
視界の共有とは明らかに違う。また別の、世界の見え方そのものを共有させたとでも言うのか。それに、完全記憶と言えばサムティだ。離れた場所に居る人の世界の見え方をもってきて共有できる。想像以上の能力だ。
「そんなことできたんだ」
「これが限界」
「なるほど……」
ドライが居れば世界が何十倍の大きさに広がるかもしれない。この施設に居る全員とわかり合えるかもしれない。だが、イスカロが考えていたのは別のことだった。
「これなら、できるかも……」
イスカロは目を輝かせながらヘアピンを手に取ると、外に向かって駆け出した。
「ドライ、お願い!」
あらゆる人の目を無効化し、外に飛び出す。
止まることなくガレージまでたどり着いたイスカロは切らした息をものともせず、鉄の山に向かっていく。
「ねえ、なに作るの?」
「宇宙艇! 飛べるよ、私」
切り、削り、溶かして付ける。精密作業が必要な部分は壊れかけのプリンターを使う。ヘアピンの充電が切れたらドライの力を借り、一心不乱に作業を続けた。
「……外、もう暗いよ」
「あとちょっと。……それに、夜の方が都合いい」
イスカロは口元を歪め、不敵な笑みを作る。それは悪だくみをするときの表情であり、それは今まで生きて来て初めて作った表情だった。
「あとは、動力を取りに行こうか」
「……どこに?」
「父さんの会社に」
イスカロはハッとして振り返ると、そこに居るはずのドライに声をかける。
「ねえ、手伝ってくれる?」
ドライは椅子に背中を預けながら空を見る。
「行ける? あんなに遠くまで」
「……もちろん」
「なら、私も連れて行って」
自信満々に言い切ったイスカロに対し。ドライはすぐに言葉を返す。見えなくともその表情が伝わるような澄んだ声色で。
「うん、もちろん」
◇
一度施設に戻りヘアピンを充電した後、二人は空を見上げる。見上げた先には青い星があるはずだった。だが、二人の目にそれが見えることはない。
「こいつで変電所を爆破する」
「車……?」
露骨な兵器は監視網に引っかかる。故に車。イスカロがゴミ捨て場の車を拾い、それに失敗作のエンジンを乗せた。このエンジンは欠陥品で、5分動くと過負荷で大爆発を起こす。
まずは第一段階、この一撃で北区全体の電力を停止させる。
「行こう。あっち」
車には自動運転機能が搭載されているが、そのプログラムを改変して安全装置を外してある。これで目的地の座標にたどり着くためならば壁だろうと何だろうと突っ込んでいく。変電所のフェンスも突き抜ける。必要な操作を済ませれば、後は放っておくだけで変電所が爆破されるはずだ。
深夜、闇の中を車が駆けていく。
街を輝かせる星空のような光。その下を行きかう人々。そのどれにも目をくれず、二人はエアスクーターに乗って走る。
「あと2分」
2分後に北区全体の電力が停止する。イスカロの父が勤める会社も北区だ。
「手筈どうりに。お願い」
目を合わせて、頷き合う。
――こんなにも世界が不自由なら、私が風穴を開けてやる。
否、初めから不自由なんて存在しない。
私が見たもの。
私が聞いた音。
私の嗅いだ匂い。
私が触ったものの輪郭。
それが、それだけが世界を形作っている。
これが私だ。私の世界だ。私はここに居る。
時計の針が真上を示す。カチリと、小さな音。アナログ時計の音なんかじゃない。爆弾の音だ。
変電所が爆破されると同時に会社の警報システムがダウンする。警備員はドライの力によって全員が暗闇を見ている。
会社全体に放つ無差別の能力行使。ドライ以外の全員の視界が暗闇に包まれ、動くことができずに狼狽するばかり。——ただ一人を除いて。
爆破した壁から会社に突入したイスカロは最短距離で分電盤の位置へと走る。
会社に停電が起きた場合、まずはUPS《無停電電源装置》がコンピューターに電気を供給する。そしてその数分後、会社の発電設備が動き出して全体への電力供給を開始する。
その数分の間にイスカロは分電盤を操作し、警報設備に送られる電力を遮断し、作業場へと電力を集中させる。
滞ることなく作業を済ませると、ドライとの集合場所である作業場へと走った。
「時間ぴったし……!」
作業所は工場というより研究所という呼称が相応しいような厳重な警備と清潔さが保たれている場所だった。その中央に鎮座する巨大な機械こそ、粒子加速装置。イスカロはそれに駆け寄っていく。
「動く……? 動く。ドライ!」
「居るよ。これも持ってきてる」
パワースーツを着たドライが重そうに抱えているのは重力炉。イスカロの知識が正しければ、これで縮退路が動くはず。
「よし、いける……」
粒子加速装置を利用してブラックホールを生成する。重力炉でそのブラックホールを極小サイズに留めたまま動力として利用する。それは燃料として投入された質量の100%がエネルギーとなり、廃棄物も発生しない。
『システムチェック、オールグリーン』
『電力安定、いけます』
イスカロは現実と同時に記憶を見ていた。この装置を使って縮退路を作っていた人々の膨大な記憶を。
未知の領域への一発勝負。
「でも、これなら……」
『衝突——』
『重力安定、制御』
一心不乱に作業を進めるイスカロと、それを黙って見守るドライ。部屋の外の警備員は発狂して気を失っている。
『安定領域に入ります』
「よし……」
時間は丁度予定通り。そろそろ爆発を見た警察がやってくるころだ。
「できた……。行こう、ドライ」
二人で縮退路を抱え、真っ暗な施設の中を歩く。警報装置に電気は流れてないとはいえ、カメラはまだ生きている。もう後戻りすることはできない。
「待て……、誰だ!」
通路の先に現れた人影。それを即座に気絶させようとするドライを手で制し、イスカロは声をかけた。
「……行ってきます」
その男の声は安心感のある聞き慣れた声だった。
エアスクーターに二人で飛び乗り、ビルの間をすり抜けて走る。明かりの消えた都市は古代の城のような不気味さを醸し出すが、その雰囲気を台無しにするかの如く警察車両が街を赤く照らす。
「自動運転……。ロックされてる」
「中身は動けないはず」
「なら大丈夫か」
二人を追いかける警察車両。火器の銃口も向けられているが、ロボットが人を傷つけることはできない。中の人も気を失っているならば、あの車はただ後ろを追ってきているだけだ。
エアスクーターに乗ったままゴミ山の間をすり抜け、ガレージのに突入する。
宇宙艇の中央、動力部に穴が開いた機関部に縮退路を嵌める。
「飛べる……!」
次々と駆け付ける警察車両はどれも仲の人間が気絶していた。あと数分もすれば電力の安定した他の区から機械兵がやってくるはずだ。
縮退路の出力が安定し、宇宙艇全体にエネルギーが行き渡る。
「ドライ、乗って!」
「うん、飛ぼう――」
ブースターが火を噴き、宇宙艇が宙に浮く。
浮遊感と加速度に目を回しながらもイスカロは操縦桿を握り、宇宙艇に積んだビームライフルで天井に穴を開ける。
空気と共に数多のものが宇宙空間に飛び出していく。
景色はあっという間に過ぎ去り、気付けばここは銀河の果て。
いつか誰かが憧れた、無限のように広い場所。
きっと今は当たり前、ここも人の住処。
だけど、今は違う。2人にとって唯一の、初めて訪れた遠い場所。
横に輝く無数の光は朝日を受けて輝く海のよう。真下に見える青い宝石のような星。
イスカロの視点はぶれることはない。ただまっすぐ、唯一の眩い光へ。
白い輝きはだんだんと視界を占める割合を増し、加速度的にその輝きを増す。
「ああ、眩しい――」
ずっと、生まれた時からそこにあった。見えるものはその光だけだった。他の誰かが語る美しいものも、心躍るものも、イスカロの言葉には響かなかった。
彼女が求め憧れたのはただ、この光。
「眩しい、眩しい……」
うわごとのように呟く。
この宇宙艇に減速装置は付いていない。イスカロは端からどこかに辿り着こうだなんて思ってすらいない。ただ、触れることのできない美しいものに手を伸ばしてみたかった。
イスカロはその代わりに一着の宇宙服を用意していた。
「ドライ……。見える?」
「うん、すごく、綺麗」
「……よかった」
こうして宇宙に来られたこと。
自分の世界を理解してくれる他人が居たこと。
「ありがとう。すごく、楽しかった」
そのイスカロの微笑みは見る人が見れば天使のようだと評しただろう。だが、ドライはイスカロと同じ世界を見ていた。
ただひたすらに眩しいものへ、最初で最後の友人と、二人で。
「……私、世界が何かわからなかった。全部が見えて、そのどれも違ってて。でも、やっとわかった。世界は私だった」
ドライは宇宙服を着るのを拒み、イスカロの隣の椅子へ腰かける。
「私は、あなたと一緒に居たい」
それは意思だった。誰かが見たわけでも聞いたわけでもない。自分の世界が生み出した唯一のもの。
「……わかった。もう、何も見えないね」
光は増していく。白く白い。熱をもって。
私はここに居る。暗く深い。場所を抜けて。
君は横に居る。青く涼しい。声だけが聞こえて。
世界は私のもの。ずっとずっと。生まれた時から。
ワールドワイド・マイアイズ 南枝大江 @abcdefddd
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