第29話

交代を終え、見張り場を後にした三人は、

仄かな灯りの残る拠点の広場をゆっくりと横切った。


夜は深まり、焚き火の赤は薪の底に沈み、

物音もほとんど消えていた。


「ふぁ〜……限界、限界。もう動けな〜い……」


ナジカがあくび混じりに背伸びをしながら、

布を吊っただけの簡素な寝所のひとつに吸い込まれていった。


「おやすみ、たっくん。シャもねー」


「ん。休め」


シャもそれに続くように、

無言のままひとつの寝具へと入り、

そのまま背を向けて静かに横になる。


彼女は仮面を取ることなく、

ただ目を閉じるだけで眠るようだった。


拓海は、自分の寝床に腰を下ろすと、

背負っていたライフルと装備をひとつひとつ脇に置いた。


布は薄く、地面の冷たさは背中に響くが──


それでも、この一日を乗り切れたことに、

胸の奥がじんわりと温かくなっていた。


(……ああ、ほんとに、今日はよく動いた)


目を閉じると、

昼間の斧の手応え、打ち合い、

シャの静かな信頼、ナジカの軽口──


全部がぐるぐると頭を巡る。


夜風が天幕を揺らし、

遠くで誰かが寝返りを打つ音がした。


そして、拠点には再び、静寂が訪れた。


目を閉じて、しばらく経つ。


隣からはナジカの寝息。

少し離れたところでは、シャが微動だにせず静かに横たわっている。


……にもかかわらず、拓海だけは、眠れなかった。


(……なんだこれ、目が冴える)


まぶたは下ろしているのに、

脳が妙に回ってる。体も熱い。なんかこう、内側から力が溢れる感じ。


(昼間、あれだけ動いたのに……いや、むしろ動いたから?)


体を横に転がしてみる。

仰向けになってみる。

上着を脱いでみる。


……眠れない。


(絶対アレのせいだろ……朝の……)


思い出す。

朝の鍋の中、ぷるんと浮かんでいた、乾いたナメクジのような何か。

シャが「疲れに効く」と言って鍋に放り込んだ、あの……“何か”。


(滋養強壮どころか覚醒効果ありすぎだろ……!)


額にじっとり汗が滲む。

だが、それすらも“燃えてる感”がある。


完全に、やられた。 


(あれか、沼の民の秘薬……?精がつきすぎて逆効果なんじゃ……?)


隣の寝息は安定している。

騒げばナジカにからかわれるし、

シャに至っては“相手をしてやる”とさも当たり前かのように言ってきそうだ。


(……寝よう。何がなんでも寝よう)


強引に目を閉じて、呼吸を整える。

眠りを追いかけながら、静かに祈るように思った。


(……ダメだ。これは、マジで無理だ)


拓海は寝床からそっと抜け出した。


ナジカを起こさないように、シャの視線を気にしながら布をめくる。

ひんやりとした夜の空気が、火照った身体に気持ちよくまとわりつく。


(……冷たい風。正解。これで落ち着ける……はず)


そう思いながら拠点の外周、昼に焚き火をした跡地に腰を下ろす。


湿った土の匂い。月明かり。微かな虫の音。

世界は、穏やかな夜の帳の中にあった。


──だが。


(……なんか、目が……やたら冴えてるというか……)


通りかかる団員の一人。

ノースリーブのカフタンを羽織っただけの見張り番。

肩の筋肉のラインが、やけに艶やかに見えた。


(……えっ、いつもあんなにカッコよかったっけ?)


別の方から歩いてきたのは、鍋の後片づけをしていた作業班の女性。


髪を後ろでまとめ、額に汗。

服の袖をまくった腕のラインが、なんだか眩しく感じる。


(ちょ、ちょっと待て……?なんか、全員……)


さらに、薪を運んでいる団員。

夜警の準備中の団員。

水を飲む団員。


……全部が、眩しい。


全員が、凛々しく、美しく、何ならちょっとセクシーに見える。


(いやいやいやいや!?これはおかしい!俺の目がバグってる!?)

(違う……違う……これは……)


(絶対、スープのせいだ!!)


ナメクジ──あの乾いたナメクジの呪いだ!


「……おいおい、ちょっとは落ち着け俺……」


額に手をやり、静かに天を仰ぐ。


星空は澄んでいた。

だがその美しさすら、今の拓海には妙にエモくて困る。


(……マジで寝かせてくれ)



ー ー ー



「………………はぁ」


朝の光が、容赦なく瞼を叩く。

目は閉じているのに、世界はうっすら明るい。

そして、体は重い。異様に重い。


拓海は寝具の中で仰向けのまま、

枕代わりの荷物をじっと見つめていた。


(……やっぱダメだったな)


昨夜、目を閉じても閉じても頭が冴えて、

結局、外で夜風にあたっても“すべての女性が魅力的に見える現象”が収まらず、

その後も寝たり起きたりを繰り返したまま──


気づけば、朝。


(これはもう確信していい。完全に……スープのせいだ)


うっすらと汗が滲む額に手を当て、

よろりと上体を起こす。


目の前では、すでに何人かの団員が動き始めていた。


「おっはよー!今日は荷台の補強からだってさー!」


「シャ、それ持てる? え、うわっそんな軽々と!」


元気すぎる声と動き。

キビキビと動く斥候たちの姿。


その中に、もちろんシャの姿もある。

仮面越しでも分かる。今日も涼しい顔だ。


(くっ……なぜだ、なぜ俺だけ……)


拓海は膝を抱え、

まるで世界に取り残されたような表情で呟いた。


「……滋養強壮、強すぎると毒だな……」


まだ、目はしょぼしょぼ。

身体もふわふわ。

だが、立ち上がるしかない。


「っしゃああああ……!」


拓海は早朝から、やたらと気合いが入っていた。


寝起きのくせに声は張っているし、

まだ眠そうな団員たちを追い抜いて、材木の束を抱えて歩いている。


「おまえ……元気だな」

シャが静かに横を通りながら呟く。


「元気じゃねえ!!むしろ眠い!!でもやる!!やらねばならんのだ!!」


「寝てろって言っても聞かないくせに……」

近くで作業していたナジカが肩をすくめる。


拓海は何かに追い詰められるように、

次々と木材を運び、ロープを結び、杭を打っていく。


(昨日のスープの記憶を上書きするんだ……!)


(全ての女が美人に見える現象……!夜空がエモく見える現象……!)

(全部、気のせいにしてしまえばいい……!)


──だが。


作業開始から約二十分。 


「……うっ」


拓海は、あっさりと膝をついた。


ロープの結び目を締める最中、視界がぐらつき、

そのまま手をついて地面に倒れ込みそうになる。


「たっくん!? 顔色やばくない!?」

ナジカが駆け寄って、支える。


「無理……無理じゃないけど……体が……重……っ」


「無理じゃんそれもう」 


シャが近づき、拓海の額に手を当てる。


「……ただの虚脱」


「うう……虚脱……カッコ悪い……」


それでも、立ち上がろうとする拓海に、

ナジカがきっぱりと肩を押して止める。


「はいはい、一旦座ってて! 朝から全力はアホのやること!」


「俺はアホじゃ……ない……と言い切れない……」


拓海はそのまま、広場の木陰に崩れ落ちるように腰を下ろした。


全身が、鉛のように重い。



ー ー ー



広場は活気に満ちていた。


掛け声が飛び交い、木材が運ばれ、布が張られ、

あちこちで人々が汗を流しながら、今日の作業に励んでいる。


──その中、ひとつだけぽっかりと空いた静寂があった。


拓海は木陰に腰を下ろし、

乾いた土の匂いを感じながら、ゆっくりと呼吸を整えていた。


「……はぁ」


体の芯から抜け落ちるような疲労。

だが、涼やかな風が吹き抜けるたびに、

その重たさがほんの少しずつ和らいでいく。


視線を落とすと、膝の上には薄くほつれた布の端。


以前、戦闘の際に裂けたままになっていた襟元。

ずっと直そうと思っていたが、手が回らなかった。


拓海は小さな針と糸のセットを袋から取り出すと、

静かに針を通した。


喧騒の中で──針の先が布を割く、かすかな音だけが耳に残る。


重たい木材も、力強い一閃も、

今の自分には無理だ。


だが──針ひとつ、糸ひとすじ。


それだけで、衣服はまた戦いに耐えるものになる。


彼は慎重に、一針ずつ縫っていく。

糸が布を通る感覚。手の中にだけ広がる、小さな世界。


吹き抜ける風が心地よく、

頭の芯がようやく落ち着いてきたように思えた。


「……ふぅ、できたな」


布のほつれを縫い終えた拓海は、

指先の感覚をじんわりと確かめながら、ふと顔を上げた。


目の前に広がっていたのは──

昨夜まではなかった、“拠点のかたち”だった。


木材を組んだ長方形の壁、

高台に張られた見張り用の簡易天幕、

複数の小さなテント群、

そしてその中心には、物資を仕分けするための布張りの屋根。


もちろん、土台は不安定だし、

布も仮のもの。雨が降れば耐えられないかもしれない。


だが──


それでも、これは紛れもない「拠点」だった。


人が集まり、声を掛け合い、

武器を置き、飯を食い、眠る場所。


一昨日まで戦場だったこの地が、

いまは確かに“生活の場”に変わりつつあった。


「……やるな。みんな仕事早すぎだろ」


拓海は小さく笑い、

木陰から立ち上がると、再び広場へ視線を送った。


ナジカが汗をぬぐいながら天幕を固定しており、

ハーミラは設計図を抱えてテンパりながらも周囲に指示を出していた。


ネリアは見張り台の整備を続けていて、

シャは布を張る支柱を一人で運んでいた。


誰もが、今日を生きるための場所を作っていた。


(ここが……あのザラが繋いだ道の先、か)


拓海の胸の奥に、静かで強い感情が宿った。


「──来るぞ」


誰かの声が上がり、

見張り台から短く笛が吹かれた。


広場にいた団員たちが、作業の手を止めて顔を上げ、警戒する。


森の方から、複数の足音が近づいてくる。

木々のざわめきが一瞬止まり、次に現れたのは──


「おーい、やってるかー!」


先頭に立つのは、

斧を背に、大ぶりな革の背嚢をぶら下げたベルモットだった。


その後ろには、金属の筒を担いだ技術者らしき数名と、

携帯型の炉を引いてきたソフィアの姿もあった。


「……!」


拓海は思わず声を漏らし、数歩前へ出た。


ベルモットはいつも通りの飄々とした笑みを浮かべながら、

歩きながら手を振ってくる。


「やーやー、拓海〜! 無事だったかい、よかったよかった!」


「……拠点、立ってるじゃないか。すげぇな」


ソフィアは荷物をどさっと下ろして、手で額の汗をぬぐう。


技術者たちは、さっそく周囲を見渡しながら機材の確認に入っていた。


拠点の構造、遮蔽の強度、地形の傾斜――

彼らの目は職人そのものだった。


「見た感じ、思ったよりマトモじゃない? これ」


「仮だが、形にはなってるな。……土台はやり直すが」


「やっぱやり直すんだ……」


拓海は、じんと胸が熱くなるのを感じながら二人に言った。


「来てくれて、ほんとによかった」


「うんうん、でもあたしらも助かるよ。

 あんたらが先導してくれてたから、道中も楽だったしね」


ベルモットはにやっと笑って拓海の肩をぽんと叩く。


「さ、早速だけど作業に入るよ。今日も汗かくよーっ」


ソフィアは荷物を肩にかけ直し、

技術者たちを引き連れて広場の中央へ向かっていった。


「ふ、ふふふ……来た……ついに来た……!」


焚き火の奥から、設計図の束を抱えて猛然と現れたのは、

おなじみハーミラだった。


彼女はターバンをぎゅっと締め直すと、

一団の中に見覚えのある顔を見つけて突撃する。


「メルダーさん!!お疲れ様です!!図面持ってます!!風で飛ばされそうですが今、抑え──ああっ踏んじゃダメです!!」


「ハーミラ、落ち着け。相変わらずテンパってんじゃないわよ」


その女性──肩に紐巻き材を背負い、片腕だけ袖をまくった戦士──は、

ウィンストン盗賊団内でも建築・工作に長けた者のひとり、メルダーだった。


周囲にいた女たちもまた、武器を携えつつ道具袋を持つ“器用な戦士”たち。


彼女らは拠点構築のために呼ばれた技術派戦士部隊なのだ。


「そっちは仮設壁? 思ったよりまともに建ってるじゃない」


「でも軸はズレてる……いや、現場補正で誤差五度以内……!問題なしです!!」


「はいはい。じゃあこの支柱の荷重計算から出しなさい。

 あなた現地で張ったんでしょ?当然測ってるわよね?」


「う、ううっ……当然、足感でっ……!」


「足感!?」


「ちょ、ちょっと待ってください今修正案出しますから!!」

「こっちの支柱は風の流れが良すぎたんで、通気構造じゃなくて──」

「……いや、逆に使える!? ここ、熱が逃げるのでは!?」


その勢いに、周囲の戦士たちもあきれながらも笑っていた。


「また始まったよ……」


「ハーミラさん、息止めてしゃべってない?」


「てかあの人、会話じゃなくて一人プレゼンだよね」


だが彼女たちはちゃんと聞いている。

ハーミラの言葉が、たとえテンパっていても中身があることを、誰もが知っているからだ。


そして何より──


それが“仲間”だからこそ、

誰も止めず、誰も遠ざけない。


彼女たちの拠点は、図面と情熱と信頼でできていた。


「──ってわけで!通気の導線はこっち側に変更して──!」


「はいはい、次は土留めの補強案──」


「この支柱の素材は乾燥させた方が──!」


図面を囲んで、技術者たちとハーミラの“戦”は続いていた。


が。


その熱気に割って入るように、

拠点の中央で一際大きな声が響いた。


「はらっへったーーーーーーっ!!」


声の主はもちろん、ベルモットだった。


斧を肩に担ぎ、泥だらけの布を背負いながら、

そのまま勝手知ったるように広場中央へと歩み出る。


「なぁ拓海、昼飯まだ? 」


拓海は針仕事の袋を閉じながら、思わず吹き出す。


「いや俺に聞くのかよ……作ってないぞ」


「だよなー。でもさぁ、誰かなんか焼いてたりしない?ちょっと香りがしてきてさぁ」


ベルモットの言葉に、周囲の団員たちが笑い出す。


「うわ、またあの人始まった」


「昼になると声だけ倍増すんだよな……」


ハーミラも図面の山から顔を上げる。


「えっ、もう昼です!?マズい!作業進捗が──」


「いいから一旦止まりなさい。あんた喋りすぎで酸素足りてない」


メルダーがハーミラの頭を軽く叩きながら、

「昼休憩!」と声を上げる。


それを合図に、広場にざわざわと流れる解放感。


「よっしゃーっ!誰か肉干し持ってるやつ、火の番頼むー!」


「粥でも何でもいいから温かいのがほしいなー」


「……よし、こんなもんだろ」


焚き火の上、歪んだ鍋に入れられていたのは、

干し肉と乾燥野菜をぶち込んだだけの“雑炊もどき”。


出汁の概念もなく、味付けは塩のみ。

火加減も適当で、焦げかけている。


だがそれでも、空腹の腹には十分だった。


「うん、うまくはないけど……喰えるな」

拓海が匙を口に運びながら小さく呟くと、


「うまいかどうかは問題じゃない。生きるかどうかだ」

近くの戦士が真顔で言って笑った。


「やー、やっぱり汗かいたあとの塩分って最高だよねー!」

ベルモットは大口でかきこみ、

「これに酒があればな〜」と誰にともなくぼやいている。


そんな中──


「……入れる」


その言葉とともに、シャ=ルマッカが仮面越しに鍋を見つめ、

袋から“乾燥”したなにかを取り出した。


「ちょっっっっと待てええええええええええ!!」


拓海が匙を落として立ち上がる。

体が自然に反応していた。


「ダメだ!今日の鍋はもう完成してる!もう何も入れなくていい!!」


「だが、疲労が──」


「いい!気合いで治す!

 てかお前あれ入れたら全員寝れなくなるぞ!?冗談じゃな い!!」


周囲が「え?なんの話?」とざわつく中、

シャはぴたりと手を止めた。


「……わかった」


しゅんと引っ込めた袋からは、

乾燥したナメクジのような、ツヤと弾力を併せ持つ異形の何かが、ちらっと覗いていた。


ベルモットが口の端に干し肉のかけらをつけながら首を傾げる。


「え、なに?それ何入れようとしたの?」


「……拓海、昨日の夜ずっと起きてたもんな」

とナジカが笑いながら茶碗を持ち上げた。


「絶対ダメなやつなんだな……」

ソフィアがぽつりと呟くと、

鍋の前にいた数名がそっと器を持って後退した。


「……命拾いしたな」


「今日のは、塩で十分だ」


静かに、昼食は続いた。

鍋の中にナメクジの影が落ちることは──なかった。


食後の静かな時間。

焚き火の火は弱まり、団員たちは少しずつ横になったり、

食器を洗ったりと、それぞれに“中休み”の空気をまとっていた。


拓海は湯飲み代わりのカップを手にしながら、

焚き火の向こう側にいるソフィアとベルモットに目をやった。


「なあ、二人とも。道中……どうだった?」


ソフィアは顔を上げず、使い終えた食器の修繕をしていた手を止めて答える。


「悪くなかったよ。あんたたちが目印を置いて瘴毒盆地を突破してくれてたおかげだな」


「うんうん。ぶっちゃけ、私たちはかなり“おいしいルート”通ったって感じだったね」

ベルモットが器を抱えたまま、足を投げ出してあっけらかんと笑う。


「瘴気は残ってたけど、焼けた道があってね。

 たぶん、ザラが通った痕だと思う。あれがなかったら、もっと苦戦してたよ」


拓海はうなずいた。

ザラの残した炎の道が、やはり仲間の命を守っていた。


「……そうか。なら、良かった」


「とはいえ、何もなかったわけじゃないけどな」


ソフィアがぼそりと付け加える。


「途中で小規模の流刑者集団に絡まれた。火器はなかったが、数は多かった」


「まぁ、サクッと片付けたけどねー。こっちは斧と根性あるし?」

ベルモットがドヤ顔で斧の柄を叩くと、

ソフィアが静かに「根性で制圧するな」と返した。


「で、どうだった?こっち側は」

ベルモットが逆に拓海へ目を向ける。


拓海は笑って、背後の完成したばかりのテント群を一瞥した。


「色々あったけど……まあ、なんとか前には進んでるな」


「……嬉しそうな顔してるじゃないか」


ソフィアが目だけこちらに寄越して言う。


拓海は、ごく自然に返した。


「やっぱり誰かが来てくれるって、やっぱ嬉しいもんだな」


焚き火の炎が、ぱち、と弾けた。


「──でさぁ、さっきからずっと気になってるんだけどさ」


食後の余韻が残る焚き火のそばで、

ベルモットが飯器を置くなり、ぐいっと身を乗り出した。


「拓海、あんたと一緒にいた、あの仮面の……なんだっけ。

 背が高くて、仮面つけたまま物運んでる、あの無口そうな子」


「……シャのことか?」


「シャ!それそれ! なんなの、あの子!?」


ベルモットは目を輝かせながら、身振りを交えて続ける。


「だって、雰囲気ぜんっぜん違うじゃん?

 仮面はすごい手作り感あるし、動きはやたら洗練されてるし、

 なによりあの武器、あれグレイヴだろ?

 しかも柄が……木の根? 穂先、貝だった?」


「……ああ、そうだ。本人は“洗練されてる”って言ってた」


「へぇ〜〜!!あたしそういうの大好物なんだよね〜!

 独自武装、筋肉、無駄口なしの職人肌!いや、ロマンしかないでしょ!」


「やっぱ変人か……」


と、ソフィアが隣でぽつりと呟いたが、

ベルモットは全く気にせず続ける。


「で? その子は何者? あんたが口説いて連れてきたの?」


「違う。沼の民の戦士だ。俺の護衛として同行してくれてる」


「沼の……あー、例の魚顔の人たちか。女は美人って噂の?」


拓海は軽く肩をすくめる。


「実際、美人だった。けど……仮面つけてるし、仮面取っても表情ほとんど変わらない」


「ますます気になるなあ〜〜。ねぇ、ちょっと引き合わせてよ。

 あたし、気が合いそうな気がする!」


「……いや、合う気がしないんだけど」


「なにそれ、心外!」


ベルモットはにやっと笑って、

器を片付けながら立ち上がる。


「ま、とりあえず。午後の作業終わったらでもいいからさ。

 ちょっとだけ話してみたいんだよね、あの子と。

 ほら、こう見えても仲間には興味ある方なんだって」


「まあ、考えとくよ…」


拓海はふと、ソフィアの横顔に目をやった。


「……あれ、ソフィア。刈り上げ、ちょっと伸びてきてないか?」


その一言に、ソフィアの手がぴたりと止まる。


少しだけ額のあたりを撫でるようにして、

刈り上げていた側頭部を指先でなぞる。


確かに、いつもピタリと整えていたラインが、

微かに柔らかくなっていた。


「……気づくんじゃないよ、アンタは」


ソフィアはわずかに顔を背けながら、

肩口まで伸びる髪を指でいじる。


その横から、すかさずベルモットのにやついた声。


「んん〜? そりゃまあ、そういうことじゃないの〜?」


拓海が首を傾げると、

ベルモットは斧の柄を肩に担ぎながらニヤニヤと続けた。


「だって、さ〜?

 今までは女ばっかの団だったわけでしょ?

 そこにさ、急に“男”が来たわけよ──そりゃ、ねぇ?」


「おい、やめろ」


ソフィアが眉を寄せて低く一言。


「別にあたしは、何も……変えてない」


「でも、切ってないんでしょ?」


「……切るタイミング逃しただけだよ」


拓海はなんとも言えない顔で二人のやり取りを見ながら、

スープの器をくるくると回していた。


「いや、俺……特に何も言ってないんだけど」


「そこがいいんだよ、拓海はさぁ」


と、ベルモットが勝手に頷く。


「なんかこう、自然に女心を引っ掻きまわすタイプ? 無自覚で」


「……やめろっつってんだろ!!」


ソフィアの顔がほんのり赤くなる。


拓海は、そっと視線を逸らした。


火の残り香が、風に乗って静かに広がっていく。


「……ったく、くだらない」


そう呟いて、ソフィアはスッと立ち上がった。


顔を背け気味に、器を手早く洗い桶に放り込むと、

裾を軽く払って広場の端へ向かって歩き出す。


「私は仕事に戻る。時間は無限じゃないからね」


ベルモットがクスクス笑いながらも、その後ろ姿を見送り、

拓海は何も言えず肩をすくめた。


広場の隅、布をかぶせて置かれていたソフィアの仕事道具がある。


それはリアカーのような形状をしており、

車輪付きの台座に、小型の金床と簡易の炉、

そして横には手回しの砥石盤が据え付けられていた。


火種用の炭、風を送るフイゴ、

各種ハンマーとペンチ、鋼材の予備まで、

まさに「どこでも鍛冶屋」を地でいく一式。


ソフィアは手慣れた動きで炉に火を入れながら、

溶けかけの鉄片を掴んで金床へ叩きつける。


カン、カン──


焚き火とは違う、鋼の音。

喧騒から一歩離れたところで響く、ひとつの“確かな音”。


仮拠点の中に、彼女の鍛冶のリズムが刻まれていく。


「……あれが、ソフィアの本領だよな」


拓海が思わず漏らす。


「だろ? 健気だよね、そういうとこ」

ベルモットがにやついたまま返す。


刃物、留め具、鎧の継ぎ手。

これから動く拠点には、彼女の技が不可欠だった。


そして彼女自身もそれをよくわかっていた。


照れ隠しも、意地も、全部ハンマーに乗せて。


カン、カン、と鍛冶の音が背景に響く中ベルモットは斧を担いで仕事に戻った。


焚き火のそばに再びあの賑やかな影が現れた。


「た、拓海くんっ! ひぃ……ちょ、ちょっとだけ座らせて……!」


息を切らしながら現れたのは、

メガネがずれ、ターバンが半分ほどほどけかけたハーミラだった。


手には図面の束を抱えたまま、

そのまま拓海の横にどさりと腰を落とす。


「よ……ようやく一段落……ふ、ふふ……すごく、いっぱい話した……!」


「顔が真っ赤なんだけど、大丈夫か……?」


「だ、大丈夫なわけないじゃないですかあああああ……!」

「頭と口が同時に回りすぎて……も、もう脳の一部が口に出た気がします……!!」


拓海が水の入ったカップを差し出すと、

彼女はそれを受け取って、あおるように一息。


「でもっ、でもでも、ちゃんと図面通ったんです……!

 メルダーさんにも“まあ悪くない”って言われました……!うれしい……」


達成感と疲労がごちゃまぜになった顔で、

ハーミラは図面を抱きしめるようにして小さく唸る。


「ていうか、あの人たち話早すぎですよ……プロかってぐらい設計理解してて……!

 いや、戦士なんですけどね!? なんでそんな精度で測量入れてくるんですかね……!」


「……仲間ってのは、いろんな意味で頼もしいよな」


拓海が苦笑混じりにそう返すと、

ハーミラはコクリと頷き、少しだけ照れた顔をした。


「はい……でも、やっぱり、最初に拓海くんが報告してくれた“あの斜面使えるかも”ってのが、

 すごいヒントになったんです。あれがなかったら、まだ第一案で迷ってました……」


「そっか、じゃあ俺の足感も役に立ったわけだな」


「え……“足感”? ……足感てなんですか?初耳ですけど!?」


「いやお前さっき自分で……」


「えええっ!?言いました!? わたし!? 言ってた!?

 ああああ恥ずかしい!!そんな言葉あったっけえぇ……!!」


耳まで赤くなってうずくまる彼女を見て、

拓海は思わず笑いをこぼした。


「……あの、拓海くん。聞いてもいいですか?」


少し落ち着いた様子のハーミラが、

急に真顔で身を乗り出してきた。


「わたし、今すごくインスピレーションが来てて……!

 さっき図面引いてたときに、ふと思ったんですよ!」


「……うん?」


「銃器と!近接武器が!一体になった武器って……どう思います!?」


拓海は一瞬、言葉に詰まった。


「えっと……たとえば、剣に銃がついてるとか?」


「そうそう!そういうやつです!振って良し、撃って良しみたいな……!!」


ハーミラは目を輝かせて熱弁を始める。


手を振り回しながら、「刃の背中に散弾発射口を仕込む」「ストックが斧の柄になる」

「変形して槍から銃に!」など、アイデアが止まらない。


だが拓海は、少しだけ困ったように笑って返す。


「うーん……気持ちはわかるけどさ。

 そういうの、創作物でよく見るんだよ。ゲームとかアニメで」


「やっぱり!? ありますよね!? ね!!」


「……あるけど、だいたい“かっこいい”か“ネタ枠”で、

 現実でやろうとすると……重量バランスが最悪だし、整備性も悪いし、精度も落ちるし……」


拓海の冷静なツッコミに、ハーミラは一瞬「うっ」と詰まる。


「そ、そ、それは……現実の話じゃないですか!? 私は今、ロマンの話をしてるんです!」


「いや、俺もロマンは嫌いじゃないけどさ……」


「じゃあ!じゃあ質問です!!」


ハーミラは膝立ちになり、目をさらに輝かせて続ける。


「拓海くんのいた“元の世界”では、どんな創作物の武器があるんですか!?

 銃と剣が融合してるとか、変形するとか、そういうやつ!ぜひ教えてください!!」


勢いに飲まれつつ、拓海は頭を掻いた。


「……言っとくけど、めちゃくちゃ多いからな。

 大剣が大砲になるやつとか、刃を展開して鞭になるやつとか……」


「っっっっはあああああああああああ!?!?」


ハーミラの瞳孔が開いた。


「それって、どんな機構で!? 動力は!?変形にかかる時間は!?

 重心バランスは!?射撃時の安定性は!? あああっメモが……図が……紙がああああ!!」


バサァァ!と図面が広がる。


「……ある、あるじゃないですか」


図面に向かって暴走していたハーミラが、

ふと何かに気づいたように動きを止めた。


「拓海くん……シャの武器……あれ、グレイヴ、ですよね?」


「……ああ、そうだけど?」


ハーミラはゆっくりと立ち上がる。

そして拳を握り、目を見開いて宣言した。


「……あれだ。私の求めていた“答え”、あれです!あのグレイヴ!」


「え?」


「一見ただの部族武器……でも見ましたよね!?

 斧槍のように“打ち込み”、次の瞬間には“しなる鞭”のように飛び回る……

 完全に、真逆の運用思想が一つに融合してるんです!!」


「……まあ、確かに。あれ、動き変わるよな」


「それなんですよおおおおおおお!!!」


叫びながら、彼女は膝をつき、図面を床に広げた。

目はぎらぎら、口は止まらない。


「変形機構は“見えない”。素材は自然由来っぽいけど、弾性は金属を凌駕してる……

 なのに分解できるような繋ぎ目もない!!」


「つまり──あれ、ロジックがないんですよ!!」


「……うん?」


「ロジックが、ない!! 理屈がないのに、成立してるんです!

 完全に神秘です!! 物理の裏をかいてる!!」


彼女の目からは一瞬、焦燥のような光がにじんだ。


「でも……でも、あれを理解しないと前に進めない……!

 私の作りたい、銃器と近接武器の融合なんて、あの次元の“両立”を理解しなきゃ不可能……!」


「……なぁ、落ち着け。深呼吸」


「“科学でできないこと”が“神秘でできる”っていうなら、

 私は“科学でやる方法”を見つけなきゃいけないんですよ……!」


「そうじゃなきゃ……この手で“あの感動”を、現実に再現できない……!」


拓海は、ちょっとだけ目を細めた。

その手には握りしめられたペン、くしゃくしゃになった図面。


「……ハーミラ、お前、泣いてね?」


「泣いてません!!これは感動の湿気です!!!」


燃え尽きかけた焚き火の前で、

一人の“理詰めロマン主義者”が静かに煮詰まっていくのだった。

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