第2話

森は、静かすぎた。


風はあるのに葉は揺れず、枝の擦れる音もなかった。

鳥の鳴き声も虫の羽音もない。

ただ、俺たち三人の足音だけが、地面に絡みついた草の上に響いていた。


「……なんか、変じゃないか?」


思わず口にすると、ミルラがふと立ち止まって、空を見上げた。

黒髪がさらりと揺れる。


「……確かに、気配が薄いわね。風が“通ってない”」


「瘴気だな」

ヨミが短く言った。


「昨日の夜から風向きが変わってた。上空の流れで“沈んでくる”んだよ、あの毒は」


「瘴気って、あの狂人たちの原因ってやつ?」


「そう。けど、一晩二晩で発狂するわけじゃないわ。……蓄積するの。

 蓄積して、ある日突然──ぷつん、と、切れるのよ」


「……そんなの避けようがなくねぇか」


「だから私たちは、拠点を“動かす”のよ」

ミルラが微笑んだ。


進むにつれて、周囲の光が弱くなっていく気がした。

木々の間を差し込む陽光が、どこか濁っている。

吐く息が妙に重い。


ふと、前を歩くヨミが足を止めた。


「来たか」


その声と同時に、木陰からひとりの女が現れた。


弓を背負った細身の女。

くすんだ緑のフードを被っていて、肌は浅黒く、目つきが鋭い。

狼のような沈黙と威圧感があった。


「……お前か、ネリア」

ヨミが声をかける。


ネリアと呼ばれた女は無言のまま頷き、小さく何かを投げてよこした。


手のひらに落ちたのは、小さな金属片。

錆びたアクセサリ──に見えたが、血がついていた。


「何だ、これ」


「偵察に出してた子の、耳飾りよ」

ミルラの表情が陰った。


「拠点近くの西斜面で見つかったそうよ。他の痕跡は?」


ネリアは、無言で地面に指を滑らせた。

指の先には、わずかな靴の跡と引きずられたような線。


「誰かが……運ばれた?」


「狩られた、ってこった」

ヨミの口調が鋭くなる。


「……クソが。サンズオブポセイドンか?それともまた狂人どもかよ」


ミルラが俺を振り返った。


「拓海くん、拠点で少しゆっくりしてもらうつもりだったけど……

 ちょっと騒がしくなるかもしれないわね」


その目は柔らかかったけれど、底に沈んだ光が“戦場の色”をしていた。


俺は、思った。


──ようやく生き残れたと思ったら、もう次の修羅場が始まってる。


この世界は、待ってくれない。


森を抜けるルートは複雑だった。

木々の密度が変わるたびに進路を調整し、迷路のように入り組んだ獣道を進む。


誰かが意図的に、踏みならした跡。

そこには“ここに慣れている者の気配”が確かにあった。


途中、ネリアが斜面に設置された警報用の細糸を手際よく解除していく。

木の皮を加工した鈴や、小さな魔法の印。

どれも目立たず、しかし確実に“他者の接近”を知らせる罠だった。


「手慣れてるな……」


「まあ、そうでなきゃ生き残れねぇからな」

ヨミが肩越しに言う。


「拠点はすぐそこだ」


数分後──


木々の合間、薄暗い森の底に、わずかに開けた空間が現れた。


そこにあったのは、テント村だった。


獣の皮と植物繊維で作られた大きな天幕が4つ。

周囲には小さなテントや布張りの小屋が散在し、

火を焚いている女たちや、弓の弦を張り直す者、槍の穂先を研いでいる者の姿が見えた。


全員、女だった。

しかも、全員が“屈強”だ。

筋肉が浮き出た腕。日に焼けた肌。

衣装は中東風のローブやスカーフを自由に着崩し、誰もが“自分の戦い方”を知っているように見えた。


その全員が、こちらを一斉に見た。


「……新入りか」

「男……?」

「ヨミがどこかで拾ってきたのか」


殺気はない。けれど、どの視線も鋭かった。


「気にすんな。最初はみんなそんなものよ」

ミルラが優しく言って、俺の背を押した。


「ウィンストンに紹介しておくわ。あなたがここに立ってる意味を、ちゃんと伝える」


俺は小さく頷いた。

そして──テントの奥にある、ひときわ大きな天幕へと向かった。


その中に、“団長”がいる。


布の裂け目をくぐった途端、空気が変わった気がした。


中は思ったよりも質素だった。

木製の折りたたみ机。地図や紙束が散らばった作戦卓。

片隅には簡易ベッドと、獣皮をかけた椅子が二脚。


その中央に立っていたのが──


「……あんたが、“拾われてきた”って坊やか」


低く落ち着いた声。

黒と赤の民族調の衣をまとい、肩には肩章代わりの獣毛を巻いていた。

年齢は二十代半ばくらいか。

背筋がまっすぐで、言葉に力はなくても、ひとつひとつが重く響く。


髪は肩で切り揃えられ、顔立ちは端正。

だがその両目には、戦場を何度も見た者だけが持つ“冷たさ”が宿っていた。


「彼の名前は卜部拓海。流刑一日目。命からがらここまで辿り着いた」

ミルラが言うと、ウィンストンは視線を一度だけ俺に向けた。


「ミルラ、保証するのか?」


「ええ。少なくとも、今ここに立っている彼は“使える”わ」

「嘘をついていないし、誰かを裏切る目もしていない。少なくとも今はね」


ウィンストンは小さく息を吐き、テーブルに手を置いた。


「ふたりで拾ってきた犬が、どう育つか見てみるか。……それがあたしの方針だ」


「ただし、ここは“家族”じゃない。“仲間”って言葉も使わない」


「命令には従う。物資には貢献する。余計なことはしない──守れるか?」


俺は無言で頷いた。


ウィンストンの目が、わずかに細まった。

まるで、獣が“反応”を測っているようだった。


「ヨミが一発殴って、殺さなきゃならなくなったら、それはそれで構わない」


「でも……今のあんたは、ここにいてもいい」


それは歓迎ではなかった。

ただ、“一時的な居場所”の提示だった。


だけど、この世界でそれは──十分すぎるほどの救いだった。


「明日から働いてもらう。物を運ぶ係だ。体を慣らせ」


「……わかりました」


「じゃあ、出ていいよ。テントの端に空いてる寝袋がある。……残ってたら、だけどな」


ウィンストンはそれ以上何も言わなかった。


けれど俺は、なぜだか胸の奥が、少しだけ温かかった。


──ここで、生きてみよう。


テントを出た瞬間、外の空気がほっとするほど濃かった。


中の空気は、ウィンストンの気配で張りつめていた。

あの人、マジで冗談通じねぇタイプだ……。


「おい、立ち尽くしてんじゃねぇよ。ついてこい」


ぶっきらぼうな声が背中から飛んできた。

振り返ると、ヨミが腕を組んで立っていた。

ミルラの姿は見当たらない。


「あの人は? ミルラは?」


「ああ? あいつは医療の方に顔出しに行った。お前の子守はあたしの担当らしいぜ。……ったく、なんで私なんだよ」


悪態をつきながらも、ヨミは歩き出す。


「案内するぞ。嫌でもすぐ慣れる。ここはそういう場所だ」


そう言って、俺をテント村の中へ導いた。


「まずは、ここが“調理と物資管理”だ。つっても、まともな飯なんかねぇけどな」


ヨミに続いてテントの一角を覗くと、そこには数人の女たちがいた。

保存された干し肉をほぐす者、何かの実を潰して煮ている者──

全員、黙々と手を動かしていた。


その中のひとりが、ちらりと俺を見る。


「……男?」


「ちょっと、ヨミ。本気で連れてきたの?」


「別にあたしの趣味じゃねえよ」

「ついでにこいつ、意外と使えそうなんだと。……知らねぇけどな」


女たちは目を合わせて、小さく舌打ちやため息を漏らす。


「裏切らないといいけどね」「また、ってなったら……」


言葉は小さかったが、はっきり聞こえた。


「……すまない。別に、邪魔をするつもりは……」


言いかけた俺に、ヨミが軽く肘を当てる。


「気にすんな。いちいち謝ってたら身体がもたねぇぞ。

 ここの連中、みんな“痛い目”見てきてんだよ。あんたが特別嫌われてるわけじゃねえ」


「そう、なのか……?」


「男ってだけで、警戒される。それがこの世界。……いや、あたしらの“前の世界”から続いてる話かもな」


そう言ってヨミは歩き出す。


次に通されたのは、武器の修理小屋。

革をなめし、剣の刃を砥ぐ音が響く。

腰にハンマーを提げた、短髪のマッチョな女がこちらを睨みつけるように見た。


「新入りか」

「武器持ってねぇなら黙って座ってろ。下手に触るなよ。飛ぶぞ」


「言い方……」と俺が呟くと、ヨミは笑った。


「お前が想像してるよりずっと、ここの奴らは手荒だぞ。そっちの方が信用できるけどな」


そして、最後に案内されたのは寝床。


日陰に張られたテントの一角、獣皮と布で仕切られた中に雑多な寝袋が敷かれている。


「……ここ。空いてるとこで寝ろ。誰かが帰ってきたら奪い合いだ。遠慮なんかするな」


「遠慮……どころじゃないな」


「そーいうこった。……まあ、生きてりゃ慣れる」


ヨミはそう言って、壁にもたれかかる。


「聞きたいことがあれば、今のうちに聞いとけ。

 次の仕事は明日からだ。死にたくなきゃ、頭と体、両方使えよ。拓海」


俺は、彼女の言い方がほんの少しだけ柔らかくなった気がして、

やっと一息、深く呼吸を吐いた。


拠点の昼下がりは、思ったよりも静かだった。


森を抜ける風が布の裂け目を揺らすたびに、

テントのほつれがひっかかるような音を立てる。


寝袋の端は破れ、内側の綿が見えていた。

枕代わりの布には、誰かの汗の跡が染み込んでる。


「……これはさすがに、直さねぇと寝らんねぇな……」


俺は腰を上げた。


少し歩いた先、火の匂いと金属音がするあの場所──

さっき案内された鍛冶小屋だ。


テントをめくると、火打石で火花を飛ばしている女がいた。

背が低く、赤毛を短く刈っている。腕はたくましく、皮のエプロンを着けている。


俺を見るなり、彼女はしかめっ面をした。


「あんた……また何しに来たの?」


「えーと……針、って借りられるか?」


「は? 縫い針? ……アンタ、武器もろくに握れないのに裁縫なんかできんの?」


「まあ、昔から好きだったんだ。手芸とか……ちょっとな」


一瞬、鍛冶女の眉が動いた。

呆れと、少しの好奇心。


「……布用か? 皮用か?」


「両方あると嬉しい」


「はは、面白ぇヤツ……そこ、箱の中から好きに選べ。なくしたらぶっ飛ばすけどな」


金属の箱を指差して、彼女は火打石をまた鳴らす。


俺は礼を言って、針と太めの糸を手に取った。


「そういや、名前は?」


「ソフィア。あんたの寝床の修繕くらいで私の手間は減らねぇから安心しな」


「ありがと。助かる」


「あと、裁縫してる姿はあんまり他の奴らに見せない方がいいぞ。

 “気が抜ける”って思うバカもいるからな」


「……了解。隠密手芸でいくよ」


針と糸を手に、俺はテントの奥へと戻った。

少し影になっている寝床の隅。

目立たず、物音も控えめに。


“隠密修繕”開始だ。


「まずは……この破けた端からだな」


端の破れに針を通す。

一針ずつ、一定の間隔で通しては引き、縫い目を整える。

派手さはない。だけど手は正確に動いた。


かつて祖母の家で習った、まったく役に立たないと思ってた技術が──今、息を吹き返す。


「よし……もう一箇所……っと」


裂け目を縫い終わる頃には、午後の日差しが少し傾いていた。


次に俺は、寝袋とその周辺にかかっていた布類をかき集める。

埃と汗でかなり汚れている。

泥のついた衣服も、たぶん誰かの使い古しだ。


近くの水場は、さっきヨミの案内で見た“共有の洗い場”だ。


なるべく人の目を避けて移動し、そこに辿り着く。

水は冷たく澄んでいた。

だけど底に落ちた何かの骨が、ここが“安全なだけの場所じゃない”ことを思い出させた。


布を水に浸け、手で丁寧に揉み洗いする。

擦れた跡や血の色がじわじわ浮かび、少しずつ水が濁っていく。


「……誰かの、歴史が詰まってるな。こういうとこにもさ」


声に出すことはなかった。

でも、布を絞る手には自然と力が入っていた。


干せる場所を探して、目立たない枝に引っかけていく。

風が静かに吹き、布がはためく。


夕暮れが近づいてきていた。


拠点のあちこちでは火の準備が始まり、煙の匂いが漂い出す。


だけど誰も、まだ俺のことを“仲間”だとは思っていない。

ただの“居候”。それでいい。


今は、できることをやるだけだ。



ー ー ー



空が、ゆっくりと赤く染まっていく。

森の合間から射す夕陽は、細い枝葉の影を地面に落としながら、拠点のあちこちを柔らかく照らしていた。


夕食の準備が、静かに始まる。


とはいえ、盛大なものではない。

小鍋の中には、獣の骨でとった出汁に刻んだ根菜。

干し肉を細かく裂いたものと、乾燥させたキノコの切れ端。


パンも米もない。調味料は香草と塩だけ。

それでも温かく、煙と共に“生きてる匂い”が立ち上る。


「……こういうの、どこか懐かしいな。昔家族で行ったキャンプを思い出す」


紙皿のような乾いた樹皮の器に盛られたスープを手に、俺はテントの端に腰を下ろした。


誰も話しかけてはこない。

けれど、“視線”はある。


──その中で、ひとつだけ、足音がこちらに近づいてきた。


「ねえ、あんたってほんとに“男”なの?」


突然の問いかけに、思わずスープを吹きそうになった。


顔を上げると、そこにいたのは──


明らかに他の団員よりも若い、小柄な女。

髪は肩で切り揃えられ、布のバンダナでまとめている。

目元に好奇心が宿っていて、まだ“世界の重さ”を完全には知ってないような顔。


「……まあ、一応男だけど……なんか変か?」


「いや、そうじゃなくて……へえ〜って思っただけ。

 あたしたち、他の男の流刑者と接点ほとんどないしさ」


「そりゃあ、俺もこんな形で関わるとは思ってなかったよ」


彼女はスープの器を抱えたまま、ちょこんと隣に座る。


「名前は? あたしはリィナっていうんだ。

 弓兵見習い。今はまだ雑用ばっかだけど」


「卜部拓海。大学生……って言っても、今は流刑者か」


「へえ、なんか柔らかい感じで話すんだね。もっとガツガツしてるのかと思った」

「てかさ、あのテントのほつれ、あんたが直した?」


「え、見てたの?」


「見たっていうか、……“違和感がなくなってた”からさ。あたし、あそこの寝袋使ってたから気づいたんだ」


「……そっか。勝手にごめんな」


「ううん。ありがとう。あたし、裁縫全然できないんだ」


リィナはにこ、と笑った。


その笑顔に、ほんの少しだけ、安心した。


──この世界でも、まだ人と“話せる”んだ。


リィナとの会話は、誰かにとって“きっかけ”だったのかもしれない。


俺たちが座って話していると、少し離れた焚き火のそばから何人かがちらちらこちらを見ていた。

そのうちのひとりが、スープの器を持ってこちらへ歩いてくる。


「……あんた、洗濯もしてたでしょ?」


声をかけてきたのは、褐色の肌に金色の耳飾りをつけた女。

ターバンのように巻いたスカーフと刺繍入りの上着が目を引く。

目元は鋭いが、声の調子には“興味”が混じっていた。


「ああ。見られてたか……」


「見られるとかじゃなくて、干してた布、あれネリアのだったのよ。

 あの人、洗濯任せる相手なんかいないのに」


「……あ。やべ」


「ふふ、怒ってるわけじゃないよ。ただ珍しいだけ。

 “真面目に働く男”って、こっちの世界じゃほんとに珍しいから」


そう言いながら彼女も腰を下ろした。

続けて、さらにひとり。


無言で近寄ってきたのは、短く刈り込んだ髪の女性。

肩からは斜めに古い布のポーチを提げ、焚き火越しにこっちを見ていた。


「……裁縫、道具返してくれてありがと」


「もしかしてソフィア?」


「名前覚えてたんだ。意外だね」


「いや、君の“ぶっ飛ばすぞ”がわりと印象に残ってて……」


リィナが吹き出す。


「やば、あたしこの拠点で笑うの久しぶりかも」


その笑い声が、夜のはじまりを和らげた。


ふと気づけば、周囲に小さな円ができていた。

完全な“歓迎”ではない。

でも、それはたしかに“輪”だった。


誰かが、「ここにいてもいいのかもしれない」って、少し思い始めた空気だった。


「拓海」

ソフィアが名を呼んだ。


「明日から動くなら、朝は早いよ。私が叩き起こすかもしれないけど、その時は容赦しないから」


「……了解。優しく頼むよ」


「無理。根性叩き直す系でいくよ」


「それを笑って言うんだな……」


焚き火の音が、会話の間を温かく埋めていた。


焚き火の火がゆらゆら揺れる中、笑い声と冗談がぽつぽつと交わされていた。


“男”である俺が、ウィンストン盗賊団の輪の中に。

不思議な光景だった。

けれど、誰もそれを壊そうとはしなかった。


──そのときだった。


「……随分と賑やかじゃないか」


その声ひとつで、空気が変わった。


背筋がぴんと伸びるような静けさ。

視線が火を避けるように逸れていく。


焚き火の向こうに立っていたのは、

団長・ウィンストン。


淡い光を受けて肩にかけた獣毛が揺れている。

夜目でもはっきりとわかる強い瞳が、まっすぐこちらを射抜いた。


「団長……」

ソフィアが小さく呟く。


リィナの背筋も自然と正され、他の団員たちも無言になる。


だけどウィンストンは──まっすぐ俺を見て言った。


「拓海、だったか」


「は、はい……」


「今日、テントの補修をしたそうだな。ついでに洗濯も。なかなか気が利く」


「いえ……なんか、やれることがそれしかなかったので……」


「そうか」


短く返事をしたあと、ウィンストンはふ、と視線を外し──

意外な言葉を口にした。


「なら今度、私の寝床も頼む。……あの枕、羽が逃げて仕方ないんだ」


……沈黙。


誰も、声を出さなかった。


数秒の空白のあと──リィナが小さく吹き出した。


「……それ、冗談ですか?」


ウィンストンは肩をすくめるようにして言った。


「どちらだと思う?」


そう言って、彼女は踵を返し、背を向けて歩き出す。


けれどその背中は、先ほどよりもわずかに──

拠点という“家”の中に、拓海を含めたように見えた。


俺は何も言わず、ただ小さく頭を下げた。


そして、団員たちも、

火の向こうで静かに笑っていた。


食事が終わると、自然と拠点の空気が切り替わった。


「夜警班、配置につけ」

「交代は二刻後。ランタンを持って、北東の見張り塔へ」


ウィンストンの低い声が響くと、数人の団員が即座に立ち上がる。

武器を手にし、布を巻き直し、静かに森の闇へと消えていった。


一方で、残った者たちは焚き火を囲みながら、寝支度を始める。


毛皮を敷き直す者。

仲間と軽く言葉を交わしながら、互いの装備を整える者。

火の残り香を楽しむように黙って座っている者──


誰も騒がない。

けれど、それぞれの所作に“慣れた静寂”があった。


「お前は休む組な。今さら警戒に立たせたらヨミが怒るだろうしな」


そう言って、ソフィアが俺の背中を軽く叩く。

「こっち」

と指さされたのは、簡素な仕切り布で区切られた寝所の一角だった。


地面に敷かれた獣皮と布。

それぞれの“寝床”が並ぶ中で、俺の分は──端の方。

少し寒くて、風が吹き抜けやすい場所だった。


けど、文句なんてなかった。


「……ここで寝るの、初めてなんだよな」

思わずぽつりと呟く。


リィナが近くで横になりながら言った。


「最初は寝られないよ。音も多いし、誰が起きてるかも分からないしね」

「でも……あたしは、ここが好きだよ」


「好き……?」


「うん。“命をかけてる人たちと同じ地べたで眠る”って、なんか信頼の証っぽいじゃん」


俺は言葉に詰まった。

でも、どこか胸に残るものがあった。


そして──


「おい、雑魚ども。いびきかいたらぶっ飛ばすぞ」

ヨミの声が、少し離れたところから飛んできた。


それが、合図だったように。


ひとり、またひとりと目を閉じ、

夜の音と森の匂いに包まれながら、拠点は静かに眠りに入っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る