終章

第46話

 平吉と佐助は神奈川奉行所で別々に取り調べられ、桐生屋の件は金銭のみの窃盗として処理された。

 彼らは再犯であることから重い罰が科せられるのではないかと案じられたが、盗んだ金額が少なかったこともあり、この日、午過ぎのお白州で江戸・神奈川所払いに処せられることに決まった。追放という罰は決して軽くはないが、これは郷里に帰ってやり直す機会でもある。

 判決を聞き、清久郎は胸を撫で下ろした。

 短銃で死んでしまった番頭については、暴発による気の毒な事故と見なされた。実際は悪霊に殺されたようなものだが、それは奉行所では裁けない。

 白井をはじめとする浪士らは桐生屋に阿片があるはずだと主張したが、すでに桐生屋の蔵に阿片はなく、彼らの言い分を裏付ける物は何も出てこなかった。同心の沢田が密かに調べてくれたところによると、平吉が白井に渡した阿片の泥団子は、それを解析した者が厄介事に巻き込まれることを恐れてすでにドブ川に捨て去ったらしい。

(あとは生麦の一件か)

 清久郎は溜め息をついた。それが何よりの懸案だが、一介の見廻り役が思い悩んでも始まらない。

 執務室で日報をつけていると、

「湊殿、奥で竹脇さまが呼んでおられます」

 若い同僚が、そう告げた。

 何事だろう。最近はほかに大した事件は起きていないと思うのだが。

 清久郎は思い当たることのないまま奥へ向かった。

 竹脇は先日と同じ部屋で清久郎を待っていた。

「清久郎っ、どういうことだ、説明しろ!」

 藪から棒に言われても、何のことだかわからない。

 清久郎は側に寄って膝をつき、神妙に尋ね返す。

「何の説明でしょう」

 上司に尋ね返すなどもってのほかだ。竹脇は清久郎の衿を掴んで乱暴に引き寄せると、しかし怒鳴るではなく小声で告げる。

「お奉行のもとへ、エゲレス公使から密書が届いたそうだ。生麦の件、薩摩と直接交渉するゆえ神奈川奉行所は煩わせぬとの通達だ」

「え……?」

「煩わせぬとは、つまり、余計な手出しは無用とのことだ」

 密書とはいえ侮辱的な通達である。

「どうして、急に」

「それを、おまえに問うているのだ、清久郎」

 たしかにそうなれば良いという話はしたが、問われても清久郎には答えようもない。

 竹脇が眉を寄せて目を細め、ついでに口をへの字に曲げて、清久郎の衿を離す。

「やはり、おまえの仕業ではないのか」

「はぁ」

「偶然か。うむ、おまえがエゲレス公使に口利きできるわけがなかったな」

 異国が幕府を飛び越えて薩摩藩と直接交渉するとなれば、幕府の面目は丸潰れだ。

 日本は欧米諸国に対していっぱしの統一国家として対峙しようとしているのに、幕府と朝廷が一枚岩でないことは知れ渡っている。そのうえ一地方にすぎない薩摩藩が独立国のように扱われてしまえば、幕府などじつはなんの権限もない組織なのだと思われかねない。

 だが、この件に関しては、奉行所はもちろん幕府老中もお手上げだったのだ。当事者同士が話し合いをしてくれるのであれば願ったり叶ったりだ。下手人を引き渡すか、多額の賠償金を払うか、あるいは英吉利と薩摩藩の戦争になるか、いずれも薩摩藩しだいだ。

 神奈川奉行から報告を受けた老中も、渋い顔をしながら了承したらしい。

「おめぇが言ったとおりになったな」

 竹脇が苦笑した。

(言ったのは、俺ではなく花匂殿だったのだが)

 清久郎は、もしや花匂が手をまわしたのだろうかと考えてみる。

(いや、いくら花魁でも、エゲレス公使に進言などできるはずがないか)

 そう思ったが、花匂はただ者ではない。それに、五十鈴楼は異人も出入りする妓楼だ、接する手段はいくらでもあるのではないか。

 裏の事情がどうであれ、落ち着きを取り戻した竹脇は生麦の件での肩の荷を降ろし、珍しく気の抜けた顔をしている。

 もう用事は済んだようだ。清久郎は一礼して部屋を出た。

(そういやぁ、そろそろ平吉と佐助が牢から出される時分か)

 所払いになるふたりを見送ってやるかと、外へ向かった。

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