第7話
夜のしじまに、銃声が鳴り響いた。
清久郎と伝右衛門が本町通りを突き当たりまで歩き、道筋を一本違えて折り返し戻ってくる途中のことだった。
清久郎はためらうことなく銃声のしたほうへ駆け出した。
細い路地、商家の裏木戸が開け放たれ、そこから飛び出す人影が見えた。姿はよくわからないが、ふたりいる。
こちらの提灯に気づいたのだろう、人影は走って前方の角を曲がって逃げた。
「逃がすか!」
清久郎はすぐさま賊を追いかけた。
だが、清久郎が角を曲がったときにはすでに、賊どもは姿を消していた。細い通路のどこかを抜けて、逃げられてしまったか。夜間はろくに灯もともさない家の多い日本人町は、寝静まっている時分。
ふわりと、甘い香りが鼻をくすぐった。
(……?)
花の香りとは違う、お香だ。
背後から、息を切らしながら追ってくる足音が聞こえた。伝右衛門だ。
「わ、若、賊は……」
「見失った」
伝右衛門に提灯を借りてあたりを照らしたが、やはり人影はない。
視線を落とした足元に、なにやら白っぽい小物が落ちていた。
縮緬に花の刺繍の施された、小さな巾着。香袋のようだ。
(こいつの香りか)
拾い上げた清久郎の手元を、伝右衛門が覗き込む。
「こりゃあまた、どこぞのお嬢さまの落し物でございましょうか」
盗人の落し物とは思えないが、ここに落ちていたのは偶然だろうか。
「うむ。手がかりにならないとも限らぬからな」
生真面目に言った清久郎は香袋を袂に入れ、来た道を引き返した。先刻の現場に戻り、被害の状況を確かめておかなければならない。
「じい、すまないが領事館に張り付いている誰かに声を掛けて連れてきてくれ」
「承知いたしました。若、お気をつけて」
清久郎は伝右衛門に提灯を返して言う。
「じいこそ気をつけてな。走らずとも良いぞ」
「年寄り扱いなさいますな」
伝右衛門はそう言うと、提灯を清久郎に押し付けて駆け去った。
銃声のした商家の木戸は、先刻のまま開かれていた。
「失礼するぞ」
声だけ掛けて木戸の内に足を踏み入れる。
硝煙と血の臭いがして、清久郎は提灯を掲げた。
蔵と母屋の間に、寝間着姿の男がうつ伏せで倒れていた。おそらく店の者だろう。
「おい! しっかりしろ!」
駆け寄って覗き込み、思わず息を呑む。
男は顎を撃ち砕かれ、すでに事切れていた。
(むごいことをしやがる)
蔵の扉は開いている。金か商品目当ての強盗か。
母屋から、人の気配がした。物音に目覚めたらしい店の者たちが、引き戸を半分だけ開けて恐る恐るようすを窺っている。
「ば、番頭さん?」
女がひとり駆け寄ろうとして、土面に吸われたおびただしい流血に気づいて足を止めた。その後ろで若い女が悲鳴をあげた。
「この男は、この店の番頭か?」
清久郎が尋ねると、男がふたり腰を低くして進み出て、亡骸を一瞥してその無残なさまに顔を背けて言う。
「へぇ、たぶん」
「番頭の喜兵衛さんだと思いやす」
夜だし、顔が半分失われているのだ、返事が頼りないのも仕方がない。
そこへ伝右衛門に案内された同心たちが駆けつけたので、清久郎はその場の取り調べを彼らに任せ、一歩引いてあたりを窺う。
店の者たちは皆寝ていたらしく、銃声に驚いて起きてきたふうだ。いったい何があったのか、訊かれて明確に答えられる者はいなかった。
清久郎は、撃たれた番頭の霊が何かを語ってくれればいいのにとあたりを見回したが、それらしい気配は感じられない。幽霊というやつは、こちらの都合になど斟酌してはくれないのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます