"四季"  作:しのまる

@cac_scenario

四季

「ねえ、久しぶりに俳句の読み合いっこしない?」

僕の彼女である蕾はひょんなことを言い出した。僕たちは出逢いこそ俳句を絡ませたけれど気づけば僕が、気づけば蕾も句や歌を読んだりする姿を見なくなった。数ヶ月ぶりに俳句という日本語に触れた気がする。

「書き方、覚えてる?」紙をこちらに手渡し今から僕が書く文字を見逃さないように覗き込んだ。

「うん、多分。」僕はペンを握る。

「そ。」会話という会話はそれだけだった。

 俳句や短歌というのは日本語の美しさが詰まっている。限られた文字数で行間を読み、情景をありありと想像させる。5・7・5(・7・7)というリズムも素晴らしい。難解な句であっても口には出せる。いつの間にか難解さは喉元を通り過ぎて消化器官の働きに驚嘆を漏らすことになったことも1度や2度ではない。

 そういえばそうだった。僕は俳句に普遍的な価値を探したんだ。

『声がする さらさら靡く 春風の』

美しいと思ったことを書いた。声が聞こえた気がしたんだ。雪を溶かしつつある暖かすぎない風に寝ぼけ眼ではとても直視できないほど偉大な太陽、そして蕾が揺れる音、花の蕾かもしれないし彼女の蕾かもしれない。その両方かも。そこまで想像すると僕の嗅覚には春の匂いとでも名づけるべきあの独特な香りを錯覚した。なずなや繁縷を嗅ぐみたいな柔らかででもなんだかくすぐったくなってしまうようなそんな香りだ。地球の眠りが終わるみたいな何かが始まるみたいなそんな予感を感じさせる情景は僕にとって美しかったんだ。

「どう?いい句じゃない?」

もう半年以上も前になる春に想いを馳せた句を僕は自慢げに蕾に見せた。蕾はにこやかに微笑んだ。

「いい句かどうかなんて私はわかんないよ。ただ、君が楽しそうで私も嬉しいななんて思えるくらい。」こう言っているけど読み合いっこしようなんて持ちかけたのは彼女の方なのだ。何かしらの感想は欲しいものだ。

「で、蕾は?どんな句を書いたの?」

何かしらのネタありきで持ちかけたのだろう。さらさらと句を書き上げ僕にみせた。

『青い春 ほお伝う汗 懸命に』

 なんだか説明調でつまらない句かなと最初に思った。考えを一巡させる。

 これは短歌じゃないので季語なんてものは必要ない。けれどこの句に季語を当てるなら春だろう。だけど、何か違和感を感じた。僕がこの句で想像したのは夏の部活動だからだ。僕自身高校は帰宅部で、中学校で卓球部だったためどうしてもそのイメージによってしまうがランニングの地獄を夏の炎天下、必死に懸命に走っているにもかかわらずエース格の人物には周回遅れをとってしまい、僕が運動を諦めてしまうきっかけになった苦い思い出ができたことを思い出したのだ。これをアオハルと言うべきかはわからないが、まあそう言う感じで思い出した。

つまり春という季語はミスリードで本当の季語は汗であるみたいなそんな感じの違和感を見つけたのだ。なるほど。面白いじゃないか。

「ふぅん。面白いじゃないの。いいね。もう一個ずつ出そうか。今度は短歌でどうだろう。」

「返歌は?」「ありでいこう。自由に書くか。」

「おっけ。んじゃいいよ。君から書きな。」

「ありがとう。それじゃあ待ってよ。」僕は数瞬の間だけ考えをめぐらせた。

『風を喰む ピカピカの橋 ふみを待つ 柿では花の 代わりにならず』

「どう?」「待って。今、考える。なりきればいいよね。」「ご自由に。」「わかった。」

『うましです? 斜陽に掬う 両足に 積もる雪が ありませんように』

「なんだこれ?うん。なんだこれ。うましです…?は?字余り字足らずも2箇所あるし、え?」これは酷いと言わざるを得ない。こんなにアドリブが下手だとは…。

「いや、返歌、むずいのよ!前の短歌がさ、妙に式部とか意識してるから、ほんとに何を想像すればいいのかわかんなくて。んで、文と踏みをかけるみたいなのはわかるけどそんな古風な言い回しするんだったらピカピカなんていう擬音やめてくんない?なんか萎えるんだけど。」

 僕のせいである。まあ、確かに。僕もこの歌を渡されたら困惑する。

まあ、所詮、お遊びだ。いいだろう。いい頭の体操になった。

 僕は俳句に普遍的な価値を探した。長く愛される句には何か魔力のようなものがあるんじゃないかと思っていた。結局僕が辿り着いたのは季節の美しさだった。

 季節は人の記憶(いい記憶も悪い記憶も全部一緒くただ)と強く結びつき、ひどく美化されるきらいがあるようだった。数ある小説も歌も音楽すら四季の何か、自然の何かと結びつくと人は美しいと思えるようだった。例えばsummerだ。夏なんてジメジメして暑苦しいだけだ。あんな涼しい夏を体験したことは一度だってないはずだ。そのはずなのにどこか懐かしい夏を、望郷とも言うべき郷愁をあの曲から感じるのだ。美しい曲だ。美しい感情だ。俳句から学んだ美しさというのはこういうことだ。

 あと、もう一つ。これは何か誰かの受け売りだが「すべての創作は方法を変えた言葉でしかない」という言葉にも感銘を受けた。

 俳句に限らず美しさの共通項を見た気がしたからだ。表現に浮かされた熱という言葉と共にこの言葉を覚えているが、その熱こそが何よりも美しいと思える普遍的な価値なのではないだろうかと思う。文法を学び、語彙を学び、実践する。実際の語学よりもより曖昧なのは誰もがうなづく通りだと思うがそう考えれば美しいと思えるものには常に学びがつきまとう。本当に面白い言葉だと思う。

「まあいいや。楽しかったよ。またやろう。」蕾はそう言ってどこかへ立ち去った。ああ見えて彼女はエンジニアだ。PCの最新の研究の勉強でもするのかもしれない。蕾のまま

どこまで成長するのだろう。彼女の蕾が花開いたらきっと可憐な花が咲く。気高く美しい高嶺の花と呼べるようになると思っている。ちなみに彼女の名前は蕾 恋(つぼみ れん)である。改名の余地は十二分にある。

僕は創作を思い出しコーヒーと耽った。


これが今の冬の思い出である。楽しかったことを覚えている。歌恋になった彼女と僕は今アルバムを見返している。


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