【3】疲れた身体は夏でもじんわりあたたかく

可愛い後輩の尻ぬぐい①

【side:幸路】


 それは、『お疲れ様です、本社広報部販促管理課の鈴木と申します』から始まる一本の電話がきっかけだった。


「井上課長、本社販管はんかんの鈴木さんからお電話です」


 電話を取った新卒の佐田君が、少し腰を浮かせて課長に言った。おお、と何となく課内がざわつく。


 というのも、先日安田が提出した『SLUCKYスラッキー』のデザインがなかなか高評価らしいとの噂が課長から齎されていたからである。さすがにまだ結果が出るには早すぎるし、何なら採用の場合は先にメールで知らせが来るはずなのだが。もしや内々定とか、そういう打診だったりして、と。


 皆、口にこそ出さずとも、そんなことを考えたか、現在有給消化中のために不在となっている功労者の席を見つめる。健康優良児過ぎて有休を使う機会がなく、溜まりに溜まっていたようで、「親に旅行をプレゼントします! 一緒に行って来ます!」なんて殊勝なことを言って、丸々一週間休みを取っているのだ。もちろん抱えている仕事は全て終わらせてある。こちらに影響はない。はず。


 が。

 おかしい。


 一向に課長の方から「ありがとうございます」とか、そういう感じの言葉が聞こえてこないのだ。それどころかげんなりとした表情で額を押さえている。


 何だ!?

 何かやらかしたか!?


 電話が終わり、課長が受話器を置く。そして、フ――――――ッ、と細く息を吐いた。皆、半端に腰を浮かせた状態で一言も発さない。とにかく、『何か』が起こったのだ。しかも、確実に『良くない』ことが。


「……向山田こうやまだ、ちょっと良いか」


 深く細く息を吐いた後で、課長が呼んだのは向山田さんだ。やらかしたのはアイツか。誰かが、ごく、と唾を飲む音が聞こえた気がした。


「は、はい」


 ちら、とこちらに救いを求めるような目を向けてくる。が、俺に何が出来るというのか。てめぇのケツはてめぇで拭きやがれ。


「皆は業務に戻れ」


 課長の声は普段と何ら変わらない。特段、怒りを滲ませているようには思えなかった。だから本当に向山田さん一人のやらかしなのだろう。彼は課長のデスクで背中を丸めてへこへこと頭を下げている。何だ、何をした。気にはなるが、俺には俺の仕事がある。


 と。


「佐藤が」


 聞こえた。

 俺の名が。


 佐藤なんてありふれまくっている名字だが、いま現在、偶然にもこのオフィスには俺しかいないのである。だからここで『佐藤』と呼ばれたら、そりゃあもう俺のことだ。えっ、何。佐藤『が』って何。俺が何したの。


「すまん佐藤、良いか」

「はい」


 課長が俺の名を読んだ時の向山田さんの目よ。お前も道連れだ。そう語っているようである。クソが。


 課長のデスクに行くと、彼は一段声を落として「悪いな」と俺に言い、あっちへ、と会議スペースを指差す。向山田さんと共にそちらへ移動し、席に着くと、課長は改めて深くため息をついた。


 俺か? 俺が何かしたのか? とビビりまくる俺に、課長は苦笑いで「違う違う、佐藤が何かしたってんじゃないんだ」と告げる。その言葉でとりあえず安心したが、じゃあなぜ呼ばれた?

 

 なぜ? って、そんなのはわかりきっている。

 俺じゃないのに俺も呼ばれたということは、つまり。


「安田だ」


 安田なのである。


「月末に発売される、推し活をコンセプトにした多色展開の収納文具ラインがあるだろ」

「はい、あの、『OSSEオッセ!』ですよね? さっき本社便で販促物と初回限定版が届いてましたけど……。えっ、それに何か不備でも」


 『OSSE!』はまぁ言うまでもないが、『(推しを)』から名付けられた、推し活のための収納文具である。色展開は巷に溢れるアイドルグループやアニメキャラ、二.五次元俳優などのイメージカラーに幅広く対応出来るようかなり豊富に用意されている。もちろんこれについても販促デザイン案の社内コンペがあり、我らが仙台支社からはデザインの(センスだけは申し分ない)エース安田が挑んだが、惜しくも最終選考で敗れた。とはいえ、かなり評価は高かったらしく、「これで上半期のポカはチャラですよね!」と彼は笑っていたが、そういう問題ではないと思う。


 安田、そして『OSSE!』。この二つを結びつけるものは何だ。

 デザイン案は最終選考で落とされたから違うとして。

 あっ、でも待てよ。

 今回の初回限定版にはがあるじゃないか。それの担当も安田だ。


「もしかして。あの『東北盛り上げ隊っ!』の方で何か……」

「そうだ」


 課長が眉間のしわを一層深くして頷く。


 繰り返しになるが、『OSSE!』は推し活のために生まれた文具だ。推し活初心者にも使い方のイメージがしやすいよう、デビュー記念と称して、A4クリアファイルとバインダー(表紙はポケット仕様)には、それぞれ各カラーに合わせたご当地キャラの限定ポスターを封入することになっていた。とはいえ、その店舗の規模に応じた限定数のみで、いわゆる『初回限定版』というやつである。もちろん、封入された状態での納品だ。通常品なら店舗への直接納品だが、この初回限定盤は営業部の社員が販促物と共に届けることになっていたのだ。


 我が仙台支社が統括する東北地域は『東北盛り上げ隊っ!』という各県の名物を擬人化させたキャラクターを起用することになっていて、その担当が安田だった。イラストレーターさんとやりとりをし、出来上がったイラストに自社ロゴや製品ロゴを配置して、それを本社に提出する、という。俺も目を通したけど、特に問題はないと思ったし、最終決定は課長のはず。


「俺は確かにチェックした。間違いない。完璧に出来てた。間違いない。キャラ達もすごく良かった。どのキャラを推そうか迷ったくらいだ。ただ、その提出データに抜けがあった」

「はぁぁ?!」


 最終判断は課長だが、提出は本人がする。

 まさか課長だってそこでミスるとは思っていなかったらしい。


 東北各県の名物を擬人化させた『東北盛り上げ隊っ!』は、赤の青森(りんご)、青の秋田(青い方のなまはげ)、黒の岩手(南部鉄器)、白の山形(蔵王の樹氷)、緑の宮城(ずんだ)、ピンクの福島(桃)というカラー構成になっている。


 依頼したポスターは全部で七パターンだ。

 それぞれのメンバーカラーに合わせたソロ絵が六つと、何色にも対応出来るよう、中央にでかでかと『東北盛り上げ隊っ!』のロゴを配置し、その周囲を可愛らしくデフォルメされた各県特産品達が取り囲むというデザインを一つ。それで計七パターンとなっている。


 『OSSE!』は赤青黄緑桃紫白黒の八色展開だが、それに対して『東北盛り上げ隊っ!』は六キャラしかいないため、この、黄と紫をそのロゴパターンで補う予定だった。他の地域もキャラのカラーが足りない場合はそうしている。東北ウチだけじゃない。


 のだが。


「よりにもよって、宮城ウチの『杜都モリトずん太』が……っ! 抜けてて……っ!」

「よりにもよって!」


 課長の話によるとどうやら、提出したデータの中に、どういうわけか我が宮城県の擬人化キャラ、『杜都ずん太』だけがいなかったらしい。何でだよ。


 しかしこの『何でだよ』をやってのけるのが、安田李一りいちという男なのだ。


 これがファイル丸々空っぽだったとしたら販管の人もその時点で気付いたはずなのだ。けれども、六キャラ中五キャラは入っているし、足りない色を補うためのロゴパターンも用意されている。それに、これはまぁ、正直認めたくはないが、本社の人間にとって、東北は少々、その、県面積の割には存在感が薄いのだ。こちらからしてみれば宮城なんて都会も都会、大都会だし、それは全国的に見てもそうだと思っていたのだが、それはあくまでも『仙台』の話なのである。もしかしたら日本国民の中には仙台が何県にあるのか曖昧な人もいるのではなかろうか。


 というのは少々自虐的だが、とにもかくにも、『緑』だけがすっぽりと抜け落ちてても誰も疑問に思わない状態で、初回限定盤用のポスターは完成した。恐らくは上記の理由で、最後の砦である色校までもクリアしてしまったのだ。


 そしてそれはそれぞれのカラーに封入され、紫と黄、そして緑も該当キャラなし、ということでロゴパターンが封入されてしまったのである。ちくしょう、緑は『杜都ずん太』の場所だぞ。


 で。


「印刷所の人の中に、たまたま東北出身の人がいたらしくてな、『これ、何で緑がいないんですか?』って。それで発覚したらしいんだ。宮城が抜けてる、ってことに」


 と、届いたばかりの本社便の段ボールに視線を移す。


「で、でも、その段階で気付いたんなら、ウチに一本連絡を入れてくれたら安田のPCからデータを」

「それが、気付いたのは発送の手配を終えてからだったんだ。試し刷りしたやつを、そこの社長がその東北出身の社員に見せたらしい。東北にはこういうキャラクターがいるのか、って。そこで発覚した。その社員は工場勤務じゃなくて、事務員らしくて、印刷の作業にはかかわってないんだ。何もかも終わった後だった」


 そう言って、ハァ――――――、と、課長がひと際深いため息をついた。

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