第4話 我を持て地に満ちよ



「……十一歳オン・ビ


 少年は、照れ臭そうに歳を告げた。


 ウイグル語で発音されたそれは、思いのほか判りやすい。


 くっきりとした目鼻立ちの少年。

 子供のくせにすらりと鼻筋が通っている。


 額は広く、砂漠に住んでいるわりには驚くほど白い。

 そして明るい青の瞳を持っていた。


 ウイグル族はもともとトルコ系の遊牧民族だ。

 だから俺たちモンゴロイドとは、明らかに顔の作りが違う。


 だが最初に来た頃には珍しかった連中の顔も、いまでは故郷である日本の餓鬼とおなじくらいに見なれてしまった。


 トルファンの町は、砂漠の中の小さなオアシスだ。

 そして砂ぼこりと遺跡のほかは、なんの取り柄もない。


 二十世紀末に建てられたというホリディ・インも、アジアからのアメリカ資本の撤退とともに姿を消した。


 そう……俺たちさえ、やってこなければ。


 目の前の少年も、戦争さえ起きなかったら、砂と太陽に焼かれる生涯を、平凡だが穏やかに送っていたことだろう。


 だが歴史は彼らを、数百年ぶりに表舞台へと引っぱりだした。


 以前はモンゴルの帝王が、そして現在は分裂した中国軍閥と結託した東の果ての島国が、まるで同じ目的をもって西の軍勢と対峙している。


 大アジアの平定……。


 それはいつの時代にも、たわけた無想にすぎなかった。


 しかし人間は、いつの時代にも夢を抱かずには生きられない。


 少年は町の郊外……。

 蘇公塔に急遽設営されたアジア連合軍第十二独立重機甲化師団の幕舎に、なにが楽しいのか毎日のように尋ねてきた。


 十八世紀にトルファン郡王蘇来満が建てたという、高さ四十四メートルの日干レンガで出来たモスク……蘇公塔。


 そんな知識などどうでもいい事なのだが、軍というのは妙なもので、好き嫌いに関係なく無理矢理おぼえさせられた。


 なんでも軍事戦略上きわめて重要なんだそうな。


 少年の目的が何かはわからない。


 べつに砂漠戦用の自走レールガンや、機動歩兵掃討用の無人バギーが面白い訳でもなさそうだ。


 第一、そんなもんはちょいと砂漠に出れば、焼けこげた残骸をいくらでも見つけることができる。


 もう、この戦争が始まってから一年以上がたつ。


 戦場はタクラマカン砂漠を転々とし、敵の奴らがカラコルム・ハイウェイから増員されるたびに、俺たちは砂漠の東部へと押し戻された。


 ハイウェイのむこう側は、いまだ奴らヨーロッパ合同軍の領土だ。


 そのせいで俺たちアジア連合軍は、かれこれ三か月もここに釘付けになっている。


「そうか。十一歳ってことは……二一四四年生まれってことだな。あの頃は平和だった」


「チュシェンミディム」


 知らないよ、とい意味の言葉。

 しかし知らない単語だった。


「お前、共通タリム語は喋れないのか。ウイグル語ってのは、どうも苦手だ」


 少年は困惑した表情をうかべた。


 それまでの強ばった表情がとろけるように崩れ、うつむき加減にきょろきょろと周囲を見まわす。


 宙天に太陽が居座るこの時間に、うろつく馬鹿は兵隊くらいなもんだ。


 少年は安心して話を続けた。


「使っちゃいけないって、言われてるんだ」


「なんだ。喋れるじゃないか」

「ウイグルは、ウイグルの誇りを。砂漠の民の誇りを持てって、いつも……」


「わかった、わかった」


 俺は苦笑いを顔に張りつけ、ゆっくりと空を仰いだ。


 殴りつける陽光と、汗をたらすことさえ許さない乾いた大気。


 ゆらゆらと陽炎の立ちのぼる向こうに、白い回廊に囲まれた蘇公塔がのっそりと建っている。


 そして焼けこげた大気を通して、吸いこまれそうな蒼空がのしかかっていた。


 ずっと右手には、炎がそのまま凝固した山々……。


 西遊記で名高い火焔山が、いまも往時そのままの姿で横たわっている。

 遥かな昔に玄奘三蔵が通った道を、いまは軍隊が無限軌道の痕を刻みつけている。


「名前は?」

「ヤズ。おじさんは?」


「オジサンはねえだろ。薄汚れちゃいるけど、これでも独身なんだぜ。ふぅーん、ヤズってのは書くって意味だな? へんてこな名だ。俺か? 俺は川瀬……川瀬龍二っていうんだ」


「カワ・セ?」


 少年は不思議そうに聞き返した。

 聞きなれた漢語の名前ではなかったからだろうか。


「日本人だよ、俺は。川のせせらぎっていう意味だ」


「いい名前だね」


 川と聞いた途端、ヤズの顔が明るく輝いた。


 トルファンには、いたる所に小さな用水路がある。

 道の両脇に、ポプラ並木の樹株を洗うように、絶え間なくせせらぎの音が響いていた。


 砂漠では水は命だ。

 俺たち兵士にとっても、砂漠戦用の戦闘スーツには水が欠かせない。


 内部循環水を利用した生体維持システムなしでは、ほんの数日で完全に無力化されてしまう。


 ふいに少年……ヤズは、「ふうッ」とため息をついた。


 たかだか十一か十二歳。

 日本でいえば小学生の餓鬼にすぎないヤズが、くたびれた老人のようにため息をついている。


 その姿は、妙に俺の神経をささくれ立たせた。


「ぼくも戦いたいなあ」


 ヤズの視線は、俺の抱えている長銃身レーザーライフルに注がれている。


 昼間の砂漠戦では、はなはだ都合の悪い欠陥銃なのだが、ヤズにとってはとてつもなく魅力的に映るらしい。


 俺はうんざりした表情で言った。


「戦うのは俺たちに任せときな。お前は勉強してればいいんだ、名前の通りに」


「でもウイグルの大人も戦ってるんだよ。ウイグル族は戦いを拒まない勇敢な種族なんだ!」


「ああ、そうだ。敵じゃなくって良かったと思ってるよ。お前さんの仲間がゲリラ活動をしてくれるおかげで、俺たちがどれだけ助かっているか……なんせ、ウイグル族と敵のトルコ系の傭兵は見分けがつかない」


 ヤズの勝ち気そうな目が、ほんのちょっときつくなった。


「ぼくたちはアジア人だ。あんなイスラムの教えを破って、ヨーロッパと手を組んだ奴らなんかと一緒にしないでよ」


 でも俺は、仏教徒だぜ……。


 喉まで出かかった言葉を、俺は飲みこんだ。


 そんな冗談を言ったところで何になる。

 戦争には正義も悪もない。


 勝てば正義だし負ければ悪だ。


 しかし子供は、そうは考えない。

 大人に教えられた通り、純真な心に戦争を刻んでいく。


 いつも一番の犠牲者は、紛争地域の子供たちなのだ。

 そしてヤズも、そのひとりに過ぎない。


「集合!」


 熱風とともに、岩城少尉の声が届いてきた。


 短い昼休みは終わった。

 俺は尻の砂を叩き落とし、ヤズに別れを告げた。


 ヤズは硬いコンクリートのような砂の上に立ちつくし、俺が小隊に集合したあとも、無表情のままずっと鳶色の瞳を向けていた。


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