第9話
俺が反応するより早く、喉元に剣先が突きつけられる。剣は置いていったはずだが、ナイフを隠し持っていたようだ。
「無論殺すなんて真似は、まさか。ただこの場所については、私が管理させて頂きます」
「騙したのか」
「案外人の良い事を仰るんですね。あなたは他の方同様、丁重におもてなしいたします」
「外にも出られず、飼い殺しか」
ナイフの剣先が喉に突き刺さり、血の滴る感触が伝わってくる。
「ご案内頂き、ありがとうございます」
「冒険はどうする」
「是非今後ともと言いたいのですが、それも叶わなくなりました」
「楽しかったのではなかったのか」
「そんな時もありましたね」
さらに食い込む剣先。痛みと出血で、視界がはっきりしなくなる。
「・・・・・・ちっ」
舌を鳴らし、俺を突き飛ばす女性。
俺は喉に手を押し当て、無理矢理出血を押さえ込んだ。
「護身用のアイテムは無いのでは」
「案外人の良い事を言うんだな」
「とにかく、すぐに止めて下さい」
「血は止まってきた」
出血の割に傷は浅いようで、すでに固まりだしている。治療は必要だが、致命傷には至らないだろう。
「この音を止めろと言ってるんです」
「単なる警告だ。害は無いから心配するな」
「非常に不快なんですが」
それはこの音がか、それとも今の状況がか。
「俺のバイタルに反応して、スマートウオッチのセンサーが稼働する。ただ実際のシステムは、この世界の魔道具を組みこんでる」
「言っている意味が、少しも分かりません」
「この世界の技術は、俺からすれば宝の山。君の言う、異世界の道具の比では無い」
改めて護身用の道具を幾つか身につけ、指輪を彼女に向けてかざす。
その指にはめてあるのと同じ、この家への転送用のアイテムを。
「ここへ来る方法は教えた。ただ戻る方法は分かるかな」
「この場所がどこだろうと、時間を掛ければ戻る事は可能です。捜索隊もいずれ派遣されるでしょう。それに、ここにある道具があれば」
「そういう都合の良い道具は置いてない。全部、ただの生活家電さ」
俺は扉をくぐり、家の外に出た。
その途端明るい日差しが降り注ぎ、木々の間から潮風が吹き付けてくる。
「・・・・・・ここは」
「君が言うところの、異民族の土地だ。せめてその国と、敵対関係で無ければ良いな」
「私を置いて行くと?」
「今言った通り、ここにあるのは生活家電。それとこの家の周辺には結界が張られていて、食べ物も採取出来るようになっている」
すぐ近くには海もあり、裏手には川。庭は畑になっていて、自給自足で生活出来るような体勢を整えている。
「自力で国を目指すも良し。捜索隊が来るまで、君の望むレアアイテム囲まれて暮らすも良し。願いは叶ったな」
「わ、私はあなたと、共に」
「楽しかったよ」
軽く腕を振り、追いすがる手をすり抜ける。
気付けば俺の姿は、暗闇の森の中。
改めてペンダントを握り、仮の我が家へと戻る。
たまには、この家で休むのも良いだろう。
「・・・・・・よろしいですか」
依頼書と俺を交互に見つめる受付嬢。結局また一人かと言いたげに。
俺は無言で頷き、依頼書にサインをした。
「期限内に依頼を完遂して頂ければ、当該報酬をお支払いします」
「分かった」
「では、ご武運を」
森に入り、薬草を採取。
ついでに前回放置していたレアアイテムを見つけ、それも回収する。
なすべき事は終えたし、早く帰るとしよう。
ギルドへ戻り、薬草の入った袋を受付嬢に提出する。
「無事依頼が完了したようで、何よりです」
普段通りの、事務的な対応。
俺はささやかな報酬を受け取り、受付を後にした。
報酬は依頼書に書いてあった1/10にも満たず、酒の一杯分にもならないだろう。
その足で路地裏へと向かい、寂れた酒場を訪ねる。
「これを」
俺がカウンターに置いたのは、依頼にあった薬草。違うのはわずかに色が濃く、触っていると微かな刺激を感じる。
薬草はすぐに持っていかれ、文字の書かれた紙がカウンターに置かれる。内容はその対価で、莫大な金額と希少なアイテムが幾つか。
俺はそれを預けると告げ、端数となる額だけ受け取った。
ここで飲む気にはなれず、いつもの酒場へ戻って一人酒をあおる。
軽く叩かれる背中。
そちらを見ると100人くらい殺してそうな顔の大柄な剣士が、手にしたジョッキを軽く掲げていた。俺も自分のグラスを持ち上げ、それに応える。
俺が最近女性と連れ立っているのは知っているはずだが、その事を尋ねては来ないし俺も話しはしない。
昨日までここに通っていた冒険者が、翌日には姿を見せなくなるのは良くある事。当たり前で、ありふれた、何よりいつか自分がそうなりかねない日常だ。
少しすると頼んでもいないジョッキがテーブルに置かれ、俺は視線の合った大柄な剣士に改めてジョッキを掲げた。
彼女が今何をしているのかは分からない。単身異民族の国を逃避行しているのか、諦めてあの家で暮らしているのかは。
俺を疑う者もいるだろうが、昨晩は俺の家を訪ねた後でダミーの彼女が家路についている。一応寝室までは辿り着いたはずで、ダミーはそこで消滅。
その後は、ダミーの形を残した抜け殻のベッドが残るだけだ。
ただ王族が失踪したという噂はまだ聞かないので、かなりの傍系。俺達は生涯名前も知らないくらいの存在なのだろう。
家に戻り、例の手順で数度転送。自宅へと辿り着く。
今彼女が住んでいるかも知れない家は、幾つもある家の1つ。そこへの転送ルートはすでに遮断していて、ペンダントも廃棄済み。
自力で辿り着かない限り、彼女がここへ戻る方法は無い。
「ドライヤーは惜しかったな」
風呂上がり、バスタオルで頭を拭きながら一人呟く。無くても困る訳では無いが、合った方が便利なのは確か。
異世界に来てなんだが、文明に毒されてるなとは思う。
彼女の事を思い出しはするし、感情が多少なりとも揺れてはいる。
だけどここに戻って欲しいとは思わないし、その手段も自らの手で葬り去った。
俺にとっての理想は、自分の生活を守る事。この平穏な日々を、いつまでも続ける事。
貴重なアイテムを手放してでも、思い出を失おうとも。
この手に掴んだはずの何かを、永遠に失おうともだ。
了
ささやかな報酬 雪野 @ykino1
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