第4話 奥谷村

「てめえら、ふざけやがって」


 丁度彼がやって来たときは、農作業の中休み。八つ刻やつどきの休憩前、いきなり家へと飛び込んできた男に、清太郎は驚きの中、なすすべなどなく切り伏せられた。


「ちょっと待て、なんだお前。ぐわぁ」

 清太郎は当然だし、清に手を上げていた腐った義母や義父。

 実は、清太郎の父親も、清を手込めにしてやがった。


 そして子ども達。

 面影はあるが、生き残ったって幸せはないだろう。

 家族は居なくなるのだから…… 葛藤を押し殺し、いきなり切り捨てる。

 そう、その時彼は、少し壊れていたのかもしれない。


 目の前から消えていった彼女。

 自身の無知と、自身の辛さから、目をそらした現実。

 愛していた者が、捕まえたと思った瞬間に消えていった悲しみ。


「ごめん。ありがとう」

 あの時確かに、かの女はそう言って、俺のことを見た。

 ものすごく嬉しそうな顔。でも悲しそうでもあった。

 でも確かに、彼女を掴んだ。そう思ったのに、彼女はするりと手の中から逃げてしまった。



 ―― 村の外へ向かう道。昼過ぎのこと。

 彼女が一人になる時を見計らい、声をかけて彼女の手を取る。

 毎日この時間に、村の外へと出かけて明け方帰ってくる。


「清。お前があんな暮らしをしていたなんて、知らなかったんだ。今からでも遅くない。俺と…… 一緒に逃げよう」

 彼女の背後から、左手首を掴み。彼女を引き留める。

 俺は彼女を、そのまま優しく引き寄せる。

 今彼女は、俺に軽くもたれている状態。


 だがかの女は、村の外へと繋がる道を…… 行く先を向いたまま。ただ俺の掴んだ手に、彼女の右手が優しく重なる。

「駄目だよ……」

 そう言って、彼女はこっちを見ようとしない。


 ただ、ぽつりぽつりと語り始める。

「あの時、頭の中ではたっちゃんの事が…… 私を…… 見ていることが分かっていたの。だけど、体があの人を…… あの刺激を欲して…… たっちゃんの事を…… どうでも良いと思ったの。それに…… 翌朝見たの。幸せそうに抱き合って眠るたっちゃんのこと」

 そう言いながら彼女は、自らの足元へ、乾いた道へと涙を落とす。そう村から外へ続く道へ。


 それからも彼女は、彼等夫婦の姿を見たとき、笑顔の…… 幸せそうな千代を自分に重ね合わせ、幸せに暮らす自分を…… 妄想して生きて来た。

 現実の世界を夢だと考え。自身が見る悪夢だとおもい込んで。



「何度も何度もあの人に抱かれて、注ぎ込まれて…… 子どもが出来ないと分かると、義父さんにまで…… 子種だって、下からだけじゃ無く、子どもが出来るかもと言って、嫌だと言っても殴られて、何度も飲まされて……」

 そっと顔を上げる彼女。

 だけどこっちは向かない。


 だが、彼女の涙は止まる様子はない。

 どうしていいのか分からない。きっと泣き顔を見られたくないのだろう。


「村の外に出て、お金と子種を貰ったの。幾人も幾人も。子どもがお腹に居るときにも、義母さまからお金が必要だと言われて、この何年もずっと…… 分かって…… 分かって頂戴。私は穢れてしまったの。あの時…… そう…… 私は死んだの」

 そう言って彼女は、一瞬だけ振り向き、俺に確かに笑顔を見せた。

 口元が動き、言葉を紬ぐ。

 それは一瞬の油断。


 清は、俺の手を払い、いきなり走り出す。声をかけようが止まらずに走っていき、ふらりと道から少しだけそれて、崖から谷へと飛んだ……


 声をかけられて、提案をされたとき…… 彼女は嬉しくて、彼にすがろうと思った。いや、すがりたかった。

 だけど、それは駄目だと考えた。この村では…… だけど、どう心の中で言い訳をしても、なぜだかこの心は、静められない。


 だから、走り出した後、辛くて、物理的に終わらせる道を選んでしまった。

 そう、今。一緒に逃げようと彼は言った。だけどそんな事は無理。

 いま…… この幸せを心の中に抱えて……

 彼はまだ、私のことを思っていてくれた……

 それだけで、私は幸せ。



 俺は河原へ降りた。崖下に立ち上がっている大岩の隙間で彼女を見つけた。

 そして、見てしまった。彼女はまた孕んでいたようだ……

 俺は清だった物。それを、そっと抱きかかえたとき、重さと、抜けていく体温を感じた。そう、彼女を抱きしめながら、何かが壊れた。

 俺は幸せをぶち壊し、彼女を苦しめ抜いた村を壊そうと、奥にある社へと走った。

 そうあの社だ。忌まわしい場所。

 だが、ありがたく本尊である御神刀を、三本もらい受ける。

「何が御劔みつるぎだよ」



 西田家での騒ぎを聞きつけた村人達。

 俺は、すべてを、じゃまする者達を躊躇なく斬り殺した。


 そう村人が、俺を止めるために人質に取った俺の家族。

 俺は、見殺しにした。


 逢魔時おうまがときがやって来る頃に、すべてが終わった。

 所詮は、小さな村だ

 俺は動く人がいなくなった村を一瞥すると、清が眠った河原に向けて歩いて行き、「今行くよ」そう言って、崖から飛び降りた。

 彼女の横に…… 

 向こうで幸せになろうと願いながら。



 ―― 奥谷村の惨劇は、後日発見された。

 だが、町はそのこと自体を封印。

 村の名と共に、すべてが、その日なくなった。

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