3章-3
それから数日たった、ある朝のこと。
「ねぇちょっとユーリ!」
朝議から戻ってきて、自室に入ろうとしたとき、ちょうどエリシアが勢いよく向こうからやってきて強く腕を取った。
「ここ、ユーリの部屋?」
エリシアの勢いに飲まれて、こくこく、とユーリが頷くと、エリシアは勝手にドアを開けてユーリを部屋に引っ張り込んだ。
どちらの部屋かわからないわ。
一瞬ユーリはそう思ったが、それはエリシアもそうだったようで、部屋に入ってから突然慌てたように声を上げた。
「ごめんね、よく考えたら、ユーリって新婚だったわよね?カイル、だったかしら?今大丈夫だった?」
矢継ぎ早の質問にユーリは戸惑う。
「えっと……カイルは今、西の辺境地に行っているので、大丈夫です」
「そうか、いつまで?」
「ひとまず、エリシア様結婚の宴までは、と聞いています」
「そうなのね……よかった……少し話していっていい?」
「散らかってますけど、どうぞ」
嵐のようにやってきたエリシアに圧倒されっぱなしのまま、ユーリは長椅子を指す。
物音に気がついて走ってきたアリスに落ち着くよう目配せをして、お茶の用意を依頼する。
「何かありました?」
改めて椅子に座り、気を落ち着かせてからユーリはエリシアに尋ねる。
「それが……」
いますぐにでも話出しそうだったエリシアだったが、いったん勢いが止まったせいか、話をすることに逡巡を見せる。
そこに手際よくお茶の準備をしたアリスが、他の侍女たちと一緒に、サンドイッチのほかスコーンなどの焼き菓子をを運んできた。
「ちょうど朝議後の軽食を準備しておりましたので、ご一緒にどうぞ」
そう言うアリスにユーリはそっと目配せして、人払いを命じる。
アリスは心得た顔をして、お茶をつぐと侍女たちと静かに退出していった。
エリシアは、つがれた紅茶を優雅に一口飲むと、ソーサーに載ったカップをテーブルに戻し、意を決したように顔を上げた。
「スーイン姉様に隠し子がいるって噂が回っているようなの、今日の朝議で廷臣たち、何かささやきあっていなかった?」
「隠し子??いえ、今朝はまだ……」
「なるほど、宮廷が震源地ではないのか。
では、セザリアンが噂を流したわけではないのかな…」
勢い込んできただけに、想像していた結果と違う答えが返ってきて、エリシアは少しがっかりした様子を見せる。
「エリシア姉様。朝食は召し上がってますか?おなかがすいては、変な考えになってしまいますよ。食べましょ」
陰鬱な表情を見せるエリシアを見かねて、ユーリは元気よく声をかけると、率先してサンドウィッチに手を出す。
「それもそうね」
と言いながらも、どこか上の空でスコーンに手を伸ばし、エリシアは一口かじる。
「えっ。すごくおいしいわ!」
「ふふっ。雪の国王室秘伝のレシピなんです。お教えできませんから、たまに食べに来てくださいね」
「後宮に入ったら、なかなか出ては来れないだろうから、持ってきてね?」
「もちろんです、姉様」
エリシアがスコーンを一つ、味わって食べたことを見て取ると、ユーリはゆっくり口を開いた。
「姉様。廷臣たちは用心深いですから、宮廷で表に噂が浮かび上がるときは、相当噂が回ってからなんです。今朝、そんな話を耳にしなかったからって、廷臣たちが知らない、って証拠にはなりません。
これは雪の国の話ですが、水の国も大差ないと思いますわ」
「なるほど……宮廷を知っているユーリがいるのは、心強いわね」
男子優先の世で、ここまで宮廷の内情を知る女子は、やはりスーインとユーリぐらいだろう。これから先のことを考えると、エリシアは心強さを覚える。
ユーリは一つうなずくと、言葉をつないだ。
「噂が回るのが早いのは後宮や大公宮のほうですから、エリシア様がお聞きになったのなら、噂は回り始めてる、と考えて妥当でしょう」
「そうか……スーイン姉様は聞いているかしら?いずれにせよ、早くお耳に入れたほうがよいわよね?」
「そうですね。ちなみに、隠し子が誰だ、という名指しはあったのでしょうか?」
「最初のほうは『誰だかわからないけど』という枕詞が付いて回っていたけど……とうとう、『サリフが』と誰からともなく言い出して。それでたまらず走ってきてしまったの」
「!」
ユーリも虚を突かれた。
まさか、サリフが名指しされたとは。
誰だかわからないけれど、という形で広まった噂なら、スーイン失脚を狙った噂だが黙殺もできたかもしれない。
だが、サリフが名指しされたとなると......
「サリフの父のことまでばれているとしたら……やっかいなのよ」
「……サリフのお父様?」
少しためらったが、ユーリはエリシアの言葉尻をとらえてみた。
瞬間、しまったと言いたげにエリシアの表情が動いたが、やがてあきらめの表情が広がった。
「そうか、知らなかったわよね。サリフの父はね......」
エリシアは、いったん言葉を切る。重大な秘密を打ち明けようとしているためか、エリシアの唇の端が、わずかながら震える。
「サリフの父はね、アーサー王陛下なの」
ユーリは頭を殴られたような衝撃を感じた。まさかのアーサー王陛下!
口をぽかんとあけて固まってしまったユーリを前に、エリシアは事の顛末を語る決心をつけた。
「できれば、姉様が言うまでは知らないふりをしておいてもらいたいんだけど」
そういう前置きをした後、エリシアは事の顛末を話し始めた。
**
秋の気配が強まってきた頃。
夕食の食卓を家族で囲んでいたとき、スーインは突然、妊娠したかも知れない、と爆弾発言を投下した。
「妊娠?いつの間に?」
エルディオが、その場で最初に皆が思った疑問を代弁する。
そう、確かにスーインは、父から当主の座を引き継ぐべく準備を始めたころで、多忙を極めていた。はたから見ていても、仕事しかしておらず、恋愛している暇がいつあるのだ、という状態だったのだ。
しかし、スーインの妊娠を咎める者は誰もいなかった。
これは右大公家の特殊な不文律による。
血が濃くなりすぎると、いずれ子どもができにくくなることを経験的に知っていたため、王家と婚姻せず右大公に残るものは、わざと外の者と密かに契りを結び、子をなしてきた。
実はスーインも正妃所生の子、となっているが、本当は正妃に付き添って大公宮に上がった侍女の子だ。もちろん、侍女とはいえ、正妃の縁者で中級貴族出身で身元も確かで、正妃も納得ずくだ。長じて正妃は子どもを残せず若くして薨去したので、むしろ侍女には感謝していた。
完全に未婚からの妊娠もないわけではないが、やはり珍しい。が、未婚なら子供の父とさっさと結婚してしまい、月が満ちて生まれてきても「早産で生まれてしまった」と世には発表すればいいのだ。
そんな右大公家だったから、相手を知るまでは、爆弾発言なりにまだ当主である父以下、落ち着いていた。
「相手は?いつ結婚するの?忙しくなるわね」
無邪気なエリシアの発言を聞いたスーインは、苦しげに顔を伏せる。
その動きで、まだのんきだった食卓の空気が一変した。
「結婚できない相手か?」
右大公が重い口を開く。
「はい」
「誰なのだ」
簡潔だが有無を言わさない右大公の言葉に、スーインは決然として顔を上げ、口を開いた。
「アーサーです」
「あっ……!!」
「王太子?!」
「アーサー……」
驚き方は三者三様ではあったが、間違いなく、この家族の歴史の中での最大の大爆弾が破裂した瞬間だった。
そこからいち早く立ち直ったのは、長年生きて豊富な経験を持つスーインの父である右大公だった。
「お前は、その子をどうしたい」
「産んで育てます」
「だがその子は政治上の火種になりかねない。それでも産むのか」
右大公は、強い威圧とともに、スーインの目を見て静かに問う。横で見ていたエリシアやエルディオが耐えられないような圧だったが、スーインは正面から視線を受け止め、静かに答えた。
「産みます」
一瞬、だが永遠にさえ感じたその時間を、スーイン、エリシア、エルディオは固唾をのんで右大公の回答を待つ。
「よかろう。わかった。全面的にバックアップしよう」
右大公の宣言。
その瞬間、重苦しい威圧感は去り、場の空気は緩む。右大公の宣言は喜ばしいものだが、しかしその先は誰がどう考えても茨の道。緊張感はまだ漂う。
「西の辺境の町にうちの小さな離宮があるな。お腹が隠せなくなってきたら、そこへ行け。ちょうど火の国が不穏な動きを見せておる。敵状視察の逗留とすればよかろう。産後一ヶ月までそこにいるのだ」
スーインが重々しく頷く。
「生まれた子は、エルディオ。そちの庶子ということにするのじゃ。身元の確かな適齢期の女子をそちの側妃として見繕う。彼女の地元をあの地方とせよ。里帰りして出産したこととし、赤子が王都に戻るときはその側妃と一緒に戻るのだ」
自分の子としては育てられない。分かってはいたが、こうなってみるとエルディオの人生を相当曲げてしまうことでもあることに気が付き、スーインはエルディオに揺れる視線をむけた。
エルディオは、そんな姉の気持ちを察し、すぐに口を開いた。
「思いがけず早い結婚と子どもですが、庶民とすれば、これぐらいで結婚するのは当たり前と聞きます。これもまた、王家を支える大公家の人間の務めと思いますから、姉上、お気になさいますな」
「エルディオ……すまない」
「エリシア。出産の前後のスーインのサポートと、赤子の帰還の手配をしろ」
「……はい」
エルディオに比べると負担の少ない話に聞こえて、わたくしは無能と思われているのかしら?と、エリシアは幾分不満を覚える。
「エリシア。そなたは、生まれながらに王妃候補だ。今ここで極秘出産の当事者と誤解されたら、将来王家はもちろん、どこにも嫁げなくなるぞ。気を引き締めるが良い」
「はい!」
「生まれてくる子供が男子であったら、やはり中の姫の
こうして、炸裂した大爆弾は、右大公家の強い絆で秘密裏に回収されることが決まった。
スーインは淡々と政務と騎士団長の務めを果たし続けた。
右大公は、南方辺境の地出身の中級貴族に当たる娘を、スーインより一足早く南方の辺境に送った。
スーインは衣装でおなかをごまかせなくなると、南方辺境の防備の視察という名目で、旅立った。
エリシアはエルディオと力を合わせ、急な赤子誕生の準備と、迎え入れ体制を整えた。
そうして臨月。
エリシアは、赤子帰還の準備のため南方辺境の地に降り立ち、そこにイフラームがいることを見つけ、仰天する。まだ当時は、昏睡から目覚めてはいなかった。
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