3章 沈黙の哭《こく》

3章-1

 翌日。

 念の為、弔慰を示すのは雪の国と同じ黒であることをサラに確認し、ハンカチを入れる懐が十分に深い黒の喪のドレスをアリスに用意してもらった。

 午後のお茶の時間を終えて、衣装を着替える。


「カイル、支度は終わった?」


 居間で身支度をしているらしいカイルに向かって、ユーリは声をかけた。

 そう、ユーリはカイルを外へ引っ張り出すという難題を解いてみせたのだ。


 カイルを伴って入ってきたユーリの姿をみたスーインの驚きで見開かれた目が、それがいかに難題であったかの何よりの証明だ、とユーリは思った。

 ちょっとした誇らしさを胸に、ユーリはカイルの横顔を見上げた。




 死を悼む宴ゆえダンスなどの派手なものはないが、死を悼む杯は挙げられ、粛然とした雰囲気で宴が始まった。


 威厳の奥に微かに悲しみを宿すアーサー王、不機嫌な気配を隠そうともしない左大公セザリアン、そして何も語らぬ無表情の女大公スーイン。

 かつては互いに切磋琢磨し、同輩として並び立っていたと言われる三人だが、今この場に並んだ姿を見る限り、とてもそうは思えない。

 まとっている空気も、目線の先も、それぞれまるで別の世界を見ているようだった。

 ――今では、それぞれに課された責任も、背負うものの重さも、まったく異なるということなのだろうか。

 そんな思いを胸に、スーインは黙々とカイルの皿に料理を取り分ける。

 宴を嫌う彼を無理に連れ出した以上、その後の責任は自分が引き受けるつもりだった。

 だが、周囲の視線はどこか温かく、どこか面白がっていて――まるで「新婚夫婦のほほえましい光景」を眺めているかのようだった。

 内心、少しだけ憤慨する。これは義務であり配慮であって、惚気ではない。

 けれどもちろん、そんな感情は微塵も表に出さず、スーインは完璧な笑みと所作で、見送る宴にふさわしい優雅な社交を演じ続けた。

 宴はしめやかに滞りなく進んでいたが、突然の悲鳴が空気を切り裂いた。


「王女!」


 第一王妃、アスリーアの腕の中で、彼女の第二王女が口から泡を吹いてぐったりしている。


「医官を!」


 続いてアーサーの声。


 ――まさか、この厳粛な宴の最中に、再び王の子どもたちを狙うつもりなのか?

 あまりにも大胆すぎる。常軌を逸している。

 信じがたい思いに、ユーリは一瞬、目の前の景色が揺らいだような錯覚に陥った。足元がふらつき、カイルの腕にしがみつく。



「カイル……詳しく話す時間はないけど、これははかりごとよ。これからわたくしが何をしても、信じてね」

「わかった。気をつけろ」


 アーサーとアスリーアの席に駆けつけるユーリの後を、カイルは警戒しながらついて歩く。


 ユーリがアスリーアの元に到着する寸前、別の人物が駆けつけた。アスリーアの妹で、第二王妃のゼスリーアだ。


「第二王女!これを飲んで吐いてくださいまし!」


 ユーリはゼスリーアの手の中にある飲み物を見て、思わず叫んだ。


「駄目です!棗椰子なつめやしの蜜はだめ!」


「ユーリ……そなたは処置がわかるのか?」

 ゼスリーアに数拍遅れて到着したユーリを見やり、アーサーは努めて冷静に尋ねる。

「はい、わかります!

 誰か!急ぎ御膳局へ行き、薄荷の絞り汁をもらってきてください。匙一杯あればよいです」

 ユーリは確信を持って答えるが、アーサーはまだ知り合って日の浅い彼女を信じるべきか気持ちが揺らぎ、思わず彼女の夫、カイルに視線を投げる。


 目があったカイルは深く頷く。騎士団副団長、カイル。彼のことはよく知っているし、武人の彼なら、こういう場で請け合うことは首をかけることだと知っているだろう。


「誰か!薄荷の絞り汁を早く持て!」

 ユーリの言葉に権威を与えるべく、アーサーも続いて薄荷の絞り汁を指示する。

「陛下!時間がもったいのうございます。吐かせないと毒が周りますわ。急ぎませんと!」

 なおも言い募るゼスリーアに、少し冷静さを取り戻したアーサーが冷たく言い放つ。


「そう言えば、そちは王子の時も食べたものを吐かせようとして、失敗したではないか。同じ轍を踏むわけにはいかない」

「そ、それは処置が少し遅かったせいですわ、そうですわ、だから急ぎませんと!」

「黙れ!」

 アーサーの覇気のある声にその場が静まりかえる。


 ちょうどタイミングよく、一人の侍女が薄荷の絞り汁を持って駆け込んで来た。

 アスリーアが絞り汁を受け取り、震える手で第二王女に飲ませる。

 周囲の人々がかたずをのんで見守る中、ほんの十呼吸ほどの時間の後、吹いていた泡が収まり、荒かった呼吸も平静に戻る。


 その様子を見守っていたユーリはほっと一息つく。

「アスリーア王妃殿下。峠は越えました。大丈夫です。このまま寝かせてあげてくださいまし。

 今後数日は、薄荷水をこまめに飲ませてあげてくださいまし。大量である必要はありません。一口でよいのです。ただし、なるべくこまめに、なるべく新鮮なもの、でお願いします。薄荷水は、そうですね、一刻もしたら新しいものに取り替える必要がございます」

 ユーリはアスリーアを刺激しないよう、深く礼をとって奏上する。


 喪のベールをかけたその姿からは、はっきりとしたことは分からない。だが、アスリーアの顔には深い憔悴が刻まれ、目元には数えきれないほどの涙が流れていた。

 何度も小さく頷いた後、アスリーアは第二王女を乳母らしき人物に静かに渡すと、アーサーにほんの一言、二言囁き、第一王女の手をつなぎ、ただその場を後にしていった。

 その後ろ姿には、言葉にできないほどの重みと孤独がにじんでいた。


「皆のもの。騒ぎを起こして申し訳ない。本日の宴はここまでとする。」


 アーサーはよく通る声で広間中に宣言すると、ゼスリーアに目を向け、冷たい声で言い放った。

「ゼスリーア。ここ数日は部屋で謹慎しろ。追って沙汰する」

「なっ。わたくしが何をしたと言うのです!」

 しかし気の強さで知られるゼスリーアは簡単には引かない。

「それだけ騒げば十分だ。控えよ」

 アーサーの眼光が鋭くなり、さすがのゼスリーアも引き下がる。ユーリを睨みつけることだけはしっかり行い、自らの侍女たちを引き連れて騒々しく退出していった。

 それを合図に、他の者たちも潮が引くように退出していく。


 そうしてその場にアーサー、ユーリ、カイル、そして少し離れてスーイン、セザリアンが残った。


「ユーリ……知っておったのか?」

 声をかけるスーインの声が厳しい。知っていて黙っていたのは、ある意味罪だから、だろう。


 ユーリはその場で深く礼を取る。

「お答えします。今回の騒動を引き起こした毒草が運び込まれたことは存じておりました。しかし、大人にとってはどうという毒性のあるものではございません。動機も目的もわからぬまま、騒ぎ立ててもと思い、静観してしまいました。判断を間違え、申し訳ありません」

「いつ知った」

 ユーリは顔を上げ、スーインの顔をまっすぐ見つめる。

「女大公殿下、昨日にございます」


 様子を見ていたアーサーが、スーインの機制を制して口を開いた。


「よくわかった。確かに、まだ水の国に来て間もないそなたが、昨日の今日で目的も動機も分からぬまま、その程度の毒草を見つけたと言って騒げば、そちらの方が怪しかろう。報告がなかったことについては、不問とする。しかし、なぜすぐにどのような毒が使われたかを理解した?」


 スーインとカイルは、場からユーリの責を問う雰囲気がなくなったことを悟り、わずかに肩の力を緩める。ユーリも礼は取ったままではあるが、顔は上げてアーサーに答える。


「王太女時代は暗殺の不安がございましたゆえ……通常の食事に混ぜることが可能な毒物はかなり調べました。見分け方と、解毒方法を。ですから、食事に混ぜる毒の大方は知っていると思います」

 さらっとユーリは答えるが、なかなか過酷な話に、一堂思わず息を呑む……セザリアンを除き。


 アーサーがいち早く立ち直り、質問を続ける。

「して、今回の毒はなんなのだ」

「影光草にございます。毒としての特徴から、幼生草として知られている場合もございます。大人が食べても通常さしたる害はございませんが、未発達の幼児では、自力では解毒できぬ毒素を発します。症状は、食した量に依存します。大量に食べれば、幼児には死の危険もある毒物です。ですから、すぐに吐かせる処置も間違いではないのですが……棗椰子なつめやし蜜の甘露汁だけはいけません。棗椰子なつめやしの蜜は、影光草の毒素を強めます」


棗椰子なつめやし蜜の甘露汁……」

 スーインが眉をひそめてつぶやく。



「なるほど、あいわかった。……スーイン……」


 苦渋の表情を見せたアーサーがスーインに声をかける。と、隅で成り行きを傍観していたセザリアンが、アーサーの意図を察したのか、険しい顔で割り込んでくる。


「待て。ゼスリーアを疑うのか。であれば、調査は左大公家に任せてもらいたい。狙われた王子も王女も左大公家の血縁だ」

「セザリアン……気持ちはわかる。しかしこれは、血縁内で調べるのはよくない。調査はスーインが適任だ。スーイン、調査を頼む」


 割り込んだとて、無理筋であることは薄々承知していたのであろう。セザリアンは舌打ちを一つ残し、荒々しく広間を出ていった。


 無表情でそんなセザリアンの後姿を見送ると、スーインは口を開いた。

「承知つかまつりました……ユーリ、カイル、戻るぞ」


 三人は礼を取り、広間を出ていった。

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