三好とお参り

おいでだぁこ

短編 三好とお参り

賃貸の契約更新の時期が来た。

「なんとなく住みにくいから」と、三好は契約を更新せず、引っ越すことにした。


大学から程よく離れていて、バイト先には近い。田舎すぎず、都会すぎない。最寄りの駅からバスで十五分。知り合いは数駅先に住んでいるから、ばったり会うこともない。

そんな場所に、三好は心惹かれた。


費用は嵩んだが、これまでに貯めてきたお金で引越し業者に荷物を運んでもらい、三好はお気に入りのクリーム色のスクーターに乗り、一足先に新しい家へと向かった。


築十数年、八畳一間で家賃も良心的。この部屋が今日から三好の城だ。


業者により、それほど多くない荷物が運び込まれ、冷蔵庫や洗濯機、大きな家具を設置してもらい、部屋には三好だけになった。


あらかた整理が終わり、まだカーテンのついていない窓から外を見れば、段ボールを開け始めたころは真上にあった太陽が傾いていた。


その後、カーテンもつけ終わり、休憩も兼ねて、街を散策することにした。


黒いパーカーにジーンズ、白いスニーカーと、ラフな格好で外に出る。

ちょうど、近くにあるらしい中学校の下校時間と被ったらしく、学ランとセーラー服の集団がチラホラ見えた。

三好はとりあえずその流れに乗って歩き始めた。


——しばらく歩いていると、いつの間にか子供達の姿はなくなっていた。進行方向にはマンションやコンビニも消え、古い民家ばかりになってきた。


うろつかせていた視線を戻し、ふと前を見ると、小さな山の中に鳥居と階段が見えた。


三好は地元にあった神社を思い出し、行ってみることにした。


長く急な石段に若干息を弾ませ着いた先には、赤色が剝げ、足元が腐り始めている鳥居と所々欠けている狛狐があった。それでも拝殿周りはきれいにしてあるので、誰かが手入れしているのだろう。


なんだかシンと静まる空間に「おじゃましま~す」と声をかけ境内に入った。


三好は、小銭はあったかと財布の中を確認すると、5円玉を取り出し賽銭箱に向かって投げた。

5円玉は放物線を描き、カランカランと音を立て、落ちていった。鈴をガシャガシャと鳴らし、二回お辞儀をして、パンパンと手を打ち合わせ、目を閉じる。


まあ、特に願い事も何も無かったので、取り敢えず挨拶をすることにした。


「はじめまして、三好です。今日からこの街に住みます。いろいろ頑張るんで見守っててください。よろしくお願いします。」


誰もいなかったので、声を出しながらつらつらと話した。

最後にもう一度お辞儀をして、顔を上げる。

拝殿に背を向け、何もない小さな境内を見渡す。

ふぅと息を吐いた。


「五円分だけ、休ませてもらおかな。」


三好は長い石段の一番上に腰を下ろした。

少し肌寒いが、心地よい風が境内を通り抜けていく。

鳥居の向こうには、さっきまで歩いてきた道が、陽の光に白く滲んで見えた。


昔もこうしていたなと三好は小学生の頃の記憶を思い出した。


「神様はいつも見守ってくださるから、悪いことはしちゃあいかんよ。」


おばあちゃんが度々三好に言い聞かせた言葉だ。


おばあちゃんは、信心深い人で、老体ゆえに毎日とはいかないものの、週に三回は近くの神社へ足を運び、参拝していた。三好はいつもそれへついて行き、一緒に長い石段を上った。


おばあちゃんはよく、三好を外に連れ出してくれていた。

買い物にも、神社にも、少し遠い公園にも。

その時間が三好にとって一等好きな時間だった。


三好には放課後に遊べる友達はいなかったから。


授業参観も運動会も、来てくれるのはいつもおばあちゃんだけ。同級生の前に現れるのはいつもおばあちゃん。

そんな三好を同級生たちは、からかった。

それが次第にエスカレートして、いじめに変わった。

幸いだったのは、暴力がなかったことくらいだった。


おばあちゃんは少し厳しい人だった。

何でも「自分でやってみなさい」と言った。

でも、できたあとにはいつもお菓子をくれ、笑顔で褒めてくれた。


おばあちゃんが病気になり、入院してからは毎日病院にお見舞いに行った。おばあちゃんの代わりに、神社にもひとりでお参りに行った。

おばあちゃんに散々のように覚えさせられた作法を守って、毎回律儀にお願い事を神様に伝えていた。


やがておばあちゃんは亡くなった。


そして、いじめられることはなくなった。

いつものようにからかってきた同級生に、「おばあちゃんならもう死んでしもたわ!」と泣きながら怒った三好が殴り合いの喧嘩をしたからだ。

先生に止められ、この時ばかりは飛んで帰ってきたお母さんには怒られた。不貞腐れたまま、口だけの謝罪をして帰った夜、三好は熱を出して寝込んだ。


おばあちゃんが恋しくて、寝ても起きてもずっと泣いていた。

その間お母さんはずっとそばにいてくれた。


久しぶりに行った学校では、先生の前で同級生に謝罪された。それでも結局、放課後に遊ぶことはなかった。


また、いつも通りの放課後が始まった。

三好は毎日神社に通い始めた。


学校帰りに駄菓子屋に寄ってお菓子を買い、その足で、長い石段を上る。

一円玉を賽銭箱に投げ入れ、「おじゃまします」と声をかけた後は、お願いごとをするでもなく、石段の一番上に座って、ただ時間が過ぎるのを待った。


両親の帰りが遅く、誰もいない家にひとりでいるのが嫌だったから。


中学生になってからは、部活に入り、友達もでき始め、神社に行くこともなくなった。初詣も友達に誘われ、大きな神社に行った。


それから三好は、神様はいればいいなぐらいに思うようになった。おばあちゃんがいた頃だって、何かが叶ったことは終ぞ無かった。

しかし、どうしても神様がいないとは思えなかった。


それは、あの神社で狐に出会ったからだ。


「おばあちゃん、あっこに狐おるで。」


三好が、繋がれたしわだらけの大きな手を興奮気味に引っ張ると、反対の手で頭を撫でられた。


「狐は神様の使いやから大事にせんといかん。むやみに近づいたり、触ったらいかんよ。」


「分かった。」


残念そうにしぼんだ声に、おばあちゃんは頭を撫でながら笑った。


そのあとも狐は度々現れた。その度におばあちゃんは拝んでいた。三好も真似をして手を合わせた。

金色の瞳はいつもそれを見ていた。


三好は図書室で狐について調べるくらい狐のことが気に入っていた。だが、ひとりで通うようになってから、狐の姿を見ることはなくなった。


しかし、ある日いつものように石段に座り、宿題をしていると、ぱったり見たくなっていた狐が現われた。けれどもその体は、あの頃よりずいぶんとやせ細っていた。それでも、あの金色の瞳は変わっていなかった。


三好は我慢できずに、その日食べようと思っていたクッキーを持って、ゆっくりと近づいた。狐がピクリと動いたところで足を止め、そっとクッキーを置いて、その日は家に帰った。

次の日、神社に行くとクッキーは無くなっていた。三好は少しうれしい気持ちになった。そして、その日もまた狐が現われ、三好はまたクッキーを置いた。

三日目からは、家にあったリンゴを一つ持って行くようになった。


それが一週間ほど続いたある日、現れた狐はそろそろと三好に近づいてきた。三好は座ったまま、その様子を息をのんで見つめた。

やがて、狐が三好の手の届く距離に来た。三好はランドセルからリンゴを取り出して、目の前にそっと置いた。狐は三好をじっと見つめると、リンゴを器用に咥えてもと来た方へ帰っていった。

それからというもの、日に日に距離は近づいていった。

ついには心を許したのか、狐は三好のそばでリンゴを食べるようになり、半分ほど食べ終わると、そのまま丸まって眠るようになった。そして三好が帰ろうと立ち上がると、狐も目を覚まし、リンゴを咥えて去っていく。


ある日、三好はリンゴを食べている狐に話しかけた。


「狐くん。リンゴあげてること、神様には内緒やで。」


狐は分かっているのか、欠伸をひとつして、丸くなった。


三好が神社に行かなくなるまで、一人と一匹の静かな日々は続いた。


——三好が思い出に耽っていると、そのとき、茂みがガサリと音を立てた。びくりと肩を振るわせ、音のした茂みを見つめていると、再びガサリと音を立て、一匹の狐が現れた。


「……狐や。」


こちらに気づいたのか、狐は三好をじっと見つめている。

その金色にも見える瞳と目が合った瞬間、胸の奥が少しだけざわついた。

初めて会うはずなのに、どこか懐かしい気がした。


狐は目をそらさず、垂れた尻尾をゆっくりと振っていた。


三好は小さく息を飲んだ。


「君……もしかして、あの神社の子?」


自分の口から出た言葉に、思わず苦笑がこぼれる。


「……ははっ、そんなわけないか。」


三好はまた昔のことを思い出した。

――図鑑で調べた時は寿命なんて気にしていなかったけれど、

野生の狐なんてせいぜい五、六年だろう。

それに、あの神社はここからだいぶ遠い。

似ている気がするけど、きっと気のせいだ。


狐は変わらず三好を見つめていたが、しばらくするとふいに背を向け、森の奥へと駆けていった。

カサリと揺れて居場所を教える緑もすぐに見えなくなった。


三好はその姿をしばらく見送っていたが、やがて小さくつぶやいた。


「行ってもうた……」


静まり返った境内に、自分の声だけが残る。


しばらく風の音を聞いてから、立ち上がった。


「私も帰るか。」


西の空はすっかり赤く染まり、階段に影が長く伸びていた。


帰り道、コンビニに寄って、夕飯と明日のパンを買った。

新しい部屋に戻り、簡単に食事を済ませる。シャワーと浴びて、スキンケアをし、髪を乾かした後は、前の家から持ってきたベットに潜った。

明日は朝から市役所へ行って、夕方にはバイトがある。

片付けも終わらなかった。

やることを頭の中で整理しながら、三好は電気を消した。


今日あったことを思い返す間もなく、眠りに落ちた。



——三好は夢を見た。

小学生の自分がおばあちゃんと並んで神社へお参りしている。

しかし、なぜか夢の視点は三好を地面から見上げているようだった。


視点の主は、三好たちが去った後、静かに拝殿の奥へと向かった。

そして本殿の扉をするりと通り抜け、中に入った。


「白祢様! 今日も彼女らがお参りに来てくれましたよ!」


視線の先には、白い小袖に淡く金の光を帯びた狐色の羽織をまとった男が座っていた。年の頃は分からない。長い黒髪は肩で結ばれ、金の瞳がこちらを穏やかに見つめている。


「ああ、見えてたよ。」


「お加減はどうですか?」


「うん、いつもよりは少しだけいいかな。」


「左様ですか! また来てくれるのが楽しみですね!」


「せやねぇ。」


男は微笑んで、こちらに手を伸ばした。

その指先が触れそうになった瞬間、


——三好は目を覚ました。

スマホを見ると、朝の七時だった。

本当は八時に起きるつもりだったが、外もすっかり明るい。

仕方なく布団を抜け出し、カーテンを開けた。


夢に出てきたあの男――あれは、いったい誰だったのだろう。

まぶしい朝日に目を細めながら、三好はしばらく立ち尽くしていた。



どうにも気になった三好は、もう一度昨日の神社に行くことにした。

一時間早く起きられたので、時間には余裕がある。


昨日より冷え込んでいたので、ウィンドブレーカーを羽織った。

駐輪場からスクーターを出し、昨日と同じ道を走る。

昨日は二十分かかった道もスクーターなら十分ほどで着いた。


階段の下にスクーターを止めて、また少し息を切らせながら石段を上った。

鳥居をくぐり、拝殿の前に立つ。

五円玉を賽銭箱に投げ入れる。

カラン、と澄んだ音がして、続けて手を合わせる音が静かな境内に響く。

昨日より少し強く手を合わせた。


「おはようございます。」


それだけ声に出して、三好は目を閉じた。

やがてゆっくりと目を開け、最後に一礼すると、また昨日と同じように辺りを見渡した。


しばらくしても狐が現われることはなかった。


石段を下り、スクーターに戻ると、

座席や足元に松ぼっくりや野花が散らばっていた。


「なんやこれ……。」


三好は首をかしげて、それをつまみ上げた。


「いたずら?」


三好はとりあえず、スクーターに散らばった野花を拾い集めた。

そばの茂みがカサリと音を立てた。

三好はビクリと肩を震わせた。



そして、これが誰の仕業なのかすぐに思い当たり、口元に自然と笑みが浮かんだ。

三好は周りに散らばった松ぼっくりやきのみもすべて拾い集め、上着のポケットに入れた。


ヘルメットをかぶり、もう一度神社を見上げる。

鳥居の向こうで、風が木々を揺らしていた。

ふと、陽の光を受けて、何かがきらりと揺れた気がしたが、もうそれを確かめようとは思わなかった。


スクーターに跨り、エンジンをかけながら、三好はぽつりとつぶやく。


「また、お参りに行くのもいいかもしれんな。」


エンジン音がその声をさらい、朝の空へと消えていった。


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