私の、愛する家族

青居緑

第1話

なぜか、家族が他人のような気がしていた。


いつからだろう。思い返そうとしても、わからない。だけど、食卓を囲んでいる時の空気感、他愛のない話の不自然さ、ほんの少しずつ今までと違うというズレがあった。そしてそのズレは少しずつ広がって今は、私の家族はまるでモンスターだ。


私の家族は、四十六歳の父、四十五歳の母、中一の妹、そして高二の私の四人だ。


仲の良い家族だった。父は抜けてるがいつも優しくて、母はその分しっかりしてて頼りになる。妹はおしゃべりが大好きで、ちょっとうるさいくらい。幼い頃は、父の車でよく遠出した。最近はもっぱら近場のカレー屋さん巡り。でも父は方向音痴で、頼りになるはずの母は地図が読めず、いつも辿り着くのが大変だった。マメな母はみんなで食べたカレーの写真をファイルにして、それを妹がシールやスタンプでデコった。大好きな家族だった。




「ママ、今日の夕飯は何?」


「今日は、カレーよ。今日の肉は美味しいわよ」


それだけならごく普通の会話。私はソファに座って、キッチンで交わされる、母と妹の会話に耳を澄ませる。


声の一つ一つにノイズが入っている。私にはわかる。振り返ったら、きっといつもの母と妹がいる。騙されてはいけない。言い聞かせる。


「楽しみ!美味しい肉って?」


妹の声はスピーカーを介しているみたいだ。


「パパの太ももの肉よ」


「わあ、楽しみ。でもパパはお肉切って大丈夫なの?」


「大丈夫よ。両足から少しずつだから」


聞いているだけで、吐き気を催す。香ってくる煮汁の匂いがなおさらだ。握った手がガタガタと震える。


私は勢いをつけて、キッチンを振り返る。そうすれば、奴らの本当の姿、本性が見られるかもしれないと思って。しかし目に入るのは、やはり母と妹なのだ。そして、くつくつと煮ている鍋。あれに父の肉が入っているというのか。


母と妹は、まだ話している。会話の途中に、ゴブゴブと変な音が混じり始めている。ソファから見つめる私を気に留める様子はない。

その時、ドアが開いて、父がリビングに入ってきた。少し歩きにくそうにしている。


「おー、作って、るのか。いい匂いだ、な」


不自然に途切れがちな声。笑顔はどこか面が張り付いたよう。


「パパのお肉の煮える匂いよ」


「ねえ、ママそれより」


そして、三人は声を顰め話始める。途切れ途切れに私の名前が聞こえる。


「……、美咲を……」


「そうだな、……こそ」


「もう、時間が……」


私は苛立ち、立ち上がる。キッチンの三人に向かって歩く。負けるもんか。この偽物なんかに。


「私がなんだって言うの?」


三人はハッとした顔をして私を見た。いつからそうなのか、みんなの顔が黒ずんで見える。そして今にも崩れそうな。


「ひっ」


「ああ、ごめんなさい。大丈夫よ。美咲」


「何が?何が大丈夫なの」


声が震えている。鍋の煮汁が沸いて、蓋がガタガタ音を鳴らしている。

私は一歩後ずさった。


「お姉、何か変だよ」


「そうだ。明日は美咲の肉を少しもらおうか」


父の提案に、母は包丁をとる。


「いいわね。ちょっと来て、美咲」


呼びかける母の目はどこか不自然で、こぼれ落ちそうだ。

黒ずんだ肌、崩れそうな顔。

三人の呼吸から、臭気さえ漂ってきそうだ。


これは、私の家族なのか。


「いや。来ないで!あんたたちなんか家族じゃない!」


私は振り返り、リビングを飛び出す。綺麗に整えられた玄関には、靴が一足もない。構わない。このまま出よう。


私はドアレバーに手をかける。

ただ押し開けるだけなのに、うまくいかない。

ふうっふうっと途切れる息が詰まりそうだ。


「美咲」


後ろから、父の呼ぶ声。


「やめて、私の家族を穢さないで!」


涙が溢れた。どうしてこんなことになったんだろう。

あんなに大好きな家族が、どうして。

でも今は、とにかく逃げなければ。

もう一度レバーを押すと、今度はすんなりとドアが開く。


私は靴下のまま飛び出す。

眩しい光が、開いたドアの向こうから入り込む。

それから、


「さよなら、美咲。元気で」


光の包まれながら、いつもの三人の声が聞こえた、気がした。





目が覚めると、私は病院のベッドに横たわっていた。手も足もうまく動かないし、身体中打ち身や骨折だったらしい。そして、私は二週間ほど意識がなかったのだと、聞かされた。


家族でカレーを食べに行った後の交通事故。対向車線を飛び出して来たトラックに正面衝突をした。


父と母、妹は亡くなったのだと、後に告げられた。私も危なかったらしい。


目が覚めた私は、少しずつリハビリをして、もう来月には退院だ。住んでいた家は売って、母方の祖父母のところに身を寄せることになった。


時々、意識を失っていた間の悪夢を思い出す。

あの夢の家族は、本当の私の家族だったのではないか。

私を現実に引き戻すために、あんなことをしていたんじゃないかって。

だって、私の大好きな家族だから。


「北川さん、リハビリの時間ですよ」


私はすっかり慣れた車いすに移乗して、ベッドサイドに置いた写真立てを見る。

そこにあるのは、春にみんなで桜を見に行った時の家族写真。


一人になったけど、私はがんばるよ。

遠くで見ていてね。


写真の家族は、キラキラと笑っている。

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私の、愛する家族 青居緑 @sumi3_co

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