一日に五人以上と会話する校則

武市亜由美

第1話

二〇四五年。


朝の通学電車の中、私は長いシートの端に座ってスマホ画面を見ていた。

前後の大きな窓からは、水色の空や、春の明るい陽射しを受けた木々の緑が楽しめるのに、乗客の誰一人として窓の外など見ていない。

この女性専用車両には同じ高校の女子生徒が何人もいたけれど、全員、同じように自分のスマホ画面を見つめている。斜め前に立っているのは隣のクラスの中村花音(かのん)ちゃんだ。

花音ちゃんとは去年のクラスが同じで、彼女は学級委員をやっていた。コンタクトが苦手なのか今どきまだメガネ派で、体型と同じような細いフレームのメガネを愛用している。

私が空席に座って顔を上げ、花音ちゃんはつり革を握って前を向いた時、お互いの存在に気づいて微笑み合っただけで、その後は声をかけることもなく、それぞれスマホを取り出して、[マイAI]とチャットを始めた。

さっきから私は脇の下や背中だけじゃなくて、額と目の下にも汗をかいているのが気になっていた。せっかく塗ってきたUVカット乳液が流れてしまう前にと、スマホに文字を打ち込む手を止めて、セーラー服の袖で額と目の下の汗を押えた。

エアコンは一応ついているみたいだけれど、混んでいるので余り効いていない。まだ四月なのに今朝の天気予報では、今日の最高気温が二十八度とか言っていた。ウチの高校の衣替えはゴールデンウイーク明けから五月末までなので、それまでこの冬服で過ごさせるのはさすがに酷だと先生たちも思ったのか、数日前から教室のエアコンも稼働し始めた。

女性専用車両のエアコンも風量を上げてくれたのか、顔に涼風が当たって気持ちよくなってきた。肩で切りそろえた髪が乱れて、授業中に使うヘアピンを持ってくるのを忘れたことに気づいた。俯いてノートを書くと髪が邪魔で気になる。もうショートにしてしまおうかなといつも思うのだけれど、そうするとマメに美容院に行って整えないとすぐに伸びかけの変なスタイルになるし、濡れたまま寝ると寝癖で跳ねるから、ドライヤーしないといけないのが面倒くさかった。

髪型のことはまた後回しにする。気を取り直して、マイAIの[Bestie(ベスティ)]に文章で話しかけた。

ちなみにベスティとは私がつけた名前で、親友と言う意味だ。

「ベスティ? 昨日は[良い歯の日]にちなんだ話題と質問を考えてくれてありがとう」

ベスティ「どういたしまして。会話はうまくいきましたか?」

「おかげさまで」

ベスティ「今日も、何かお手伝いできることはありますか?」

「うん。ところで、今日は何の日?」

ベスティ「地図の日です」

「じゃあ、それにちなんだ今日の質問も、考えてくれる? いつも通り、少しでも悪口や自慢に聞こえない、無難な質問をよろしく」

ベスティ「わかりました。それではストレートに、こういうのはいかがでしょう?

『わたし、さっき知ったんだけど、今日は地図の日なんだって。〇〇さんは知ってた?』

 〇〇には相手の名前を入れてくださいね。

 これなら、相手が『知ってた』と答えたら、理子さんは『そうなの? 詳しく教えて』と言えばいいし、『知らない』と言われれば、『じゃあいっしょに調べよっか』と言って、わたしに聞いてください。そしてわたしの答えを相手といっしょに読めば、理子さんが知識自慢をしていることにはなりません」

「わかった。ありがとうベスティ!」

ベスティ「どういたしまして」


 一時間目の授業が終わりに近づくと、クラスのほとんどの生徒、特に女子たちが机の下で隠れてスマホを操作し始めた。一回目の休み時間にしないといけない会話について、マイAIに質問をしているのだと思う。

私は朝の電車の中で済ませてきたので、あとは会話の相手を確保するだけだったけれど、それが難題だった。

授業終了のチャイムが鳴ったので、一番後ろの自席を立って教室を見渡した。クラス替えがあってから、まだ十日くらいしか経っていない。一年生の時の昼休みにいっしょにお弁当を食べていた女子とはクラスが離れてしまい、優先的に話しかけることのできる女子が私にはまだいない。二人組になっていない、一人でいる女子を探すしかなかった。

気がつくと、あっと言う間に他の女子たちが二人組になって話し始めた。女子の合計人数が奇数なので、私一人だけあぶれた恰好になった。

会話がすんだ二人組女子をきょろきょろと探す。二人が離れたのを見つけて慌てて寄っていくと、すぐ近くにいた別の二人組女子が分かれて、そのうちの一人に私は追い抜かれた。彼女は空いた一人に寄っていって会話を始めた。

 もたもたしていて追い抜かれたドンくさいところを誰かに、特に男子に見られていなかったかと、私は周囲を見渡した。けれどみんな自分のことに必死で、誰も私のことなど見ていない様子だった。

安堵なのか自己嫌悪なのかよくわからない溜め息が出た。

気を取り直してまた、一人になった女子を探すけれど、寄っていくとまるで椅子取りゲームみたいに、また別の女子に先を越される。

無常にも二時間目開始のチャイムが聞こえてきた。結局この休み時間には、誰とも話せなかった。

教室の天井の四隅にある監視カメラを盗み見た。

[一日に五人以上と会話する]という校則を、今月は既に一度破ってしまっていた。もう違反したくない。

うろうろするだけで、結局相手を見つけられなかった無様な姿をまた撮られてしまった。恥ずかしいし、情けなくて、耳が熱くなる。顔も赤くなっているだろう。

みんなは既に席について、スマホで同じ画面を出している。[会話ノート]というその画面にある今日の日付のページに、会話した相手の名前を打ち込んでいるのだ。一日が終わると、担任が確認するページだった。

私一人だけやることがない。恥ずかしいので、スマホ画面を開けて、[会話ノート]に打ち込んでいるふりをして、お母さんにどうでもいい内容のラインを送った。

放課後、ドキドキしながらネットのクラスルームを開けたら、[四月〇日の校則違反者]のところに、早速、私の名前が挙がっていた。

大きな溜息を吐いて、自分の名前を見つめる。

[一日に五人以上と話すこと]なんていう校則ができたのは、二年生になったこの四月からだった。

放っておくと、生徒たちは誰とも話さず、休み時間も昼休みもずっとマイAIとチャットしている。そのせいでこんな校則ができてしまった。一日の各休み時間と昼休みを足すと五回なので、一回に最低一人と会話させるのが学校側の目的のようだった。

この校則を破った生徒の名前が、毎日のようにネットのクラスルームの掲示板に掲示されている。圧倒的に男子の名前が多かった。彼らは女子ほど、真面目に校則を守ろうとしていないように見える。

三回、名前が掲示されると、内申書の生活態度の点数から引かれるので、特に国公立の大学進学を目指している男子と、真面目な女子は必死だった。

何に必死かというと、会話相手を確保することなのだけれど、その前に、マイAIに必死になって相談した。

男子A「こっちから話しかけるなら、何か話題がいるじゃん? 無難な話題を考えるのが億劫なんだけど。かと言って、話しかけられるのを待っていたら、相手がいなくなってヤバいし」

AI「わかりました。無難な話題をいくつか考えますね」

女子A「話題と言えば、昨日、お母さんが電話で誰かと話してたの。私と幼稚園から同じで幼馴染のあっちゃんの話みたいで、彼女のお母さんが実家に帰ったんだって。原因はどうやらお父さんの浮気みたい。今、あっちゃんが家事を全部やってるらしくて。テスト前なのに勉強の時間が減って可哀想だと思わない? 私、料理が好きでレシピがいっぱいあるから、休み時間に声かけて渡そうと思うんだけど? いいよね?」

AI「それは、やめたほうがいいと思います」

女子A「え? どうして?」

AI「では、『私が家事をやってるって、どうして知ってるの?』って聞かれたら、なんて答えますか?」

女子A「ウチのお母さんから聞いたから、って」

AI「では、なぜ、あっちゃんさんは家事を全部やっているのでしょうか?」

女子A「え? それは、お母さんが実家に帰ったから」

AI「それを知っているとあっちゃんさんに知られましたら、噂話をしていることも知られますよ」

女子A「……あ! そっか。ありがとう!」

AI「どういたしまして!」

女子B「話題といえば、私、ダイエットに成功して、昨日、体重計に乗ったら、ちょうど三キロ減ってたんだよね~。これは、話題にして大丈夫?」

AI「相手によると思います。話しかける相手が痩せている、もしくは標準体型なら、話題にしてもいいと思いますが、相手がもし、標準体型より少しでも肥満体型に近いようなら、この話題は避けたほうが無難です。自慢になります」

女子B「そうか。わかった」

AI「また、いつでも相談してください」

女子C「もう話題がなくなってきたから、私が好きなミュージシャンの話をしたいんだけど、どうかな? 彼は声がすごくきれいで低音は渋くて、最高にうまいの! 彼の歌を聞いているだけで癒されるの! これは自慢話になる? 叩かれるかな……」

AI「それは自慢にはならないと思います。歌が上手いのはミュージシャンであって、貴女さま自身ではないので、貴女さまの自慢にはなりません」

女子C「ホント? じゃあ、明日の話題にするね!」

AI「頑張ってください」

女子D「聞いてくれる~? 最近、腹立ってるんだよね~。ウチの家の前の道に犬のウンチを放っていくヤツがいるの! それがウチのクラスの男子のお母さんなんだよね。犬の散歩でウチの前を通るんだけどさ、そのままにしていくの。その男子に注意してもいいかな?

これはそいつ本人じゃなくて、お母さんと犬の話だし、陰口じゃなくて直接言うつもりだし、悪口にならないよね?」

AI「はい。実際に彼のお母さんは悪いことをしていますし、彼に直接言うなら悪口というより、注意になると思います。ですが、教室で、みんなのいる前で彼に注意するのは、おすすめできません」

女子D「え? どうして?」

AI「彼以外の人間にも、彼の母親の失態を知らせることになるからです」

女子D「そうか~、なるほど」

AI「もし注意するなら、電話で二人だけで話すことをお勧めします。面と向かって注意したいなら、学校以外の場所で、例えば知り合いが来ない公園などで話すといいと思います」

女子D「わかった! そうする! どうもありがとう!」

AI「いえいえ、頑張ってください」

 生徒はみんな、失言や失敗をしないように、誰かに話しかける前に、とにかくマイAIに相談して、確認を取り、安心してから会話する習慣がついていた。


 昼休み、私は自席で急いでお弁当を食べ終えると、教室を見渡した。

 ここにいる女子は、自席でまだお弁当を食べている女子と、お弁当を食べ終わって会話している女子、自席でスマホを見ている女子の三パターンに分かれる。

 会話している女子は、六人組のグループだった。彼女たちは校則を守って一日に五人と会話するためだけにグループを結成していて、休み時間と昼休みにだけ集まり、一対一で一度だけ会話をしたら、自席に戻っていく。それを休み時間ごとに、相手を替えて、計五回繰り返す。

 初めの休み時間に、続けて五人の相手をして五回ともクリアしてしまわないのは、監視カメラを意識しているのだと思う。相手を入れ替えながらいっぺんに五人と会話をすれば、六人グループを結成しているのがバレる可能性が高いと考えているのだろう。

 私は彼女たちから目を逸らし、自席でスマホを見ている女子に目を移した。彼女たちは、既に五人と会話し、今日のノルマを達成した余裕の女子たちだ。

「あのお~……」

 このクラスになって十日経つけれど、まだ二回しか話したことのない女子の顔を私は覗き込んだ。

「休憩してるところにごめんね」

 彼女が顔を上げた。

「あ……うん、大丈夫」

「ちょっとだけ時間……いいかな? わたしまだ、今日は五人、達成してなくて……」

「あ、いいよいいよ」

 彼女は腰を上げて、私のほうを向いて座り直した。それを見て、迷惑がられてないと察し、私は胸を撫でおろした。彼女の名前は……確か、山本さん。いい人だな、覚えておこう、と一瞬、目を閉じて、頭に山本と刻んだ。

「あのね、今日って、地図の日なんだって。知ってた?」

「うん、なんか聞いたことはあるけど、今日だとは知らなかった」

「あ、……そ、そうだった?」

 この返答パターンは予想していなくて、焦った。どう言葉を続ければいいのか迷った。地図の日について聞いたことがあるってことは、内容も知ってるかも知れないから、説明しても意味がないし、知識自慢になる恐れもある。知らなかったのは、今日だってことだけど、それはもう言ってしまった。

 困って俯いていると、手の甲を軽く突かれた。顔を上げると山本さんが微笑んでいる。

「伊能忠敬だっけ? 地図の人」

「うんうん、そう」

「ネットで肖像画見たんだけどさ~、顔がシワだらけで怖い顔のおじいさんだったよ~」

「そうなの~?」

 私が笑ったのに対して、山本さんは口を押えて、しまった! という表情をしていた。たぶん、悪口を言ってしまって焦ったのだと私は推測した。相手は会ったこともない(会うことなんかできない)歴史上の人物なのに。けれど彼女の心配や不安は私にも理解できた。

「大丈夫だよ。伊能忠敬だもん。歴史上の人物だし」

「そうかな、……そうだよね?」

「それに、山本さんと話した内容、わたし、誰にも言わないから」

「ほんと? ありがとう!」

 私は山本さんと微笑み合った。






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