小惑星群の盛り合わせ ~反21世紀風ソース
宇宙桜前線
宇宙進出を果たした人類もやはり、故郷の文化を忘れるわけではない。むしろ、壮大で冷酷な宇宙に旅立つからこそ、暖かな伝統文化を持ちだしたくなるというのが、人間の性というものだった。
我らが日本国も例外ではなかった。他の先進国に差はつけられつつも、なんとかメンツを保てる程度に、日本領土となる人工衛星を3つ、火星付近に建造していた。移住する国民や移転する企業も増える中、何か象徴的な伝統文化を持ち込めないかと考える。
そこで出てくるのが、桜。 地球から遠く離れても、お花見ができたらと考えるのは日本国民として、当然のことだった。 しかし、宇宙の過酷な環境に耐えられる桜と言うのも、まだ存在しなかった。 宇宙省のある役人が『宇宙桜開発プロジェクト』の局長となった。彼は研究チームのメンバーたちを一堂に呼び出した。そして頭を悩ませていた。
「さて、総理が『宇宙で咲く桜を作れ』というから作らにゃならんのだが、どうすればいいだろう。そもそも、宇宙の土で桜が咲くのだろうか」
局長の主な相談相手となるのは、40代くらいの、研究チームのリーダーだった。
「局長、土壌の問題は農地用人工衛星βであれば問題ありません、あそこの土はむしろ地球より栄養を含ませてありますから。しかし気候の問題には難儀します。野菜なんかは専用のハウス施設で空調管理するから問題ありませんが、桜を屋内で咲かせるっていうのも、風情がないでしょう」
局長は腕を組み、深く頷いた。「まさにその通りだ。あそこは国民もいくらか住んでいるけど、外の気温変化はαやγと比べて激しいと聞くね。そこらへんが厳しいだろうか」「はい、桜はそう弱い植物じゃないといえ、開花の瞬間は繊細です。極端な気候変動は良くないし、微弱とはいえ放射線も気になります。βの住民も、基本的に屋外用スーツを着て生活してるわけですから」「なんとかならんのか」「ふむ……まずはとにかく、生命力の強い桜を作ってみましょう」
一旦その方針で、宇宙桜開発チームは研究を開始した。 桜の人気は海外でも強いことから、いくつかの海外政府や、海外企業も支援を行ってくれた。研究は潤沢なリソースをもって始められたから、進捗も芳しかった。
それから、数年後。
「局長、完成しました。これが試作品を七つ経て作られた、宇宙で咲く桜、“ヤマトソラザクラ”です」「はあ、これが完成品か。若木の状態であるけど、赤みの強い、いい色味の花をしてるじゃあないか。して……これが、うまくβ星に根付くのだろうか」
研究リーダーは自信満々な様子で、頷いた。「はい。この桜の特徴はなんといっても、とてつもない生命力です。こいつは地球の土地で育てると、桜としてはあるまじき、自己増殖を行います。桜のタネなんてそうそう勝手に育つものじゃあないんですが、これは凄まじい事です」「えっ。それは、β星に植えても自生するってことかい。何本か植えただけで、あとは勝手に増えてくれるんなら、そいつぁ経済的で素晴らしいじゃないか」
研究リーダーは首を横に振った。「いえ、そこはちょうど釣り合いが取れると言いますか。β星の厳しい外環境だからこそ、この桜の生命力も適度な範囲に収まり、勝手には増えず、人間の管理しやすい桜になるという形です。七度の模擬環境試験を行ったので、精度の高い予想データも取れています」「なるほどなるほど、それは素晴らしい。さっそく、実地に植えてみようじゃあないか」
局長はバシバシ研究リーダーの肩を叩き、成果を誉めたたえた。 すぐに若木とタネがβ星に持ち込まれ、β星のなかでも見晴らしの良い丘に等間隔に植えられた。成木になるまでの期間は数年。 開発チームだけでなく、国内外の多くの人がβ星の遠い春に思いを馳せた。
それから、数年後。
ばたんと、プロジェクト会議室の扉が開いた。焦った様子の局長が、早足で入ってきたの。研究チームは皆立ち上がって一礼した。その表情も、どこか困惑気であった。
「おいおい、話しが違うじゃあないか」「ええ、まさしくその通りで……」「あんなに咲くなんて、聞いてなかったものなぁ」
会議室の大きなスクリーンには、数日前に撮影された、β星のあの桜の丘が映し出されていた。 そこには見事な満開の桜。ちょうどこの時期が、β星の春の真っ盛りであった。弘前もかくやという咲き誇り具合で、靡く風に多くの花びらが乗って、桃色の吹雪を作り出し──。 ……いや、作り出し過ぎていた。
当初百本ほど植えたヤマトソラザクラ桜であったが、今や丘の斜面にも勝手に自生して、勝手に育って、総数は三百本ほどになっていた。当初の予定の、三倍になったのである。
「最初聞いていた話より育つのも早いし、何よりひとりでに増えているぞ。どうなっとるのだ」「ええ……それが向こうの星の微弱な放射線が、むしろ桜にとっていい刺激となり、成長を促進したようです。環境試験でも同じくらいの放射線は当てたのですが、やっぱり実地では風に雨や雪、条件は微妙に異なり……まさしく絶妙な塩梅で、ヤマトソラザクラにとって好ましい環境になったようで……」「詳しいところは分からないけど、さてどうしよう。想定外の事態とはいえ、現地の住民や、海外旅行客には、むしろ好評だから、伐るわけにもいかんしなぁ」「はい。国内外の研究チームにも、非常に興味を持たれています……」「私も、むしろ先代総理には褒められてしまったんだよ。もはやあの桜の丘を、β星の名所にしようなんて言われたね。そこで聞きたいのは、環境問題だ。あのままほったらかしにしておいて、環境的に大丈夫なのだろうか」
研究リーダーは、苦いものを噛んだような顔になった。「それは難しいご質問です。あの桜が地球に蔓延ろうものなら従来の生態系を脅かし、環境問題もかくやというところですが、なにぶん、人工衛星はできてまだ百年もしないから、従来の環境も何もありません。見方を変えれば緑化に成功しているとも言えます。生態系の基礎を桜が担っていけないということもないでしょう。私の一存では、是非を決められず……」「ふむ。確かにそれは苦しい質問だったね。すまないすまない」
局長も理解を示し、二人はしばらく黙って考え込んだ。 それから、意を決したようにうむと、局長が力強く頷いた。
「よし……では私から総理初め要人たちに交渉してみるよ。私個人の想いで言えば、あの星を桜の星にしてしまってもいいと思うのだ。いい観光資源になれば、外務省あたりも喜んで力を貸してくれるはずだからね。その方向で考えてみるよ」「ありがとうございます。では私たちはとにかく、もっと人間に管理しやすいような改良種の開発に勤めますので……」「うむ。よろしく頼むよ。まあまったく、その品種が花を咲かすころには私も生きているかどうか分からんがね、がはは」「はは……」
局長はもう御年七十前後。冗談にしては笑いにくいことをいうものだった。まぁ、元からこの計画は百年計画。短期成就を想定していなかったから、今までの進捗が早すぎたと言ってもよかった。
それからさらに、十年か、二十年経った。
順当に局長は寿命で大往生した。新局長の座は、鳴り物入りで政界に入ってきたという、気鋭の役人が受け継いだ。彼は開明的な人物で、ヤマトソラザクラなんて突飛なモノを扱うこのプロジェクトをには適任だと、周囲からは期待されていた。 しかし、当の新局長はこの令を受けた際、げっという顔をした。文字通り、キャリアに花を飾れるような、華々しいプロジェクトではあるのだけれど、先代局長の心配通り、絶賛現在進行中で、環境問題が起っていたからだった。ものの十、二十年ですっかりβ星には桜が蔓延り、緑化のおかげで大気中の成分バランスが地球に近づき、生態的には良い影響も出ていたけれど、度が過ぎていた部分があった。 就任後すぐ、定例の会議が行われた。新局長と研究チームが一堂に会する。そして、新局長はスクリーンに映し出された航空画像を眺め、眉をひそめた。
「これは先生、咲過ぎですねぇ」「咲きすぎですね……」
御年七十歳となった研究リーダーも、隣で口を揃えた。 驚異の生命力をもって、生態系の基盤を欲しいがままにしたヤマトソラザクラは、凄まじくはやく環境にも適応し、その分布地域を拡げていった。ここまでは、先代局長の尽力もあり、宇宙省の他の管轄からも了承は得ていた。分布域が、観光地用に空けていた最初の植樹地周辺で収まるのなら良かったのだ。 けれど、それはヤマトソラザクラの知ったことではなく、分布域はじわじわと農地用の土地へと進出しようとしていた。 現在、どう対処しているかと言えば、絶賛イタチごっこの最中であった。農地用の土地に近いところで芽吹いた若木は、今では即刻摘み取られるようになっていた。しかし際限はない。管理維持コストは爆上がりである。
新局長は苦笑いした後、すぐ気を取り直して、研究リーダーに話しかけた。
「それで、ようやくその対策が完成したというわけですね、先生」
研究リーダーは頷いた。この定例会議は、ようやく完成したあるヤマトソラザクラ対策の、報告の場でもあった。その腕には、ひとつの桜の若木が生えた、植木鉢が抱えられていた。「はい。これもまた、十四度の模擬環境実験を繰り返した結果生み出された、奇跡の産物です。三十年前よりも精巧なデータを取りましたから、今度こそ想定通りに行くと信じてはおりますが……やっぱり、実地で試してみなければわからないというのが、そこに映るヤマトソラザクラを生み出した責任者としての、感想です」「まさしく、その通りですね。今度もまた、思い通りにはいかないかもしれません。しかし、私はこのアイデアを聞いたとき、面白い挑戦だと思いました。我が国の国花を、燃やしたり、摘み取ったりするより、よっぽど良いじゃないですか。目には目を、歯には歯を、桜には桜を、なんて」
研究チームが絞り出した対策案は、新局長の優秀な舵取り能力を持って、すぐβ星で実施された。 それから、またしても十年後。 とうとう、プロジェクト開始時には四十歳くらいだった研究リーダーも、死んだ。高齢のがんで、概ね寿命であった。 彼はもはや宇宙桜研究の第一人者と呼ばれ、生物の教科書に名を残すような名声を得てから、死んだ。 それはそれとして、プロジェクトは新局長と研究チームによって滞りなく推し進められ、成果がようやく実を結んだ。 なんと、ヤマトソラザクラの分布範囲がコントロールできるようになったのだ。 それは柵を作ったり、農薬を撒いたり、燃やしたりなんて風情のないやり方じゃなかった。日本らしい、雅なやり方を成し遂げたので、彼らは宇宙各国から賞賛された。 そしてβ星の広大な桜公園が、ようやく完成した。 宇宙の衛星の中でも、β星は屈指の観光スポットとなった。
これにてプロジェクトはひと段落を迎えた。 研究チーム一同はβ星の春の頃に、打ち上げに行くことになった。もちろん、みんなでお花見をするのだ。
たくさんのチェック模様のレジャーシートを拡げて、β星の麦芽で作られた缶ビールが無数に振舞われる。数十名の研究チームは、各々に好きな服を来て、思い思いにグループを作り、酒と肴と談笑を愉しんでいた。今となってはβ星の大気も安定したから、多少の時間であれば外出用スーツもいらない。
新局長は他のチームメンバーたちから少し離れたところで、一人花見をしていた。その横には、小さな写真立てに入れられた遺影が二つ。三つ用意した紙コップに、ビールを注ぐ。 快晴の空の下、桜吹雪が映えていた。
「まったく、素晴らしい景色です。二種の桜色が、交わるこの一帯は」
**
研究チームはヤマトソラザクラの問題を、別の桜をもって解決した。 対策となったのは、宇宙桜の新種、“ベタザクラ”。 こいつはヤマトソラザクラの拡散力をなんとか抑え込めないかと、ヤマトソラザクと反対の性質を持つ桜について研究を続けていた時、偶然生まれた新種であった。 このベタザクラは、従来の桜と同様に、増殖力はない。しかし、凄まじいまでに『自分の生息域を守る』力を持っていた。ベタザクラの出す花粉は、受粉能力のほかに、『他の桜の花粉が飛んで来ようものなら、それをキャッチし、無力化する』力を持っていた。 まさしく、ヤマトソラザクラと対になるような桜だった。
今、β星の広大な桜公園では、ヤマトソラザクラの分布域をぐるっと円で囲むようにベタ桜が植えられていた。 何の因果か花びらの色は、ヤマトソラザクラの方が赤みがかっていて、ベタザクラの方が白みがかっている。 そのため、航空写真では、桜色の日の丸が撮影できる。
**
新局長は自分用の紙コップを一息に飲み干してから、桜の花でおおわれた空を見上げた。 このお花見場所は、それら二種の丁度、境界線であった。 紅白調の桜が、春を祝う様に降り注いでいた。遺影の前の紙コップにも、二色の桜の花びらが入り込み、浮かんだ。まさに日本らしい、春を祝う趣があった。 まぁ、そんな絶景も、二種の宇宙桜たちからしてみれば、絶賛生存競争の真っただ中でしかないわけだ。 勝手に桜を植え、勝手に生存競争をさせ、勝手に楽しんでいる、人の傲慢さこそがこの美しさの正体であった。 研究チームのメンバーたちは自戒と皮肉を織り交ぜて、この一帯を『宇宙桜前線』と呼び、愛していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます