灰色の世界で、君を見つけた。

みーちゃん。

 灰色の世界で。

僕は星が好きだ。星は、嫌なこと全てを忘れさせてくれる。美しい、壮大な夜空を前では、どんな事だって小さく思えた。キラキラと光る、小さな星達。そっと、手を夜空に伸ばしてみる。触れたように見えて、とてつもなく遠い。でも、いつかあの星を掴めたなら。そして、君という名の星を僕の心に閉じ込められたなら。

その時はきっと…。


ピピッ

目覚まし音が鳴り、僕はゆっくりと身体を起こした。

カーテンを開けると、眩しすぎる光が視界に入ってきた。僕はふわぁ、とあくびをしながら制服に着替える。ネクタイとパーカー、灰色のズボンという制服は高校生らしい雰囲気がして結構好きだったりする。

寝癖を直し、姿見の前に立つと、そこには冴えないもう1人の自分がいた。

色白で、焦げ茶色の髪がうなじを隠し、一重まぶたの瞳は、意志が感じられない。良く言えば「真面目そう」だが、悪く言えば「影が薄い」。男にしては細すぎる貧弱な身体、纏う雰囲気はいつだって鈍色で、おまけに無口なものだから、クラスメートからはよく「何考えてるか分からない」と言われる事が多かった。

「…はぁ、」

僕はため息を吐くと、ご飯を食べに下へ降りた。


「おはよう」

ダイニングルームに行くと、アルコールの匂いが漂ってきて、またか、とうんざりした。

ソファーに寝転がってお酒を飲んでいるお義母さんは、僕が降りてきた事には気付いていない。だらしない服装で大胆に寝転び、床にはストッキングや酒の空き缶などが転がっている。ううん、と寝返りを打つ義母の顔は赤く、酔っていよるようだった。どうせ昨日も夜遅くまで飲み歩いていたのだろう。

僕はそんな義母を尻目に、冷蔵庫へ向かう。冷蔵庫には、薄い食パン一切れと、賞味期限の切れたパックの牛乳があった。その二つを取り出して、食パンをトースターに、牛乳のコップをレンジに入れて温める。ホットミルクは僕の朝の日課となっていた。

食パンが焼け、こんがりと焼き上がったきつね色のパンをお皿に乗せる。そして、ホットミルクに砂糖を少しだけ入れて混ぜた。

「いただきます。」

ホットミルクは、身体を内側から温かくしてくれる。ほんのり甘くて、美味しい。食パンもサクふわでホットミルクとよく合っていた。

朝ごはんを食べ終え、行き支度をしているとようやく目が覚めたのか、義母が

「…流星。」とか細く呟いた。振り向くと、義母はとろんとした表情で僕を見ていた。目は覚めても、酔いは覚めないらしい。

「…何」

「今日は何時に帰ってくるの?」

義母はいつもこの質問をしてくる。…自分は、毎日飲み歩いているくせに。毎朝帰ってくる時間を確認されるのは、正直嫌だった。でも、義理とはいえ親なので反抗するのも気が引けた。だから僕は決まって、この返事をする。

「…分からない。部活もあるし、」

学校行事を話題に出されれば、流石の親も納得してくれる。名門高校ということもあり、高額な授業料を払っているので、学校関係には厳しかった。

「そう…。なるべく早く帰ってきて。お義母さん1人は寂しいもの。だから、どこにも行かないでね、」 

「分かってるよ。」

僕は早くここから離れたくて、早口で言うと玄関へ向かった。少しだけ後ろに振り返ると、義母はもう僕の方を見向きもしていない。

「ーいってきます」

ガチャ

ドアを開けると、ひゅうっと冷たい風が頬を撫でた。どことなく空も曇っている。僕はドアを閉め、歩き出した。

「ーおい、早く来いよ!」

「ちょっと待てよ」

同級生達が走りながら僕の横を通りすぎる。僕はパーカーについているフードを被って周囲の笑い声や猫の鳴き声、雑音から耳を庇った。


教室はいつもと同じ…ではなく、普段より教室の空気が明るく感じた。皆、ざわついてヒソヒソと何かを囁き合っている。いつも騒がしいが、今日は一段とうるさい。

「ねぇ、聞いた?うちのクラスに転校生が来るらしいよ。」

「俺も聞いたぜ。可愛い女の子だといいよな!」

「残念でしたー!転校生は男の子みたいよ。」

「マジかよー」

どうやら、今日やって来る転校生の噂で持ち切りらしい。僕はなるべく目立たないように自分の席へ着き、制カバンをおろした。窓の外は薄暗く、どこか不吉さを感じさせるような、鈍い灰色の雲が浮かんでいた。

ーガラッ

しばらくして、教室の扉が開き、先生が入ってきた。担任の上坂先生は若くて優しい事から生徒に人気だ。教え方も上手く、面倒見も良いため、周りの先生からも厚い信頼を置かれている。

「みなさん、早速ですが今日は転校生が来ます」

先生がそう言った途端、待ってましたと言わんばかりの大きな歓声が教室内に響き渡った。

「静かにして下さい。ー入ってきて大丈夫ですよ。」

先生の声に促されて、1人の少年が入ってきた。女子の一部がはっと息を呑むのが分かった。僕も彼を無意識の内に目で追いかけていた。彼はみんなの視線を平然と受け止め、堂々とした姿勢で教卓の前に立つ。

「自己紹介をお願いします。」

「えーっと、天川氷雨です。よろしくお願いしまーす」

そう言って人好きな笑みを浮かべた。サラサラの髪に青い瞳という整った容姿だが、どこか独特な雰囲気が感じられる。浮かべている笑みも、本当は笑っていないんじゃないかと思う程不自然だった。ピアスがキラリと光り、着崩された制服が不良っぽさを感じさせる。が、女子の殆どは彼に釘付けになっていた。良く言えば、「社交的」だが悪く言えば、「チャラそう」だ。…正直言えば、僕が一番関わりたくない人種である。

「席は…雨水君の横が空いてますね」

「ーーーえ、」

僕は思わず小さな声を上げた。まさか、隣の席になるなんて。彼…天川氷雨は僕を見つけるとこちらに向かって歩いてくる。彼が歩くと、女子の視線がその姿を追う。彼は皆の熱い視線を受けても平然と歩き、僕の方に向かってくる。僕は目を合わせないようにそっと俯いた。お願いだから話しかけないでくれ、と願うが、その思いは虚しく。

「君が雨水君?よろしくね」と僕の顔を覗き込んできた。

「あ、よ、よろしく…」

無視する訳にもいかず、小さく呟いた。明るい雰囲気の彼と、灰色に黒を上から塗ったような雰囲気の僕。正反対にも程がある。これから、大丈夫だろうか…。

僕は気付かれない程度のため息を吐いた。


朝のHRが終わると、予想通り、女子達が彼の席にやって来た。

「天川君ってどこから来たの?」

「LINE交換しよー!あ、インスタやってる?」

「ずるい!私もする!」

「何か分からない事があったら私に言ってね」

「私も学校案内とかするよ!」

女子達は彼の席を囲む。キャーキャーいう大きい声は、廊下にも響く程だった。廊下で話している人達が時々僕達のクラスに不審な目を向けている。

「ありがとう。」

彼がニコリと微笑むと女子達はきゃあっと黄色い声を上げる。

すると。

ーキーンコーンカーンコーン

チャイムが鳴り、女子達が名残惜しそうに自分の席へ戻っていく。一気に静かになり、僕は何となく気まずくなって下を向いた。しかし彼は静かになった途端、僕の方を向いて、「うるさくしてごめんね~。女の子って好奇心が旺盛なんだね」と話しかけてきた。

僕はそっと顔を上げる。しどろもどろになりながら曖昧に頷くと彼は軽く笑った。

「雨水君って優等生の子だよね?職員室に行ったら先生達が噂してたよ。」

「え?」

「新入生代表として全校生徒の前で挨拶したんでしょ?すごいじゃん」 

なぜ彼がそんな事を知っているのか。

「…別に、大した事じゃないよ。皆しないから、仕方なくしただけだし」

冷たい言い方になってしまった、と少し後悔する。しかし、彼は特に気にする事なく、

「え~、俺からしたらすごいよ。もっと自信持ちなよ」

と笑っていった。一体何に自信を持てというのか。そんな言葉は胸にしまった。

「ありがと…」

お礼を言うと彼は嬉しそうに頷いた。


放課後。僕は部室棟へ向かった。木造のプレパブ小屋は薄暗く、人が歩くだけで床が軋む。錆びた階段を登り、『天文部』と書かれた看板の前立った。

ーガラッ

「こんにちは。」

部屋に入ると、1人の女子生徒が望遠鏡の掃除をしていた。僕に気付くと親しげに手を振ってこちらに歩いてくる。

「待ってたよ。」

長くて真っ直ぐな黒髪がサラリと揺れ、薄暗い灰色とオレンジの夕焼けが彼女の美しさを際立たせる。彼女は三島沙雪。我が天文部の部長であり、僕の二個上の先輩だ。

「先輩は掃除ですか?」

「うん。長年放置していた望遠鏡が見つかってね。まだ使えそうだから綺麗にしていたの。新しい物を買うお金なんてうちにはないから」

そう言いながら僕に席に着くよう促す。言われた通り席に座ると、僕の前にカップが置かれた。ふわっと甘い匂いが漂ってくる。

「良い香りですね。」

「ふふ。それはレモンティーよ。パックが余ってたから、持ってきたの。」

「…あ、美味しいです」

「良かったわ。…本当はここ、廃部になる所だったから、雨水君が来てくれて助かったの。」

「そうなんですか、」

天文部は部員数4名の廃部寸前のクラブだ。人数もギリギリで、新入生は僕しかいない。部室内には木材特有の甘い匂いがし、壁には大きな天体図が貼られ、棚にはぎっしりと天文関係の書物が並ぶ。が、専門知識を問わない、緩めの部活だった。

「今日は何するんですか?」

「それはー」

ーガラッ

扉が開いて、人がぞろぞろと入ってきた。

「おっ、雨水じゃん。今日も早いな」

よく響き渡る声で僕に笑いかけるのは副部長の新田詩音で、短髪で高身長のお兄さん的存在だ。

「いつも部活に来てくれて嬉しいぞ。」

詩音先輩がうんうんと頷いた。それに、三島先輩も同意するように、綺麗に笑う。

「今日はー」

先輩が話そうとした時。

ーガラッ

「あの、天文部ってここで合ってますかーって、雨水君?」

「えっ、天川君…?」 

ドアの前には、天川氷雨が立っていた。お互い数秒見つめる。すると、三島先輩がこちらに寄ってきた。

「入部希望者かしら?」

「はい。俺、今日転校してきたばっかりでよく分からないんですけど、先生にどこでも良いから部活に入れって言われて。」

「…なるほどね。入って」

「失礼します。」

氷雨は部室に足を踏み入れ、辺りをぐるりと見渡した。

「…天川君だったわよね?どうしてうちの部活を選んだの?」

三島先輩が氷雨に尋ねる。それは、彼を試すような口調だった。

「…自分の役割を果たすためです。」

彼は影のある笑みで言った。僕はどういう意味だろうか、と首を傾げる。三島先輩はじっと彼の瞳を見つめていた。

そして、

「なるほどね、」とだけ呟いた。

「本当は別の事を話すつもりだったのだけれど、折角なので新入生歓迎会でもしましょうか。」

三島先輩の提案に、真っ先に乗ったのは詩音先輩だ。

「いいな!カードゲームでもするか?」

「やりたいです。」

天川君も同意し、僕も小さく頷いた。本当は帰りたかったが、天川君と話したいという思いの方が勝ってしまった。

「じゃあ早速ー」

こうして、歓迎会は最終下校時刻まで続いた。

















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