第11話 古文書が示す


王宮の図書室に足を踏み入れたヴィオレットは、古い羊皮紙の独特な香りに包まれた。薄暗い室内には何百年もの歴史が積み重ねられ、王国の記憶が眠っていた。グレゴリー首席宮廷医師から皇帝の症状についての相談を受け、治療法の手がかりを探すという名目で立ち入りを許可されたのだ。


「必要なものは何でも言ってください、ポイズン様」


老司書がランプを持って近づいてきた。背中が丸まり、厚い眼鏡の奥の目は親切そうに輝いていた。


「皇帝陛下の症状に関する古い記録を探しています。特に、血に関する異常について書かれた文献があれば」


ヴィオレットは慎重に言葉を選んだ。余計な詮索を招かないよう、医学的関心という体裁を保つ必要があった。


「血の異常ですか」老司書は眉をひそめた。「それなら第三書庫の医学書セクションをお調べになるとよいでしょう」


「お導きいただけますか?」


老司書に続いて図書室の奥へと進むヴィオレットの胸の内では、期待と不安が入り混じっていた。前世では決して踏み入れることのできなかった皇室の秘密の領域。ここには時間遡行の秘密、そして自分がなぜこの能力を持つに至ったのかの手がかりがあるかもしれない。


書架の間を縫うように進み、ついに老司書は古びた扉の前で立ち止まった。


「第三書庫です。医学書は東の壁に。皇室専用の治療記録は施錠された棚にありますが、首席医師の許可があれば」


老司書は黄ばんだ鍵を取り出し、重い音を立てて扉を開いた。


「お急ぎでなければ、わたしも資料探しのお手伝いを」


「結構です。ご厚意に感謝しますが、自分で探してみます」


ヴィオレットは丁寧に頭を下げた。老司書が去った後、彼女は素早く書架に歩み寄った。きらめく青い瞳が所狭しと並ぶ古文書の背表紙を追う。


「皇族の血液異常・・・皇帝の病・・・」


指先が埃まみれの背表紙を次々と撫でていく。数十分後、ようやく目当ての書物を見つけた。『皇族の血脈と特異体質』と書かれた古い革表紙の書物。手に取ると、予想以上に重かった。


その瞬間、背後から声がした。


「珍しい本をお選びになりましたね」


振り返ると、そこにはセラフィナが立っていた。いつもの明るい笑顔はなく、どこか冷たい眼差しでヴィオレットを見つめている。


「セラフィナ様。驚かせないでください」


「何を探しているの?」セラフィナはヴィオレットの手元の本に視線を落とした。「皇族の血に興味があるなんて」


心拍数が上がるのを感じた。セラフィナの出現はあまりにも唐突で、そして彼女の態度には今までにない警戒心が感じられた。


「グレゴリー医師から皇帝陛下の症状について相談を受けたの。もしお役に立てることがあればと思って」


「そう」セラフィナの表情が和らいだ。「あなたの知識が皇帝様のお役に立つといいわね。でも」


彼女は一歩近づき、声をひそめた。


「危険な知識を求めすぎると、身を滅ぼすことになるわ」


ヴィオレットは背筋に冷たいものを感じた。この言葉は明らかな警告だった。


「わたくしは医学的な知識を求めているだけです」


「もちろん」セラフィナは再び笑顔を浮かべた。「でも、あなた一人で抱え込まないで。必要なら力になるわ」


セラフィナは軽く会釈すると、来た時と同じように静かに立ち去った。その足音が聞こえなくなると、ヴィオレットは本を開いた。中には古代文字で書かれた複雑な図と文章が広がっていた。


「皇帝の血は時を司る・・・」


指がページをめくるたびに、心臓の鼓動が早まる。ついに見つけた一節に目が釘付けになった。


「王家の血に宿る力、それは時の流れを超える能力なり。死の間際にて強き願いを持つ者は、時を遡り過去へと戻ることを得る。されど、この力を持つ者同士は互いを認識し、引き寄せられる宿命にあり・・・」


ヴィオレットの瞳が見開かれた。これが自分の能力の正体だったのか。そして、他にも時を遡った者がいるという意味だろうか。


「ついに見つけた・・・」


書物を胸に抱きしめると、急いで出口へ向かった。アシュトンに伝えなければならない。彼はこの情報をどう解釈するだろうか。


そのとき、書庫の外から声が聞こえてきた。


「セラフィナ様、どうしてここに?」


「ちょっとした好奇心よ。そこの医学書に興味があって」


ヴィオレットは本能的に身を隠した。セラフィナがまだ去っていなかったことに驚きつつ、彼女の会話に耳を傾ける。


「そろそろですね」老司書の声。「あの日が近づいてきました」


「ええ。もう逃れられない。でも今度は違う結末になるでしょう」


セラフィナの声は暗く、決意に満ちていた。ヴィオレットは息を殺し、二人の足音が遠ざかるのを待った。


ようやく静寂が戻ると、彼女は見つけた本の重要なページを密かに写し取り、元の位置に戻した。この情報はアシュトンと共有すべきだが、本自体は持ち出せない。


図書室を後にしたヴィオレットは、サイファー家の邸宅へと急いだ。心の中では様々な疑問が渦巻いていた。セラフィナの不可解な言動、皇族の血が持つ時間遡行の力、そして「他の時間遡行者」の存在。全ては「プロジェクト・ラザロ」と繋がっているのか?


風を切って馬車で走る道中、彼女は決意を新たにした。前世での自分の死を避けるだけでなく、この世界の秘密そのものに迫らなければならないのだ。

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