第42話 ドンサール海にて1

 精霊の泉で水の精霊に、勇者がいるところまで送り届けてやると言われた。

 その言葉通り、ローゼリンデはいまマーブルとともにドンサール海を見下ろす崖の上に立っている。


 内海ではあるものの、強い潮の香りがする。

 ローゼリンデにとって、本物の海を見るのも潮の香りを嗅ぐのもこれが初めてだ。

 

 ドンサール海は内海といってもとても大きく、対岸は見えない。

 見晴らしのいい好天であれば、この崖から対岸が見えたかもしれない。

 しかしいまは雷雨だ。

 空には暗雲が垂れ込め、大地を揺るがすような雷鳴とまばゆい紫色の稲妻が断続的に続いている。

 それに加えて激しい雨と風。

 こんな世界の終焉を予感させるような悪天候も、ローゼリンデにとっては初体験だった。


 ローゼリンデの眼下では、勇者パーティーの乗った帆船が大波に揺られている。

 まるで川の流れに翻弄される木の葉のようだ。

 勇者たちの表情までは見えないが、悪戦苦闘しているにちがいない。


 悪天候と荒波だけではない。

 彼らはいま、巨大な魔物クラーケンと戦っている。


「水の精霊様……どうしてこんな崖の上に……?」

 

 勇者がいるところまでと言われた時、ローゼリンデはてっきり勇者パーティーの目の前に転送してもらえるのだとばかり思っていた。

 しかし実際は、海上と崖の上だ。

 精度の問題で、船ではなく海に放り出す形になってしまったら大変だと配慮してくれたのかもしれない。

 

 たしかにこの悪天候で、しかもクラーケンが大暴れしている状況でいきなり海に放り出されたら、ローゼリンデもマーブルも無事ではいられなかっただろう。

 本来ならば数日かけてたどり着かねばならなかった距離を、一瞬にして移動させてもらったことには大いに感謝している。

 それでも、このもどかしい距離がどうにかならなかったのかと、恨みごとのひとつやふたつ言いたくなってしまう。


 ローゼリンデは、ただハラハラしながら戦況を見守ることしかできない。

「勇者様! 頑張ってくださいまし!」

 せめて応援をと声の限りに叫ぶも、轟く雷鳴にかき消されてしまった。


 ただ、ローゼリンデにとってうれしいことがひとつある。

 勇者が持っている白い盾。稲光に照らされるたびに虹色に光っている。

 あれは、ユニコーンの盾だ。

 試練の祠に置いてきたあの盾を、勇者が受け継いだのだろう。


(よかった! あとは聖剣さえ渡せれば……!)


 ローゼリンデは拳を握って勇者パーティーとクラーケンの戦いを見守った。 


 クラーケンは海中からウネウネ動く足を出し、船に叩きつけたり絡めたりして沈めようとしている。

 それを勇者が剣で振り払っている様子が見える。

 船を懸命に操舵しているのは斥候。

 パラディンは勇者と賢者を守りながら自らも剣を振るい、しつこく絡みつこうとするクラーケンの足に斬りつけている。


 賢者の放つ魔法は、強力な打撃を与えているように見える。

 氷でクラーケンの足を凍らせたと思ったら、次はそこを炎で焼き蒸発反応を起こしてさらにダメージを与える。

 短い詠唱で次々に高火力かつ多彩な魔法を繰り出しているところがさすがだ。


 その様子に手を叩いて応援していたローゼリンデは、賢者が手に持つロッドをよく見て目を丸くした。

「まあっ!」


 杖のヘッド部分、青くて丸い大きな宝玉がキラキラ光っている。

 あれはローゼリンデがガルーダの背中から落下した際に、つむじ風に攫われていったロッドにちがいない。

 賢者の法器としてぴったりだから、会えたら渡そうと思っていた。それが叶わず心底ガッカリしていたのだ。

 そのロッドがなぜ賢者のもとに届いたのか、ローゼリンデはさっぱりわからない。


「つむじ風が運んでくださったってことですの……?」

 そうであるなら、まさに奇跡だ。

 女神様の思し召しにちがいない――ローゼリンデは土砂降りの雨に打たれながら、天に向かって祈りを捧げた。


「女神様、ありがとうございます。どうか、勇者パーティーに勝利を!」

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