物語という名の罪
黒川亜季
*1
ごおっという独特の通過音を響かせて、列車が駅を後にする。
火曜日、午後の9時すぎ。
大都会と呼ぶのはちょっとためらうけど、周りよりはずっと大きいこの町の一角。町を南北に貫く地下鉄の北寄りにある駅に私は降り立った。
この駅を出た先に広がる景色は、地下の線路が境界線になっていると思えるくらいにキレイに2つに別れる。バスターミナルとささやかなビルが幾つか建っている他はひたすら住宅地が広がる東側と、この辺りでは一番大きな森林公園に面している西側とに。
木々の都、という意味の愛称を持つこの町には、緑がとても多い。中心駅の前にも、官公庁が建ち並ぶ辺りにも、通りごとに選ばれた種類の木々が大きく枝を張り出し、街に彩りを与えている。
そんな街の中にあってなお、ここはちょっと特別な場所だ。少なくとも余所から来た私はそう思う。大きな森を丸ごと残して、それを公園と呼んでいる。そんな風に見える場所だから。
バスターミナルとは反対側、森林公園側の改札を抜けると、うつろなほど大きなコンクリートの広場がまばらな街灯に照らされている。
街灯の向こうはうっそうと茂る森で、光の届かない木々の間からは夜の闇が流れ出してきている。
駅を降りた人たちはたいていがバスターミナル側で降りるから、広場には行き交う人も、待ち合わせの人も見当たらない。
静かに夜が更けるのを待っている様な広場。その片隅に彼女がいる。
森が作り出す、のしかかるような存在感を持った夜の影と、頼りなげにぽつんと光る街灯の明かり。その狭間にあるベンチにケースを立てかけて、彼女は使い込まれたアコースティックギターを取り出す。
こういう事には、慣れているのだろう。手際よく準備をすませ、大きなギターを抱えるようにして、彼女は小さく息を吸い込んだ。
哀愁を帯びたコードの連なり。それに被さるように流れ始める、透明な歌声。
彼女が立っている場所から少し離れて、向かい合う。
決して大きくはないその歌声は、広すぎるこの場所に放たれた端から消えてゆく。
広場の向こう側には男の子たちが集まってスケボーを転がしているみたいだけど、彼らがこの細い歌声に耳を傾ける様子はない。
何人かの、勤め帰りらしき人たちが近くを通っていくけれど、その人たちが彼女の歌声に立ち止まることもない。
静かに響く歌声。誰にもとどかない歌声。私だけが、それに耳を傾けている。
目の前の景色も、寒そうに身を縮めて行き交う人たちのことも、まるで視界に入らないかのように彼女は歌い続けている。
透明な歌声。
ありふれて手垢が付いた表現だけど、彼女のそれを表現するにはこれしか思い浮かばない。
静かで、澄んでいて、だけど奥底には力があって――小さな川のほとりに立った時のような音の連なりが耳をくすぐり続けている。
哀しみを帯びたメロディ。
歌の中の語り手は『僕』だけど、この歌を聴ける人ならたいていは思うだろう。
この歌の中の『僕』は、彼女自身だ。
『僕』は歌う。伝えられなかった想いを。
『僕』は歌う。言えなかった言葉たちを。
『僕』は歌う。動けなかった後悔を。
それから『僕』は歌う。今、彼女の胸を占めているだろう哀しみと絶望を――。
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