*2
ぱちぱちぱちぱち。
曲を歌い終え、大きく彼女が息をつく。その姿に思わず私の手が動いていた。
誰もいない場所、誰の視界にも入らない彼女、誰も立ち止まらない歌。だけどひとりくらいは”そうじゃないよ”ってコト、伝えたくなったのかも知れない。
自分の行動に、自分でびっくりした。遠くから見てるだけって思ってたのに。
両手で抱えていた古びたアコースティックギターをスタンドに立てかけて、彼女は私の方に視線を向けてきた。
どこか遠いところを見てるみたいに、哀しみの歌声を響かせていた彼女。だけど今は少しだけ感情が戻ってきたみたいで、私を見つめる目つきのどこかに好奇心が浮かんでいるのが分かった。
「――歌、聞いてくれてたんだよね? そうだったら、ありがとう」
穏やかな口調で、彼女が私に語りかけてくる。ちょっと意外。
あまりにも歌にのめり込んでる感じがしてたから、周りの様子とか反応とか、全然気にならないって思い込んでた。
だけど、彼女の言葉は間違いなく私に向けられている。ここには私と、彼女しかいないから。
だったら……。そうだね、挨拶くらいならいいか。
「こちらこそ。あんまり歌とかってよく分かんないけど、とってもキレイな声で歌うんだね。思わず……」
聞き惚れちゃった、って言おうとして、その言い方だとちょっと違うか、って思い直す。
その歌の歌詞。秘めた想いと後悔と絶望。彼女が綴った物語。
「――思わず?」
「あ…、うん。思わず入り込んじゃってた。あなたの歌の世界に」
ちょっと、大げさすぎるかも知れない。だけど案外、素直な気持ちでもあった。
そっか。そう呟いた彼女はほんの少しだけ表情を緩めて、それから夜空を見上げた。
何か、絵になるって感じする。アーティスト? って有名でも無名でもこんな感じなのかな。
「ね、名前」
「……はい?」
「キミ、名前は? 何ていうの?」
たった一人だけの観客に、もう少し興味を持ったらしい。彼女はあらためて私を見て、そう問いかけてきた。
名前……。名前か。こういう出会いの時って、どういう言い方が正解なんだろう?
「――エリカ」
「ふうん。キレイな名前だね。夜空にたくさんの星が輝いてるって感じする。アタシは
キレイ……? 名前が……? それに夜空……?
まるで意味がわからないけど、彼女の中では音とイメージがそんな風につながってるんだろう。そう思うコトにした。
それに小萩だって。ちょっと古風な感じするね。
「古風? そうかも。アタシの名前、おばあちゃんが付けたって聞いたことある」
やばっ。口に出てたみたい。だけど慌てる私を尻目に、小萩は涼しげな表情だ。
「小萩は…、いつもココで歌ってるの? 人、少なくない?」
半分は気まずさを隠したくて、半分は興味本位で、私からも小萩に気になってたことを問いかけてみた。
う~ん。ちょこんと腕を組んで、記憶をたどるように小萩が首をかしげる。
「確かに、そうかも……」
「私もよく知らないけどさ。こういうのって、人通りの多い公園とか、駅なら街中のもっと大きい駅とかでやらない?」
「はは……。エリカは厳しいね。何となくじゃダメ?」
新幹線が絶えず行き来する、この町の中心駅。齢を重ねた木々が連なる大通り。通りと通りをつなぐたくさんのアーケード街に、石畳や噴水で飾られ季節の花々が薫る公園。
この町にはそんな――彼女みたいな人たちの歌声がたくさんの人に届きそうな――場所が、よそ者の私が知ってるだけでも幾つかある。
それなのに小萩が選んだのは、どちらかと言えば寂しい郊外の地下鉄駅だ。
どうして…、その問いかけに意味がないことは分かってるけど、続けずにはいられなかった。
「ダメじゃない… と思う。だけど、聞いてほしいから歌ってるんじゃないの?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます