謎
落書きか、殴り書きか。はたまた暗号か。
アルフレッドは帰路で考えを巡らせていた。
先刻、森の中で見つけた紙切れについてだ。
こんなもの、他に見たことがない。自然にできたものでもなさそうだ。
新聞紙の切り抜きだろうか。それにしては紙質が異なる。むしろ、今までの人生で目にしたどんな紙とも似つかない。輸入品の学術書……というのも考えられるか。だが、本のページの切れ端だとしても、片面にしか文字が書かれていないのは不自然だ。どちらかといえば、手紙というに相応しい。しかし、なぜ木箱の中に? なぜ読めない文字で? 分からない。そもそも誰が、いつ、何のために残した、何なのか。どれも見当が付かない。
もやもや頭を抱えていたアルフレッドは、目の前の木の板に気付かずぶつかってしまった。額を強く打ち付けた先は、彼と家族の住む家の壁だった。考え事をしていると、どうも時間が早く過ぎてしまう。
アルフレッドがノックする前に、玄関戸が開いた。
「……なんだ、帰ったのか」
「ロ、ロベルト兄上……」
荘厳な仁王立ちでアルフレッドの代わりに戸を開けたのは、気品高く髪を流して整えた、彫の深い大柄の男。一家の長男・ロベルトだ。今のところ、アルフレッドが最も畏敬の念を抱く──というより、単に畏怖する相手である。
「外は気温が寒いだろう、アルフレッド。お前は体が弱いのだから、そんな恰好では風邪を引く。早く着替えてしまえ」
温かい気遣いのように見える言葉も、ロベルトの冷たいまなこに睨まれると、また意味合いが変わってくる。ただでさえ金を稼ぐのに手いっぱいなのに、これ以上迷惑をかけるな、そんな解釈が頭を掠めた。
おずおずと兄を横切るアルフレッドに、背中のほうから声が飛んできた。
「……それは何だ」
「えっ?」
振り返った先にいたロベルトは、アルフレッドの右手を指さしていた。当の右手には、湿った紙が握られている。
はっと、腰の後ろへ手を回すアルフレッド。
「い、いえ。なんでもありません」
刃物のようなロベルトの視線が刺さる。互いに無言のまま、見つめ合うこと数秒。アルフレッドの頬に冷や汗が垂れたあたりで、ロベルトが鼻を鳴らして言い放った。
「ふん。まあよい。暖炉のたきぎを補充しておけ」
「あ……はい」
そう口にしたときには、ロベルトは台所のほうへ行ってしまっていた。
ピンチを超えたアルフレッドの心臓は、早鐘を打っていた。
「はあ……焦った」
汚れた紙を見つめて、アルフレッドは息を漏らした。
あの厳格な兄貴は、どこから拾ったかも知れないこの紙切れを見て、何と言うだろう。もし歓迎的でなかったら、さして問題があるわけではないけれど、自分の発見がなかったことになるのは少し寂しい。
もしかしたら、この紙が偉大な功績に繋がるかもしれないのだ。
「……何を執着しているんだ、僕は。そんなわけないだろう」
その日の晩、アルフレッドは部屋の中で、いつもより遅くまでランプを灯していた。やはり、どうしてもあの紙のことが気がかりだ。
なんでもない、誰かの落とし物だと決めつけるには、実に奇妙である。興味深い、ともいえるし、怪しい、ともいえる。理解できない気持ち悪さと、理解したい関心が、ともにある。アルフレッドは、この複雑で微妙な心の挙動を、「好奇心」と呼ぶと知っていた。その実、結局無意味な落書きだったとしても、その事実を知れるなら、それで満足だった。
改めて紙切れの文字列を眺める。スウェーデン語に存在する二十九のアルファベット、そのどれにも属さない表記体系。多分、英語やラテン語とも異なるのだろう。
「もしかして、換字式暗号になってたり? いや……それだと文字の種類が多すぎる。とても二十九に一対一で対応しているとは思えない。文中に単語のスペースがないし、出現頻度も偏りがなさすぎる。となると、東国の言葉か……本当にデタラメか……」
よく観察してみると、文字ごとにその複雑度にも差があるようだった。単純な曲線で構成されているものも、直線が詰まって潰れそうになっているものも、様々だ。
「うーん……同じ文字が何度か出てくるし、デタラメに書いただけとは考えづらいよな。例えば複数の言語をごちゃまぜにしているとか……そんなことをして何のメリットがあるんだ。そもそもこれ……言語として成立しているのか? 文法はおろか、決まった語順があるようには見えない……っていうか、どこからどこまでが一つの単語なんだよ。区切りがないということは、文字一つ一つが意味を持っていて、文法はないとか? いや、どれかの文字が単語を区切る役目を担っているという可能性も……」
何十分の間、頭を悩ませたことだろう。
うんうん唸りながら、進捗も発見もないまま、イライラだけが募っていった。このままではいけない。とうとう行き詰ったアルフレッドは、最終手段に出ることにした。ランプと問題の紙を抱えて、自室を出る。
彼が向かった先は、書斎だった。
元々は父の部屋を兼ねていたらしい。発明家として必要な知識を、本という形で格納していたという。アルフレッドはその姿こそ見たことがないものの、母や兄弟から話を聞いていた。かつては本屋でも開けそうな量だったとか。しかし、その一部は彼が異国へ旅立つ際に携行し、また一部は質屋に入れてしまった。残っているものといえば、買い手のつかない雑誌か辞典くらいだ。それでも、何か手がかりがあるかもしれない。
書斎に繋がる戸を開ける。窓のない部屋は暗く、手にしたランプだけが頼りだった。棚には埃を被った本が、思いのほか多く残っていた。
「てっきり、ほとんど売り払ったのかと……」
アルフレッドは傍らにあったローテーブルにランプを置き、何気なく本を手に取った。これが思ったより重くて、うっかり落としそうになる。埃を手で叩き払うと、題が灯りに照らされて見えた。
「これ……『
「おい」
背筋が凍り付く。
「ひっ……!」
アルフレッドの背後を、腕を組んで睨みつけていたのは。
「……ロベルト兄上」
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