第2話 「止まった時計と白いハンカチ」

今朝、目覚ましは鳴らなかった。

それなのに、私はなぜか8時17分ちょうどに目を覚ました。

窓の外はうす曇り。

制服に着替えて、急いで家を出る。遅刻するほどじゃないけど、ギリギリ。

私はいつも通りの道を歩く。学校へ向かう、あの“右”の道を——


…のはずだった。


なぜか足が、左へ向かった。


「……あれ?」


声に出してみても、自分でもよくわからなかった。

ただ、知っているはずの道なのに、先の風景がまるで思い出せなかった。

不安はなかった。ただ、歩いてみたくなった。


信号の前で、ふと見上げる。

そこには、古びた電柱。

上に取り付けられた丸い時計が、静かに8時17分を指していた。


まるで、自分のために止まってくれているみたいだった。


それを見つめながら横断歩道を渡った瞬間、

誰かと肩がぶつかって、小さく体が揺れた。


「……ごめんなさい」


声が震えていたのは、少し驚いたから。

でもそれだけじゃなかった。なぜならその瞬間——


デジャヴのように、白い何かが視界を横切った。


男の子が、私のハンカチを拾ってくれた。

刺繍された時計の針は、またしても8時17分。


彼の手に渡されたそれを見て、私は小さく息を飲んだ。

この場面を、私は“見たことがある”。夢だったかもしれない。

あるいはもっと遠い、思い出せない記憶の中で。


「……ありがとう。あの、変なこと聞いていい?」


彼は、少しだけ困った顔をして、私の目を見た。


「ここ、通学路だよね。」


「そうだけど。」


「だよね。ありがとう。でも、私……この道、いつから知ってたんだっけ」


言葉を吐いた瞬間、自分の声が少しだけ震えていた。

その理由は、自分でもわかっていた。


私はこの道を、きっと何度も歩いている。

でもそのすべてを、どこかに忘れてきた気がした。


信号が変わる音がして、彼の背中が離れていった。


私は、もう一度だけ振り返って、電柱の時計を見た。

8時17分。

秒針が、ほんのわずかに——動いたような気がした。


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忘却通学路 イリトモ原石 @Genoir

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