永遠のエスポワール

落水 彩

天界にて


「次やったら、クビですよ。あなた」


 白を基調とした空間に響くのは、重く冷たい男の声。大理石でできた壁のせいで暗くなりようが無いはずなのに、詰問する声の主と、その目の前で項垂れる男の間には晦冥かいめいの状を思わせる重苦しい雰囲気が漂っていた。


「……いやでも、仕事はちゃんとこなしてるんで別に問題なく無いですか?」


 反論するようにもう一人が口を尖らせた。目は逸らしたままだった。


「私たち死神の仕事は人間が死ぬまでの幸福度を上げることにあります。魂を運んで終わりじゃ無いんですよ。再三申し上げているでしょう」


 物腰の柔らかな口調だが、言葉の節々に棘を感じる物言いだった。銀縁眼鏡をかけた笑顔を崩さないまま、男は物理的な距離を詰めた。


「そんなこと言ったって、死んだら何も残らないし、正直人間の幸福度云々にこだわる必要もないっていうか」


「エトワールさん」


 名前を呼ばれた男はようやく顔を上げて背筋を伸ばした。ブロンドの髪が僅かに揺れた。


「確かにあなたの功績は素晴らしいものです。その名に恥じぬ最高位の働きぶりです。しかしながら、アンケートを見るに、人間に対するホスピタリティがいささか足りないように見受けられます」


 男は背中に隠してあったバインダーを広げると、中に挟んであった紙をエトワールに見せつけた。

 紙面に記されているのは、最低評価のアルファベットにチェックの入ったアンケートだった。


「あいつ、好き勝手やってまだ文句あんのかよ」


 エトワールは呪うように紙を睨みつけた。

 言葉遣いE、気配りE、性格E……最後にメッセージを残す欄には「二度とその面を見せるな」と書き殴られていた。


「ていうか、このアンケート自体に問題ある気もしますけどね!」


「文句があるなら本気で人間と向き合ってからにしてください。この評価は今回に限った話ではないでしょう」


 この優男がエトワールの肩を持ってくれそうな気配は一ミリも感じられなかった。ほんの少しの期待は粉々に打ち砕かれてしまった。


「……でも別に俺は手を抜いているわけじゃないし、人間にそう判断されたものを覆しようがないっていうか、しょうがないっていうか」


 子どものような言い訳をするエトワールは目を泳がせて、口を尖らせた。


「性格の合う合わないは仕方ありませんが、気配りの部分はどうにかなるでしょう。新人ですらAを取れる項目ですよ。あなた何百年死神やってるんですか?」


「そうは言ったって、人間に好き勝手言われてハイソウデスカって答えるのは違うっていうか」


「時には我慢も必要ですよ」


「やだ、そんなことしても楽しくないし——」


 言い終わる前にエトワールの頭上にバインダーが落とされた。


「痛ッ、なにすんだよ」


「上長には敬語を使うように。いくら私とあなたの仲でも誰がどこで見ているかわかりませんからね」


「こういうときだけ上司ヅラするのやめてくれませんかね……」


 エトワールは頭をさすり、不満を顔面に貼り付けたまま上長に従った。

 敬語を使うのも気疎かったが、従わないとまたバインダーで頭を殴られるのが目に見えていた。


「子どもじゃないんですから。人間ファーストでお仕事に励んでください」


「でも報酬なしで働いてもモチベに繋がらないんですよね」


「それを分かった上で死神になったんでしょう」


 心当たりがあるのか、エトワールは反論できなかった。代わりに鼻を鳴らして顔を斜め下に傾けた。


「とにかく、先ほど申し上げたように、今度の評価でオールSを獲得できなければクビですからね」


「は? オールS? いやさすがにそれは無理っていうか、限度があるっていうか……」


 許しを乞うように黒革の手袋をはめた人差し指をくっつけたり離したりして、目を逸らすエトワールだったが、上長にはロクに取り合ってもらえないようだった。


「そ、それに、そもそもそんな功績残した死神いるわけ……あ」


 目の前の死神はさらに頬に力を入れると、どうされました? と、エトワールに聞き返した。感情を読み取れない笑顔が不気味で仕方なかった。


「へいへい、さすが最高位さんは違いますね」


「では行ってらっしゃい。ああ、これ次の子のレジュメです」


 上長からクリアファイルに入った書類を突きつけられると、エトワールは渋々受け取った。

 ファイル越しに、書類に貼り付けられた少女の顔写真と目が合った。光の宿らない、濁った薄群青色の瞳は、酷く寂しそうだった。

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