硝子の海と風の鈴

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硝子の海と風の鈴


 その村には、風が鳴らす鈴があった。けれど、それはどこにも吊るされていない。耳をすませば、空の奥からかすかに響く。それは“風の鈴”と呼ばれていて、夏の終わり、ほんの数日だけ聞こえるという。


 アオは、その音が聞こえるたびに浜辺に立った。ガラスのように透きとおった海が広がり、波はほとんど立たない。まるで時間ごと眠っているみたいだった。アオの姉――ミオは、三年前にこの海に消えた。誰も何も言わなかったけれど、アオは知っていた。風の鈴の音と、姉は関係があるのだと。


 ある夜、海辺で風の鈴が響いた。月明かりの中、波間に揺れる小さな舟があった。舟には、一人の少女が座っていた。光を透かすような髪、どこか遠くを見る瞳。


「……ミオ?」


 アオの声に、少女はふっと笑った。でも、それが本当に姉かはわからなかった。ただ、懐かしい風の匂いがした。


「わたし、向こう側にいたの。風の鈴の、もっと奥。声を聞きにきたの」


「声?」


「あなたの声。毎年、呼んでくれてたでしょう?」


 アオは涙がこぼれそうになった。でも、ミオはゆっくり首を振る。


「泣かないで。わたし、戻るためじゃなくて、伝えにきたの。大丈夫って。あなたは、ちゃんと未来に向かってる」


「でも……寂しいよ」


「それでも、進めるでしょ?」


 その言葉のあと、風の鈴がもう一度鳴った。舟はゆっくりと沖へ流れていく。アオはただ見送った。波も風もないのに、舟だけが進んでいった。


 朝になったとき、浜辺に小さな風鈴が落ちていた。ガラスでできていて、太陽を透かしてきらきらと光っていた。アオが触れると、静かに音を立てた。


 それは、風がなくても鳴った。


 その音は、どこか懐かしくて、でも確かに未来の方を向いていた。

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