第2話 6. 日本文学または伝統的な日本芸能に関する経験をあなたの研究活動または実作・実演にどのように活かしていく予定ですか。
主に読書と執筆という形で日本文学に関わってきた私ですが、現代の書店に並ぶような小説には「時のゆとり」がないと感じます。過度な構成の中にある、とでも言いましょうか、こう読んで、こう考察して、こういう社会的メッセージを受け取って、と、紙一枚めくったらそこで作者が講釈垂れているんじゃないかと思うような、あまりよろしくない小説。
日本の芸能には、「時のゆとり」が本来あるはずなのです。父方の祖父の家、そこでは、年始に行くとも雅楽がよく流れていました。春の海。祖父は体調を悪くして、病院で、胃瘻をして、寝たきりになりました。病室に行きます。春の海。私の父親の慮りで、ラジカセが置いてありました。春の海。祖父は夏に死にました。テレビで、宮家の方が雅楽を鑑賞されたというニュース。雅楽には指揮者もない、始まりの合図もない、ただ練習のみ、それは美しい。時間芸術であるはずの音楽にして、その不思議な態度。うん、日本のものの美しさとは、そういう態度の中にあると思いました。小さい頃から親に連れられて、神社仏閣やら美術館やら、様々行きまして、遊園地にはいっぺんぐらいしか行きませんでしたが、今はすっかり前者も好きなのです。時が止まったような、いやもはや、時がないような、不思議な空間。それが、神社やら、雅楽やら、寺やらに通ずる、日本の心を表しているのです。
今の小説。つまらないとは言いません。むしろ、昔のものよりずっと面白い。しかし、あの過去の妙な美しさを、また持ってきて、現代に生かしてやれたら、とも思います。そのためにも、書いているのです。
日本文学と私 石田くん @Tou_Ishida
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