第25話 ほんとうの名前で
街を出てから、そろそろ一カ月が経とうとしていた。
険しい山道を抜けて、今は西方の交易路沿いにある中規模都市──ルメルアに向かっているところだ。 ギルドからの依頼は順調にこなしていて、今朝の討伐報告で報酬も確定したところ。
──そんな旅の途中、私は草むらにうずくまりながら、盛大に呻いていた。
「っっ……お、おもっ……重すぎです、これぇぇ……!」
大きめの荷袋に入った魔道具と食料の束、それだけでも私には十分すぎた。
今や恒例となった“軽荷物全部担当”制度は、未だに変わっていない。
「体力つけるってのはそういうことだろ」
当然のように先を歩くレオンは、振り返りもせずに言い放った。
「し、しかたないじゃないですか……もともと机に向かう仕事ばっかりだったんですから……」
「研究室の椅子に根っこ生やして、ずーっと机に向かってたんですよ……」
「運動? せいぜい本棚までの往復ですから!」
ぶつぶつと文句を言いながらも、私は足を止めなかった。
◆
その日の午後、ふたりは村の小さな広場で休憩を取っていた。
木陰に腰を下ろし、私は水筒を握ったままぐったりしている。
「やっぱり……補助魔法なしだと、消耗えぐい……」
「当たり前だろ。そっちのが身体に効く」
木にもたれて腕を組むレオンは、少しだけ口元を緩めていた。
その姿に、胸がじわっと熱くなる。
(なんなのその顔……ちょっと笑ってるとか、ずるすぎる……)
(別に優しくされてるわけじゃないのに、ちょっと気を抜かれただけで……また、きゅんって……!)
視線をそらして、水を一口。
けれど隣の気配は、すぐにこちらへ向いてくる。
「なに、顔赤いぞ。バテたか?」
「ちが……っ、バ、バテてません!水が冷たくて、ちょっとだけです!」
慌てて答えると、レオンはふっと笑った。
そのまま何気なく手を伸ばし、ぽん、と私の額に自分の額を軽く当ててきた。
「……熱はないな。照れてんのか?」
「っ……なっ、ななななにしてるんですかぁぁぁぁっっ!!」
叫びながらのけぞる私に、レオンは悪びれもせずに言った。
「体温確認。あと、顔が真っ赤だったからな」
「そ、そんなの、こっちは素で死にかけてたんですよ!? 心臓が持たないっ……!」
「なら鍛え直しか?」
「話が違うぅぅ!!!」
レオンはくつくつと喉の奥で笑いながら、水をひと口飲んだ。
「……まあいい。ルメルアまで、あと半日ってとこだ。歩けるか?」
「だ、大丈夫ですっ」
(……くぅぅぅ、この人、いちいち心臓に悪い……っ!)
◆
ふと、荷物の重みとともに思い出す。
旅に出る前──私、ちゃんとけじめをつけたんだ。
刃痕の乙女たちには、食事の席でそれとなく報告した。
「色々あって、これからはしばらく、レオンさんと組むことになりました」って。
当然、全員が絶叫した。
『えええええ!?!?』
『それってもう実質婚姻届では!?』
『裏切ったなレイちゃあああん!!』
あの熱量はいまだに忘れられない。
エルドさんにも、しっかりお礼を言いに行った。
静かに話を聞いてくれて、最後に「……やっぱり間違ってなかったな」と、妙に得意げな顔で言ってきた。
その顔を見て、思わず吹き出しそうになった。
なんていうか──ほんとに、自分のことを世話焼きだと思ってないおせっかいなんだから。
研究所には、いざというときのために温存していた別の研究成果を提出した。
擬態魔装の件は伏せたまま、それでも「こういうことなら仕方ないな」と呆れられつつ、長期休暇を認めてもらえた。
あの書類、あとから思えばかなりの爆弾だった気がするけど……まあ、もう済んだことだ。
私は、全部にけじめをつけて、この旅に出てきた。
ちなみに、擬態魔装は今も継続中。
外見を偽っていないと、全身に刻まれた魔法陣が目立ちすぎて、町中ではとても歩けない。
だから指輪は、外さないままでいる。
でも──それでも今は、あの頃の自分とは違うと思える。
覚悟を決めて、選んで、ここに立っている。
そう、私は今──“レイナ・アルフェリード”として、この人の隣を歩いている。
◆
ルメルアに着いたのは、夕方手前だった。
依頼の報告を済ませ、報酬も受け取り終えると、レオンはそっと言った。
「しばらくはここで休めそうだ。……で、今晩ちゃんと動けるくらいには、体力残ってるか?」
その言い方に、私はつい足をもつれさせかけた。
(はいっ♡ 待ってましたぁー♡ あんなこと言ってるけど、ほんとはすっごく優しいんです♡ わたし、ちゃんと知ってますから♡)
顔がにやけそうなのを必死でこらえながら、私はぐいっと荷物を引き直した。
「だ、大丈夫ですっ!ちゃんと魔法もかけてあります!」
後ろからレオンのくつくつ笑う声が追いかけてきたけど、もう私は顔を真っ赤にして俯くしかなかった。
からかうような目線を向けながら、レオンは宿へと歩き出す。
宿は清潔で落ち着いた雰囲気の場所だった。食事も風呂も済ませ、部屋に戻ってくる頃にはすっかり夜も更けていた。
私はベッドに腰を下ろしながら、ちら、とレオンの方を見てから、無言でそっと指輪に手を添えた。
レオンは片肘をついたままこちらをじっと見ていたが、何も言わなかった。
静かに息を吐き、指輪を外す。魔力の皮膜がほどけ、素の姿が戻る。
振り返ると、レオンの目がまっすぐに私をとらえていた。
「……レイナ」
名前を呼ばれただけで、全身が熱くなる。
そのまま、レオンは私の手をとってベッドに引き寄せた。
軽くバランスを崩して倒れ込んだ瞬間、片腕に抱えられるような格好になる。
唇が触れるほどの距離で、レオンの息遣いが肌にかかる。
私が小さく息を飲んだのと、彼の手が腰を撫でるように滑ったのは、ほとんど同時だった。
目が合って、何かを聞かれる前に──私は目を閉じていた。
言葉はなくても、私の反応は十分すぎるほどだった。
触れられて、応えた。
何も考えられなくなるくらい、ぜんぶ任せてしまった。
そして、ひと段落がついたあと。
私はシーツに頬を埋めながら、隣のレオンの気配を感じていた。
「ふと思ったんだが……」
レオンはぽつりと呟いた。
「“レイナ”が“レイ”に変身してるって考えると、それはそれでそそるな。今度、そっちでも抱かせろ」
「っ……な、なに言って……っ」
言葉がうまく出ないまま、私は枕元に顔を埋める。
レオンはくつくつと笑いながら、私の髪に触れた。
「冗談だ。……半分な」
「……もう、ほんとに……でも、そんなところも大好きです♡」
私はその腕の中で、ただ素直に身を預けた。
(きっと、明日もその先も、苦労は絶えない)
(でも──この人となら、笑って歩いていける)
その夜、静かに灯りが落ちていった。
三十二歳、理想の恋は変身から始めます♡ +プッチ @shibei
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