神様の言うとおり/奥村ヒカリ
@hikari_okumura
第1話 東京へ
今、私の目の前にはこの世で一番愛してやまない人間が無惨な姿で横たわっている。
恐怖で震える手をかたく握り締め、彼女を抱きしめた。
「許せない...」
10年前の、薄ピンクの桜がアスファルトに張り付く春の終わりを告げる頃。
20歳で田舎の港町から上京して1ヶ月が経ったとき、私は彼女と出会った。
じめじめと湿気を含んだ風が、腰まで伸びた私の髪を容赦なくうねらせていた。
私は保育園からの幼なじみと一緒に上京し、
「山手線沿いがなにかと便利」という不動産屋の口車に乗せられて、オートロックも何もない
駅から徒歩五分の1階建ての小さなアパートを
2人で契約した。
ルームシェアを認めてくれる物件は限られていた。
立地がいいだけに家賃は割高。
アパートを出るとすぐにコンビニや、牛丼チェーン店やスーパーもあり、これまでの生活とは見違える賑やかな暮らしだった。
後先考えない、計画性も何もない私は
働き先を見つける前に
毎日近所の飲食店や憧れの原宿や渋谷に足繁く通った。
夢のような毎日を過ごした。
初めて目にするものばかりで
自分はこれから何者にでもなれるんだと希望でいっぱいだった。
しかし、働きもしないまま
そんな毎日が続くはずもなく、
たった数週間程で地元で貯めてきた貯金も底をつきそうになっていた。
重い腰をあげて近所のハンバーガーショップでバイトを始めた。
理由は単純、高校時代の2年間と卒業してからの2年間に同じチェーン店で働いていたからだ。
結局、上京前と同じ生活、
いやそれよりもつまらない生活を送っている自分に気付き、自己嫌悪に陥りながら、
自宅に帰る途中の飲み屋街を歩いていた。
すると突然、本物かどうかも怪しいブランドのキャップを被り、都会に無理に馴染むように着飾った若めの男に声をかけられた。
この男と恐らく同じ、田舎者を隠すように派手な化粧をした私に、
「お姉さん、綺麗ですね。お姉さんなら稼げますよ~。」
幼い頃、ドラマで見たような胡散臭い標準語。
まるで脚本をなぞっているみたいに、棒読みだった。
渋谷では目が合わないまま流れ作業かのように声をかける男が五万といるが、
初めて間違いなく私に、
私の目を見て声をかけられ浮ついた私は
TikTokで流れてくるネットドラマのセリフのようなリアクションをして
つい、足を止めてしまった。
どうやら、夜のお店の勧誘をするキャッチというものらしい
金はないが、時間は有り余っている私は
その男に言われるがまま、近くの居酒屋に一緒に入った。
その日も朝からバイトをしていたので、ポテトを揚げる油のにおいが染み付いた髪を束ね直して、素性も知らない、数分前に出会ったばかりの男と乾杯をした。
乾ききった体に冷えたビールが染みた。
上京してから、お世話になった不動産屋とバイト先以外で初めて男性と話して、食事までしている。
少しダサさの残る男とはいえ、
久しぶりに胸が高鳴った。
お互いの自己紹介をすると、
案の定その男も8ヶ月前に東北の田舎から出てきたばかり。
それでもまだ上京して1ヶ月も満たない私からすると、眩しい存在だった。
そして彼も、この大都会で初めて出会った自分よりも田舎者の私と話すのが心地良さそうだった。
あそこの焼き鳥屋は美味しい、あの公園にいる緑のベストを着たじじぃは気をつけろなど
たわいもない話で盛り上がった。
話す話題も底を尽きた頃、やっと本題に入った。
話を聞くと、お酒を注いだり話しをするだけで時給2500円もらえるらしい。
狭いクローゼットに寂しげにかかっている冬物のコートのポケットに手を突っ込んでは
小銭を探す日々の私にとっては
喉から手が出る程の話だった。
本当はもっと稼げるところもあるんだけど、とお互い田舎者同士というだけの共通点で
情がうつったのか、キャバクラの方が安全だとそれ以上のことは勧めてこなかった。
彼はきっともう東京にいないだろう。
半分凍った刺身と冷めた唐揚げに焼きおにぎりをご馳走になり、連絡先を交換して店を出た。
早速、自宅に帰りシャワーを浴び終えたばかりの幼なじみに、早口で先程聞いた夢のような話をした。
地元を出たいというぼんやりとした思いで幼なじみに便乗して上京したきた私とは違って、
高校卒業後、地元のスーパーに就職していた彼女は、幼い頃からの夢だった美容師を諦めきれず今は専門学校に通っている。
しかし、経済状況は私とたいして変わらないので
渋々ではあるが一緒に体験入店というものを
その週の金曜日に早速することとなった。
ドレスは店でレンタルできるらしく、幼なじみと一緒にヘアアイロンで伸ばしても伸ばしても汗でうねるくせっ毛をおさえつけて、なんとか支度を終え、指定の待ち合わせ場所に向かった。
男を見つけるのはそう難しくはなかった。
先日会った時と寸分の狂いもなく同じ格好をしていたからだ。
数日ぶりの再会を果たし、私は誇らしげにその男を幼なじみに紹介した。
いくら田舎くささは残っていたとしても、
正真正銘、新天地で出会った新しい私だけの知り合いだ。
それぞれの自己紹介が終わり、3人でその街では一番煌びやかな繁華街を目指して店に向かった。
梅雨にもなりきれない、じとっとした日だった。
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