幕間:聖アストライアの午餐と、微かな波紋

(第4章と第5章の間→如月凛子遭遇後、カイ様確保後)


幕間:聖アストライアの午餐と、微かな波紋


  再開発地区での刺激的な遭遇と、思いがけない新たなる小さなお友達のお迎えから一夜明けた聖アストライア女学園。

 万里小路まりのこうじ聖歌せいかは、昨日の出来事――特に、あの美しい甲殻の欠片と、ハンカチの中でかすかにハサミを動かすカイ様の愛らしい感触――を胸に抱きしめ、いつも以上に、そして密かに上機嫌で朝の挨拶をこなし、午前中の授業を完璧に、そして時折、カイ様のための最高級アクアリウムの設計図を脳内で描きながら終えていた。


 彼女にとって、昨日の蟲型魔獣は「少々風変わりなフォルムで、しかし甲殻の質感が大変興味深く、そして何よりもその一部がこんなにも愛らしいカイ様を出産? 転生? なさった、素晴らしい研究対象」、そして魔法少女・如月凛子は「アクロバティックなパフォーマンスで害虫駆除をなさる、熱心なボランティアの方、ただし少々お堅いけれど、お連れの蝶々さんは大変美しい羽をお持ちだったわ」程度の認識でしかなかった。

 魔獣の残滓に触れた際の不思議な発光現象についても、「あら、あの甲殻、最後にとても綺麗に光りましたわね。そのおかげで、こんなにも可愛らしいカイ様がお生まれになったのかもしれないわ。だとしたら、あの魔獣さんにも感謝しなくては。もちろん、標本にするための甲殻の欠片もいくつか頂戴いたしましたけれど」と、あくまで自身のコレクションとカイ様の誕生に繋がる、ポジティブな出来事として解釈していた。凛子の「あなたは何者なの?」という問いかけも、聖歌にとっては「あら、わたくしの美貌と気品、そしてこの慈愛に満ちた行動に、きっと心を打たれたのでしょうね。うふふ」という、いつもの……そして致命的な勘違いの引き出しに、大切に仕舞われただけだった。


 昼休み。大食堂『ルミエール』の窓際の席で、聖歌は友人たちとランチを楽しんでいた。今日のメインは、若鶏のハーブロースト~プロヴァンス風~。香ばしい匂いが食欲をそそる。


「聖歌様、昨日はどちらかへお出かけでしたの? なんだか、いつもにも増してキラキラとしたオーラを放っていらっしゃるように見えますけれど……。何か、素晴らしいもふもふとの出会いでもおありになったのかしら?」


 一条院いちじょういん彩子あやこが、期待に満ちた眼差しで聖歌の顔を覗き込んだ。

 彼女の聖歌様センサーは、聖歌の微細な機嫌の変化や、もふもふ関連の出来事の予兆を敏感に察知する。聖歌取り巻き代表なだけあって、この子もちょっとおかしいかもしれない。


「まあ、彩子様、お分かりになりますの? うふふ、さすがはわたくしの親友ですわね」


 聖歌は、にこやかに、どこか秘密めいた輝きを瞳に宿して答えた。


「ええ、昨日は少々、珍しい『野生生物の観察』と、それから……ふふ、小さな、小さな『海の宝石』のようなお方との、運命的な出会いがございましたのよ。ええ、とても……そう、独創的なデザインの甲殻を持つ大きな生き物と、それから、まるでサファイアのかけらが命を宿したかのような、それはそれは愛らしい……そうね、小さなヤドカリさんのようなお方かしら」


 聖歌は、昨日の光景を思い出しながら、うっとりと語った。カイ様のことを思い浮かべているのだろう、その頬はほんのりと上気している。その言葉に、たちばな響子きょうこが目を輝かせた。


「へえ! 野生生物の観察に、海の宝石!? それって、もしかして鷹とか隼とか、そういうカッコイイ系の後に、どっかの海岸で激レアなカニとか見つけたってことか!?いいなー! 俺もそういう冒険してえ! 蟹食いてえ! 咲いた花より裂いた蟹派! 挨拶はエビ―!」

「響子様、お言葉がいつもとなりにおいしい人みたいになっておりましてよ。鷹……。いいえ、鷹とは少し違いましたけれど、とても力強く、そして何よりもその甲殻の質感が芸術的でしたわ。ただ、残念なことに、その大きな方の甲殻を丸ごとコレクションに加えることは叶いませんでしたの。あっという間に、キラキラとした光の粒子になって大部分が消えてしまいましたから。まるで、儚い夏の夜の夢のようでしたわ。でも、いくつかの美しい欠片は、しっかりと『保護』させていただきましたけれどね」


 聖歌は、ハンカチに包んだ甲殻片のことを思い出し、満足そうに微笑んだ。そして、声を潜めて続ける。


「でもね、響子様、もっと素晴らしいことがあったのですわ。その大きな方が消えた後、まるで奇跡のように、それはそれは小さくて可愛らしい、透き通るような水色の甲殻を持つ『海の妖精』のようなお方が、わたくしの目の前に現れたのですもの! わたくし、その方があまりにも健気で愛らしかったので、思わずお迎えしてしまいましたわ。今頃、お屋敷のサンルームで、セバスチャンが用意してくれた最高級のクリスタルアクアリウムの中で、元気にハサミを動かしていらっしゃるはずですわ。お名前は『カイザー・シェルブリリアンス・アクアマリン』……愛称はカイ様でしてよ。うふふ、早く帰って、カイ様のお食事の時間にしなくては。今日は特別に、ミクロネシア産のプランクトンと、伊勢海老の身を細かく刻んだものをブレンドした特製ディナーをご用意するつもりですの」


 聖歌は、本気で幸せそうな表情を浮かべた。その手元では、自分が食べている若鶏のハーブローストをフォークで小さく切り分けながら、「あら、このハーブの香り、もふアンもきっとお気に召すでしょうね。お屋敷でお留守番しているあの子にも、少しお土産に持って帰ってあげなくては」などと呟いている。

 如月きさらぎ玲奈れいなは、聖歌のその言葉――特に「大きな方が消えた後」「海の妖精のようなお方が現れた」「お迎えしてしまった」そして「もふアンへのお土産」といった、相変わらずのマイペースぶりと、その背後に潜むであろう常識外れの出来事の数々――に、何か釈然としないものを感じ、背筋に微かな悪寒を覚えたが、深くは追求しなかった。聖歌の言う『コレクション』や『お迎え』の範囲は、時に常人の理解や法的・倫理的境界線を軽々と超えることがあるのを、彼女は経験上知っていたからだ。それでいて万里小路家の力を使えば、例え漁業権の侵害だろうと侵害でなくしてしまうのだから末恐ろしいものである。


(また何か……とんでもないものを拾ってきたようね、この子は……。しかも、今度は水棲生物……? 万里小路家のサンルームが、そのうちアマゾンの秘境か何かになってしまうのではないかしら……? そして、もふアンというお方も、一体どのような……)


 玲奈は、内心で頭を抱えつつ、努めて冷静に話題を変えた。


「そ、そう……。それは良かったわね、聖歌。その……カイ様も、もふアン様も、きっとお喜びになるでしょう。うっ……胃が…………それより、先日あなたが話していた『防災に関する調査』、何か進展はあったのかしら? 父が、最近また各地で原因不明のインフラ事故が頻発していると懸念していたわ。万里小路家としても、何か対策を講じるおつもりなのではなくて?」


 玲奈が、生徒会長としての情報収集の一環として、そして純粋な友人としての――そして世界の平和を願う一市民としての――関心から尋ねた。聖歌は、一瞬、カイ様のための特製もふもふ海藻ベッドと、もふアンのためのハーブ風味若鶏ジャーキーのデザイン案から意識を引き戻されたかのようにきょとんとした表情を浮かべたが、すぐに思い出したように、そしてどこか得意げに頷いた。


「ああ、『防災』の件ですわね。ええ、セバスチャンが集めてくれた貴重な資料によりますと、いくつかの『ガーディアンズ』とかいう組織が、『非常に大型で、そしておそらくは絶滅の危機に瀕しているであろう野生動物』の保護に、それはそれは熱心に尽力なさっているようですわ。ただ、その保護施設の環境が、わたくしが理想とする『究極のもふもふパラダイス』には、残念ながら程遠いようでして……。特に、その方々のお寝床の素材の選択や、日々のブラッシングの頻度、そして何よりも食事のメニューの貧弱さなど、改善すべき点が山のように見受けられましたわ。これは、動物愛護の精神に悖る、由々しき事態ですわね。いつか、わたくしが直接指導に赴き、その飼育環境を劇的に改善して差し上げなくてはなりませんわ! ザ・ワン様のような高貴なお方を、そのような劣悪な環境に放置しておくなど、断じて許されませんもの!」


 聖歌は、真顔で、そしてどこか使命感に燃えて力説した。

 『ガーディアンズ』の極秘資料――ザ・ワンの封印環境に関するデータ――を「絶滅危惧種の大型動物の飼育マニュアル」として熟読した結果の、純粋で、そして極めて危険な感想であった。玲奈は、そのあまりにも斜め上で、そして潜在的に国際問題に発展しかねない壮大な懸念に、もはや言葉を失い、ただただ遠い目をするしかなかった。


(この子は一体、何を言っているのかしら……? 『ガーディアンズ』に飼育指導……? それは、猛獣の檻に自ら頭を突っ込むようなものでは……? ああ、もう、私の胃が……そして、ザ・ワン様って、一体どなたなの……? 聞けば聞くほど、謎が深まるばかりだわ……)


 そんなやり取りがあった数日後。聖アストライア女学園の掲示板に、一枚のポスターが貼り出された。

 それは、来月開催される学園祭『アストライア祭』の実行委員会が作成したもので、「クラス対抗・学園マスコット創作コンテスト~我らが学園の新たな星を創造せよ!~」の告知だった。


「まあ、マスコット創作ですって? なんて楽しそうな催しでしょう。きっと、可愛らしい動物さんのマスコットがたくさん見られますわね!」


 リリィこと白鳥百合子が、ポスターの前で嬉しそうに声を上げた。


「わたくしたちのクラスも、何か素敵なマスコットを考えて、最優秀賞を目指しませんこと? もちろん、デザインは聖歌様にお願いするのが一番ですわよね!」


 その言葉に、聖歌の大きな蒼い瞳が、ひときわ強い、そしてどこか獲物を見つけた肉食獣のような、しかし本人はあくまで芸術的閃きと信じている輝きを放った。


「マスコット……。ええ、それは素晴らしい、実に素晴らしいアイデアですわね、リリィ様、彩子様! わたくし、お任せくださいまし! この万里小路聖歌が、我が二年星組の名誉にかけて、そして何よりもこの宇宙に存在する全ての『もふもふ』への愛と感謝を込めて、最高の、いえ、究極を超えた『ギガント・もふもふ・マスコット』をデザインしてみせますわ! 全校生徒が、いえ、この学園を訪れる全ての方が、その手触りと抱き心地の虜となり、あまりの幸福感に涙し、そして永遠に『もふもふの素晴らしさ』を語り継ぐことになるような、伝説のマスコットを!」


 聖歌は、既に頭の中で、翼と角と、そして星空のような毛並みを持ち、抱きつけば魂ごと浄化されるような、それはそれは巨大で、そしてどこまでも愛らしいぬいぐるみの完璧なデザインを、猛烈な勢いで構想し始めていた。

 もちろん、そのモデルは、彼女がいつか必ずやお迎えすると心に誓ったザ・ワン様と、彼女がこれまでに出会った(そしてこれから出会うであろう)全ての素晴らしいもふもふたちの魂の集合体である。


 友人たちは、聖歌のその並々ならぬ、もはや狂気に近いほどの情熱と、その口から発せられる「ギガント・もふもふ」という謎の単語に圧倒されながらも、しかし同時に、(聖歌様がそこまで仰るのなら、きっと、本当に、とんでもなくすごいものができるに違いないわ……。ちょっと怖いけど、すごく楽しみ……)と、ある種の期待と、ほんの少しの戦慄を抱くのであった。


 聖アストライア女学園に、新たな「もふもふ旋風」が、いや、もしかしたら「もふもふ・タイフーン」が巻き起こる予感は、まだ誰も、そしておそらくは聖歌自身すらも、正確には知らない。そして、その「究極のマスコット」のデザイン画が、後に『ガーディアンズ』の手に(もちろん、ドクター・アリスの特殊なルートを通じて)渡り、「緊急警告! エンプレス・モフによる新型キメラ聖獣、あるいは対都市制圧用巨大もふもふゴーレムの設計図、ついに発見さる!」として、ドクター・アリスの珍レポートに、またしても衝撃的な新たな1ページを加えることになるなどとは、この時点では知る由もなかったのである。

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