動物愛好家の午後~アンリエット様ともふもふ談義~
時系列:プロローグの時期。春爛漫の、ある日の昼休み。
春の陽光がさんさんと降り注ぐ聖アストライア女学園の中庭。色とりどりの花々が咲き誇る薔薇園の脇に設けられた白いパラソルの下、万里小路聖歌は、レースの刺繍が施されたクッションを膝に乗せ、その上で気持ちよさそうに微睡む学園猫のアンリエット様を、至福の表情でブラッシングしていた。銀色の毛並みが、聖歌の持つ象牙の櫛によって丁寧に梳かれるたび、アンリエット様は満足げにゴロゴロと喉を鳴らし、その音はまるで小さなオルゴールのようだった。
「聖歌様、ごきげんよう。アンリエット様、とても気持ちよさそうですわね」
ふわりとした亜麻色の髪を揺らしながら、白鳥百合子――愛称リリィ――が、お弁当の入ったバスケットを手に、聖歌の隣の席にそっと腰を下ろした。彼女の大きな瞳は、聖歌とアンリエット様の姿を、温かい眼差しで見つめている。
「まあ、リリィ様。ごきげんよう。ええ、アンリエット様は、この春の日差しと、わたくしのブラッシングが大変お気に召したようですわ。ご覧になって、この陽光を浴びてキラキラと輝く銀色の毛並み……まるで、月の光をそのまま織り込んだ絹織物のようですわね」
聖歌は、アンリエット様の背中を優しく撫でながら、うっとりと呟いた。リリィは、その言葉に深く頷いた。
「本当に……。アンリエット様の毛並みは、いつ拝見してもため息が出るほど美しいです。聖歌様が毎日愛情を込めてお手入れなさっているからなのでしょうね。見ているだけで、こちらの心まで温かくなりますわ」
「うふふ、ありがとうございます、リリィ様。でも、わたくしがお手入れをしているというよりは、むしろアンリエット様のこの至高の『もふもふ』に、わたくしが癒やしと活力を頂いているのですわ。この、ゴロゴロゴロ……という喉の音……。これは、ただの鳴き声ではございませんのよ。これは、宇宙の根源的な調和と、生命の賛歌を奏でる、聖なる音楽なのですわ。この音色に耳を澄ませていると、日頃の悩みなど、まるで春霞のように消え去ってしまいますもの」
聖歌は、真顔でそう熱弁した。リリィは、そのあまりにも壮大な表現に目を丸くしたが、すぐに納得したように微笑んだ。
「宇宙の調和を奏でる音楽……まあ、聖歌様らしい、とても素敵な表現ですわね。確かに、アンリエット様のゴロゴロ音を聞いていると、なんだか心が安らぎますもの。わたくしのお家で飼っているウサギの『雪まろちゃん』も、撫でてあげると小さく歯をカチカチ鳴らすのですけれど、それもきっと、雪まろちゃんなりの『幸福の音楽』なのかもしれませんわね」
「まあ、雪まろちゃん! なんて愛らしいお名前なのでしょう! きっと、雪のように白くて、マシュマロのようにふわふわとした、素晴らしい『もふもふさん』に違いありませんわね!」
聖歌の目が、新たな「もふもふ」への期待にキラキラと輝いた。リリィは、嬉しそうに頷いた。
「はい! とっても臆病な子ですけれど、撫でてあげると安心したように目を細めるんです。その時の、耳の後ろの柔らかな毛の感触が、わたくし大好きで……」
「分かりますわ、リリィ様! 動物さんたちの、あの無防備で信頼しきった表情と、その柔らかな温もり……あれこそ、神様が我々人類にお与えになった、最高の贈り物ですわよね。そして、このアンリエット様の肉球! ご覧になってくださいまし、この淡いピンク色の、ぷにぷにとした至高の感触! まるで、最高級の羽二重餅のようですわ! この一つ一つの肉球に、宇宙の神秘が凝縮されていると言っても過言ではありませんわ!」
聖歌は、アンリエット様の前足をそっと持ち上げ、その肉球をリリィに見せながら、恍惚とした表情で語った。アンリエット様は、少々迷惑そうにしながらも、聖歌の手の中で大人しくしている。
リリィは、聖歌のそのあまりの情熱と、次から次へと飛び出す「宇宙」だの「神様」だのといった壮大な言葉に、感嘆しつつも少しだけ圧倒されていた。
(聖歌様の動物さんへの愛情は、本当に深くて……そして、何だかとても哲学的です……。わたくしには、まだアンリエット様の肉球に宇宙の神秘までは感じられませんけれど……でも、聖歌様がそう仰るのなら、きっとそうなのだわ)
リリィは、聖歌の純粋な「もふもふ愛」に、改めて尊敬の念を抱いた。
「聖歌様のお話を伺っていると、動物さんたちが、ますます愛おしく、そして尊い存在に思えてきますわ。わたくしも、もっと雪まろちゃんを大切にして、その『もふもふの福音』に耳を傾けたいと思います」
「ええ、リリィ様、ぜひそうして差し上げてくださいまし。全ての『もふもふ』は、我々に無償の愛と癒やしを与えてくださる、地上に舞い降りた天使なのですから。その温もりと手触りに感謝し、日々その素晴らしさを称えることこそ、我々人間の使命なのですわ」
聖歌は、どこまでも真剣な表情でそう締めくくった。アンリエット様は、そんな聖歌の言葉を肯定するかのように、「にゃあ」と可愛らしく一声鳴き、聖歌の膝の上で再び満足そうに喉を鳴らし始めた。
春の陽光がきらめく聖アストライア女学園の中庭で、二人の少女と一匹の猫が織りなす「もふもふ談義」は、どこまでも穏やかに、そして温かく続いていく。リリィは、この心優しい友人が語る「もふもふ哲学」の奥深さに、これからも触れ続けていきたいと、心から願うのだった。そして、いつか自分も、アンリエット様の肉球に宇宙を感じられる日が来るかもしれない、と密かに期待するのであった。
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