第6話「エンプレス・モフ」

 数時間後。対魔獣防衛機構ガーディアンズ日本支部、地下五階。

 鋼鉄の分厚い扉に守られた指令室は、壁一面を埋め尽くす戦術モニターの青白い光と、絶え間なく響くキーボードの打鍵音、そして凝縮された緊張感に満たされていた。

 その中央、巨大なホログラムテーブルを前に腕を組む壮年の男――神宮寺じんぐうじまことは、苦虫を噛み潰したような表情で、立体映像として投影された如月凛子からの報告に聞き入っていた。


「――以上が、対象魔獣討伐の経緯と、その際に遭遇した万里小路まりのこうじ聖歌せいかと名乗る民間人と思しき少女、及びその後の不可解な現象、そして彼女が持ち去ったと思われる魔獣の甲殻片数点と詳細不明の極小サイズの甲殻類型生物一体についての詳細です。繰り返しますが、対象が魔獣の残滓に触れた瞬間、周囲の瘴気が完全に消滅し、魔獣の残滓から温かな金色の光が発せられる現象を、わたくしと妖精ルミナは明確に視認いたしました」


 凛子の声は、やや回復したものの、未だ疲労の色を滲ませつつも、明瞭かつ的確であった。

 彼女が語る聖歌の常軌を逸した言動、討伐後の魔獣の残滓が見せた浄化とも取れる発光現象、そして何よりもあのミニチュア甲殻類の出現と聖歌によるお持ち帰り。

 その報告は、指令室の空気を一層重く、そして奇妙なものにした。


「民間人が結界内に侵入し、戦闘を視認、あまつさえ魔獣の残滓に接触し、それを持ち去ったというのか? ありえん。如月隊員の結界の隠蔽効果は完璧なはずだ。一体どうやって……そして、その浄化現象とは一体……」


 オペレーターの一人が、信じられないといった様子で呟き、他のオペレーターたちも不安げに顔を見合わせている。


「万里小路聖歌……データベースの照会を急げ。該当する特記事項を持つ人物は……万里小路家……まさかあの万里小路か……?」


 神宮寺司令の低い声が、重々しく指令室に響いた。

 彼の脳裏には、日本の裏社会にも絶大な影響力を持つと言われる謎多き名家万里小路の名と共に、それとは全く異なる、しかし同様に重い意味を持つ、もう一つの顔が浮かんでいた。

 四十年前の『アウター・ワン・カタストロフ』の際、混乱と絶望の淵にあったこの国で、最も早く復興に尽力し、多大な私財と影響力をもって、後の『ガーディアンズ』設立の最大の功労者となった一族――その中心にいたのは、聖歌嬢の祖父君にあたる、先々代の万里小路家当主であった。

 組織の設立趣意書には、今もその名が筆頭に記されている。

 そのご令孫が、このような形で、我々の前に現れるとは……。

 これは、単なる特異現象では済まされない、極めてデリケートな事態かもしれぬ。神宮寺司令の額に、じわりと冷たい汗が滲んだ。


「はい。ただいま照会中ですが……通常のデータベースには、聖アストライア女学園に在籍するご令嬢である、という情報以外、特筆すべき危険情報や、特殊能力に関する記録は現在のところ……ただ、万里小路家そのものに関するファイルは、コードΩオメガクラスの最高機密指定となっており、我々が通常閲覧できる範囲を遥かに超えております。……噂によりますと、その一部はガーディアンズ設立時の最重要機密事項、及び万里小路家と当機構との間の特別協定にも関連するとか……」


 オペレーターが、緊張した面持ちで言葉を濁したところで、指令室の奥の扉が、まるでこの瞬間を計算し尽くしていたかのように、絶妙なタイミングで静かに開き、白衣をまとった一人の女性が入室してきた。

 肩にかかる癖のある黒髪、大きな丸眼鏡の奥で知的に、しかしどこか常軌を逸した子供のような好奇心の光を宿す瞳。彼女こそ、機構の頭脳にして最大の奇才にして最大の頭痛の種、特異現象分析課主任、ドクター・アリスであった。


「神宮寺司令、そして凛子君、お疲れ様ですわ! その万里小路聖歌嬢に関する初期情報、及び関連性が強く疑われる複数の異常事例アノマリーについての、わたくしのエキサイティングで画期的な初期分析レプォートが、ちょうど、本当にちょうど、神のお導きか運命の悪戯か! あるいは万里小路家の深遠なる情報操作の賜物か! まとまりましたのよ!! なんというシンクロニシティ!! これはもう、世紀の大発見と、それに伴う組織改編の予感しかしませんわ!」


 ドクター・アリスは、薄いタブレット端末をまるで聖書か何かのように胸に抱きしめ、早口で、隠しきれない興奮を滲ませながらそう告げた。

 特に、凛子の報告にあった謎の小型甲殻生物のお持ち帰りのくだりでは、彼女の目が一際妖しく、そして子供のようにキラキラと輝いたように見えた。

 神宮寺司令の苦悩の色がさらに深まったのは言うまでもない。


 さらに数時間後、緊急招集されたガーディアンズ日本支部幹部会議室。

 重苦しい雰囲気の中、ドクター・アリスのプレゼンテーションが始まろうとしていた。

 巨大スクリーンには【特異対象X:コードネーム『エンプレス・モフ』に関する初期考察 ~その生態、能力、そして彼女が世界と、ついでに当組織の予算編成にもたらすであろう『もふもふ・パラダイムシフト』の可能性について~】という、既に結論はおろか、壮大な物語の結末と、それに伴う予算要求までも見通しているかのような、そっけないようでいて非常に扇情的で見るのも嫌になるほどあほくさいタイトルが表示されている。


「皆様、まずはこの映像とデータをご覧くださいまし。これは、如月隊員が先日遭遇した戦闘記録の断片と、その際に特異対象X……いえ、わたくしが心からの畏敬と親愛と、ほんの少しの組織の未来への不安を込めて命名させていただきました、コードネームエンプレス・モフが示した、まさに神懸かりとしか言いようのない驚くべき行動の記録ですわ」


 エンプレス・モフって何だよ……という空気が漂う中、ドクター・アリスが、芝居がかった仕草で指を鳴らすと、スクリーンに複数の映像が断片的に映し出される。

 凛子が撮影した戦闘記録。聖歌が魔獣の残滓に触れ、それが浄化されるかのように光る瞬間。聖歌が何か小さなキラキラ光るものをハンカチに包んで、まるで宝物のようにドレスのポケットにしまう不鮮明な映像。そして、ここ数週間で万里小路家、及びその関連企業が、世界各地から秘密裏に、そして異常なまでのスピードで購入した物品のリスト。

 その物品リストを見た者たちはその稀少性や値段を見て口が唖然と開きっぱなしになった。

 まずは最高級ペットフード。犬猫用から爬虫類用、果ては未確認幻想生物専用・オーガニック無添加グルメフードと特注されたものまで、その総額はガーディアンズの年間活動予算に匹敵するレベル。

 続いて世界各地の希少なハーブや鉱石。特に月の雫石や太陽の涙と呼ばれる、魔力親和性の高いとされるもの、その一部は当機構の極秘研究素材リストと酷似している。

 さらに動物用の巨大なアスレチック遊具や、ダイヤモンドとプラチナで装飾された豪華絢爛な飼育ケージの数々、そして何故か、最高級の観賞用アクアリウム一式と、深海から採取されたという希少な発光性海藻、さらには極小サイズの純金製のお城まで。


「これらは全て、ここ数週間で急速に、そして極めて不可解な形で顕在化したアノマリーですわ。そして、これらの事象の中心には、常に一人の少女の影が、まるで運命の糸を優雅に操るかのように、美しく、そして妖しくちらついておりますの。そう、万里小路聖歌。わたくしは、彼女に対し、畏敬と親愛と、そしてほんの少しの戦慄を込めて、コードネームエンプレス・モフを献上したいと、ここに改めて宣言いたします!」


 室内に、もはや失笑というよりは、疲労と困惑と、そしてほんの少しの諦観が入り混じった、乾いた咳払いの音が、そこかしこから漏れた。


「ドクター・アリス……そのコードネームは、いささか……その、個性的すぎるというよりは、もはや事案そのものなのではないかね……? そして、その万里小路家の購入リスト……一部、当機構の極秘プロジェクトと関連するような品目が見受けられるのだが……?」


 神宮寺司令が、こめかみを強く揉みながら、何とか言葉を絞り出す。彼の胃は、既に限界を超えて悲鳴を上げていた。


「あら、司令、ご冗談をおっしゃらないでくださいまし。これほど的確で、示唆に富み、そして何よりもその方の本質を愛らしく表現したコードネームは、古今東西、いえ、全宇宙を探してもございませんわ! それに、万里小路家の購入リストに、当機構の極秘プロジェクトと関連する品目があったとしても、何の不思議がございましょう? まあ、設立の経緯や、これまでの多大なるご寄付の額を考えれば、万里小路家が我々ガーディアンズの内部情報や施設の一部を、まるでご自身の広大なお庭の隅にある物置小屋のように把握していたとしても、それはむしろ当然の権利とすら言えるかもしれませんけれどね? うふふ、皮肉ですわ、全くもって構造的な皮肉ですわね!」


 ドクター・アリスは、楽しそうに肩をすくめた。

 その言葉には、組織のタブーに踏み込むような、しかし彼女にとっては些細な事柄でしかないという、悪意のない無邪気さが含まれていた。


「ごほん。結論を急いではいけませんわよ、司令。これらの事象は、単なる偶然や、大富豪のご令嬢の突飛な奇行では、到底、万に一つも説明不可能なのですもの。まず、対象エンプレス・モフは、我々の既知のいかなる魔獣、あるいは魔法少女、さらには神話上のいかなる存在とも異なる、全く新しいカテゴリーの、そしておそらくは我々の文明のあり方そのものを根底から覆しかねない特異点シンギュラリティであると断言できますわ!」


 ドクター・アリスは、レーザーポインターでスクリーンに映し出された聖歌の――偶然にも、ほんの僅かに口角を上げ、全てを見透かしたかのような、どこか神秘的な微笑みを浮かべた瞬間の――鮮明な写真を、まるで聖画像でも指し示すかのように、厳かに指し示した。


「第一に、彼女は魔獣に対し、異常なまでの親和性、あるいは絶対的調伏力もふもふ・アブソリュウゥゥトゥ・コントォルォールとでも呼ぶべき、神の如き力を持つ可能性が極めて高いですの。如月隊員の報告によれば、エンプレス・モフは魔獣にただ接触するだけで、その活動を完全に鎮静化させ、その存在構造そのものを組み替え、あまつさえその凶暴にして醜悪な性質を、有益で愛らしくそして何よりももふもふなものへと、まるで粘土細工でもするかのように、瞬時に変貌させるという、まさに奇跡の兆候を見せました。これは、我々が聖獣転生ホーリー・モフ・リインカヌェーションあるいはもふもふ・トランスフォーメーション・レベルマァアアアックスと仮称する、全く新しい、そして極めて重要な、宇宙の法則すら書き換えかねない事態ですわ! あの小型甲殻生物こそ、その輝かしき最初の成功例であり、彼女の聖獣軍団の第一号兵士なのかもしれませんのよ!」


 まくしたてるように持論を展開したドクター・アリスは、少しばかりの深呼吸をし、さらに言葉はやに続ける。


「第二に、その底知れぬ経済力と、地球全土を覆い尽くすかのごとき、恐るべき情報収集及び物資調達能力。万里小路家のバックアップがあるとしても、彼女がここ数週間という短期間に入手し、そして消費している魔獣関連の物品や情報は、一個人の趣味や道楽の範疇を遥かに、それこそ銀河系を丸ごと購入できるレベルで超えております。これは、背後に何らかの巨大な秘密結社、あるいは見えざるもふもふ帝国の存在と、そして極めて明確で、壮大で、そしておそらくは人類にはまだ早すぎる目的意識がなければ、絶対に不可能ですの!」


 さらにドクター・アリスは続ける。彼女が言葉を紡ぐたびに、神宮寺司令の胃は四十年前、ザ・ワンと対峙した時のそれを超えた胃痛を訴えかけている。


「そして第三に、その神出鬼没さ、我々の誇る最新鋭の高度な監視網や結界すらも、まるで蝶が花畑を散歩するかのように容易く掻い潜る、驚異的なまでの隠密性と予測不可能性! 彼女は、まるで未来予知でもしているかのように、あるいは高次元からこの世界を俯瞰しているかのように、常に最適なタイミングで魔獣大量発生ポイントや特異エネルギー収束地点、期間限定レアもふもふ出現エリアに」

「期間限定レアもふもふ出現エリア?」

「まるで運命に導かれるように現れ、我々の意図や計画を優雅に嘲笑うかのように目的を達しては、一輪の百合の花のように清らかに、しかし誰にも捕らえられずに忽然と姿を消す……。これは、もはや人間の知恵を超えた、高次元的な存在の気まぐれな介入、あるいは神々の遊びの領域すら疑わせますわ!」


 ドクター・アリスの熱弁は、もはや誰にも、そして何ものにも止められない。彼女の口から滔々とうとうと、そして嬉々として語られるのは、万里小路聖歌の全ての行動を、恐るべき知性と計画性、そして強大なカリスマ性を持った、未知の勢力の指導者による暗躍として解釈した、壮大にして華麗なる、そしていささか電波的な陰謀論であった。

 その論理は、細部を見れば「それはただの天然お嬢様の奇行なのでは?」「それは偶然と万里小路家の財力と側近(セバスチャンなどのこと)の有能さの合わせ技では?」と、冷静なツッコミどころ満載であるように思える。

 しかし、提示される状況証拠の数々と、ドクター・アリスの異常なまでの熱意と、その瞳に宿る狂気的なまでの確信が、会議室の百戦錬磨の幹部たちに、奇妙な説得力と、そして何よりも言いようのない、背筋の凍るような不安感をもって迫る。

 万里小路聖歌の、ただひたすらに純粋で、そして底なしのもふもふ欲が、ここでは「高度な擬態と演技による人心掌握術」「経済力を背景とした、全世界規模でのソフトなもふもふによる世界侵略計画の布石」「魔獣聖獣化による、無敵の新兵器開発と、それを用いた軍団の組織」といった、恐るべき、そしてどこかメルヘンチックなキーワードへと、華麗に、容赦なく変換されていくのであった。


「――以上の、わたくしの明晰なる分析と、寸分の狂いもない論理的帰結から、対象X、コードネーム『エンプレス・モフ』は、人類社会に対し、現時点ではその全貌も最終目的も予測不可能ながら、潜在的に、いや既に顕在化しつつある、極めて大きな影響力と、計り知れない危険性を及ぼしうる、まさに神か悪魔かとでも言うべき、超常的特異存在であると、ここに断言せざるを得ませんわ! その最終目的は、おそらく、地球上の全てもふもふ……いえ、全宇宙の全てのもふもふポテンシャルを秘めた存在を、その絶対的なカリスマと、筆舌に尽くしがたいもふもふパワーによって完全に支配下に置き、新たなる生態系ピラミッド、いや、新たなる宇宙の法則を構築し、自らを永遠の女帝として頂点に君臨する大銀河もふもふ帝国グレート・ギャラクティック・モフモフ・エンプァイヤァを、この星に、いえ、あるいはこの三次元宇宙を超越した高次元にでも建設することかもしれませんのよ! そして、その暁には、我々人類は、彼女の愛らしくも忠実なるもふもふサーヴァントとして、日々そのお世話とブラッシングに明け暮れ、最高級の餌を与えられ、そして時折その気まぐれで頭を優しく撫でられるだけの存在に成り下がるのかも……ああ、でも、それはそれで、ある種の究極の、抗いがたい至福の境地なのかもしれませんわね……ハッ! い、いえ、今の発言は、あくまで科学者としての客観的な可能性の示唆であり、わたくし個人の願望では決して……ごほん!」

「えぇ……」


 ドクター・アリスが、一瞬我に返ったかのように芝居がかった仕草で咳払いをすると、会議室は、水を打ったような、そしてどこか凍りついたような、あるいはもはや笑うしかないといった諦観に満ちた、完全な沈黙に包まれた。

 いくつかのモニターが、彼女の熱弁によるエネルギー過多でショートしたかのように、チカチカと明滅している。


 神宮寺司令は、深く、長く、長ーーーーーい、魂の底からの疲労感を伴った溜息をついた。

 彼の愛用する胃薬は、もうとっくに底をついていた。しかし、無視はできない。

 万里小路という、この国の、いや世界の裏側でどれほどの力を持つのか計り知れない名家、そしてガーディアンズ設立の陰の功労者でもある一族のご令嬢。実際に如月凛子が目の当たりにし、他の魔法少女からも同様の報告が上がり始めている、魔獣の不可解な鎮静化と浄化現象。何かが、これまでの常識では到底測れない、途方もない、そしてもしかしたら人類の手に負えないかもしれない事態が、進行し始めていることだけは、残念ながら、そして疑いようもなく確かなようだった。


「……分かった。ドクター・アリスのその……あまりにもユニークで、そしていささかSF的すぎる、しかし無視するには危険すぎる分析を、一旦、一旦、基に、緊急対策を検討する……はぁ……」


 神宮寺司令は、重々しく、そして心の底からの、もはや諦念に近い疲労感を滲ませながら告げた。

 彼の声には、未知の脅威への警戒と、そして何よりも万里小路家という存在への複雑な配慮が色濃く滲んでいた。


「対象【エンプレス・モフ』…いや、『万里小路聖歌』嬢に対する、最大限の、極めて慎重かつ、我々の組織の存亡、いや、人類の未来をも賭けた監視体制を確立する。専従の特別対策チームを、ドクター・アリス、君の直下に編成し、その能力、目的、そして何よりもその計り知れない背後関係の解明を、最優先事項とする。全魔法少女部隊に対し、対象とのいかなる形態での接触も、原則としてこれを固く禁止する。万が一、不測の事態により接触した場合は、細心の注意を払い、可能な限りの情報収集を行うこと。そして、もし……万が一にも、彼女の行動が、人類の安全と世界の秩序に対する、明確かつ取り返しのつかない脅威となると判断された場合は……その行動を、あらゆる手段をもって、実力をもって阻止することも、最終最後の手段として、これを許可する。ただし、その際には、万里小路家本家との全面衝突だけは、何としても避けねばならん。いいな!」


 こうして、万里小路聖歌は、本人のあずかり知らぬところで、対魔獣防衛機構ガーディアンズにおける、歴史上かつてないほどに危険で、謎に満ち、そして何よりももふもふという未知の概念によって分類された最重要警戒対象『エンプレス・モフ』として、正式に認定された。



 その頃、万里小路聖歌は、自邸の広大なサンルームで、まさに至福の時間を過ごしていた。

 愛するもふアンの、それはそれは美しく手入れの行き届いた白銀の毛並みを、アザラシのヒゲで作られた特注の極細ブラシで、一本一本の毛の流れを確かめるように、愛情を込めて丁寧にブラッシングしている。もふアンは、聖歌の膝の上でうっとりと喉を鳴らし、時折、感謝を示すかのように聖歌の指を優しく舐める。


「うふふ、もふアン。あなたのこのシルクのような毛並みは、何度触れても飽きることがありませんわね。まるで、月の光をそのまま紡いだかのようですわ」


 聖歌の足元では、先日お迎えしたばかりの、小さな水色の愛らしい甲殻類、聖歌は彼を『カイザー・シェルブリリアンス・アクアマリン』、愛称「カイ様」と名付け、大変可愛がっていた。カイザーはセバスチャンがその日のうちに世界中からパーツを取り寄せてセッティングした、最高級ドイツ製クリスタルガラスの超豪華アクアリウムの中を、小さなハサミをカチカチと鳴らしながら優雅に散歩している。中には純金のヤドカリ用ミニチュアキャッスルと、タヒチ産ブラックパールサンドが敷き詰められ、深海の発光性プランクトンが天の川のようにきらめいている。


「カイ様も、すっかりこのお城がお気に召したようですわね。そのクリスタルのように透き通った甲殻、毎日磨いて差し上げますから、もっともっと美しく輝くようになるでしょうね。ふふ、いずれは『もふもふ甲殻類コンテスト』で優勝間違いなしですわ!」


 そんなコンテストあるのだろうか? 否、なければ万里小路家総力を挙げて作り出すのだろう。末恐ろしい。


 さらにサンルームのあちこちには、ここ数週間で聖歌が保護したりお迎えしたりした、様々な種類の小さなお友達が、思い思いの場所でくつろいでいた。

 窓辺の大きな鳥かごの中では、以前どこかの深い森で偶然出会ったという、手のひらサイズの、綿毛のような純白の羽毛を持つ小鳥型聖獣たちが数羽、聖歌のハープの練習の音色に合わせて、ガラス細工のような美しい声でチッチと歌っている。聖歌は彼女たちをエンジェル・コットンズと呼んでいた。

 そして、ふかふかのペルシャ絨毯の上では、先日どこかの廃工場で保護したという、宝石のような複眼と、ビロードのような漆黒の短い毛を持つ、手のひらサイズの毛玉型聖獣たちが数匹、互いにじゃれ合ったり、聖歌の足にすり寄ってきたりして、時折、微かな光の粒子をキラキラと振りまきながら回転している。聖歌は彼らをまとめてナイトスフィア・カルテットと名付け、それぞれの毛玉の微妙なもふもふ感の違いを日々研究していた。


 これらは全て、他の魔法少女たちが遭遇し、そしてガーディアンズが原因不明の小規模な魔獣鎮静化事例として報告を上げていたものの、その結果であったが、聖歌にとっては、ただただ愛おしいもふもふコレクションの輝かしい仲間たちなのであった。


 聖歌は、そんな愛らしい聖獣たちに囲まれ、その一人一人一匹一匹の毛並みや羽毛、あるいは甲殻のもふもふポテンシャルを日々丹念に鑑定し、お手入れし、そしてその成長を温かく見守りながら、その心は既に、次なるもふもふハントの計画へと向かっていた。


「もふアン、カイ様、エンジェル・コットンズの皆様、そしてナイトスフィア・カルテットちゃんたち。あなたたちは本当に素晴らしいもふもふですけれど、わたくし、もっともっと素晴らしい出会いを求めて、空の彼方、あるいは雪深い山の頂きにまで、この探究の翼を広げたいと思っているのですわ。――そう、例えば、あの空を優雅に舞うという、伝説の天空のもふもふグリフォン、あるいは、ヒマラヤの奥地に棲むと伝えられる、山のように巨大で、そして純白の毛皮を持つという雪山の巨人イエティ様あたりを、ぜひとも次にお迎えして、この万里小路もふもふサンクチュアリのコレクションを、さらに充実させたいものですわね!」


 聖歌は、その美しい蒼い瞳を、まだ見ぬ至高のもふもふへの尽きることのない憧憬と、それを必ずや手に入れるという確固たる意志でキラキラと輝かせながら、壮大な夢を語るのであった。

 そして、その夢のほんの僅かな断片、例えば、セバスチャンへの極寒地用の特殊な動物用ブラシの最高級品と、超大型の鳥類を安全かつ快適に長時間運搬するための、温度・湿度・気圧調整機能付き特製ケージの見積もり依頼といった具体的な指示が、既に設立されていたエンプレス・モフ特別対策チームの血の滲むような情報収集活動によって辛うじて捕捉され、ドクター・アリスによる「緊急警告! エンプレス・モフ、次期戦略目標は伝説の雪男イエティ及び神鳥ロック鳥か!? 我々は早急に『対有毛巨大生物用超冷却ジェル弾』及び『対飛行型神聖存在用高周波結界網』の開発に着手すべきである!!」という、いつにも増して具体的かつ予算度外視の緊急警告レポートとして、神宮寺司令の執務室のデスクに、またしても胃薬の需要を増やす形で届けられていることなど、彼女は知る由もなかった。

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