第4話「魔法少女との邂逅」
『ザ・ワン様お迎えプロジェクト』はまずは徹底的な情報収集から始まった。
彼女の傍らには、常に百人力の忠実なる老執事セバスチャンと、元特殊部隊員(という噂)の木村を筆頭とする有能なるボディガードチーム、そして何よりも、世界の裏側までも見通すかのような万里小路家の広範な情報ネットワークが存在するのだ。
万里小路家は、表向きは日本の伝統と文化を重んじる名家であるが、その実態は、国内外の政財界はもちろん、学術界、芸術界、果ては裏社会に至るまで、あらゆる分野に張り巡らされた独自のコネクションと情報網を駆使し、あらゆる情報を収集・分析・そして時には操作する能力をも有する、ある意味で国家以上の影響力を持つ存在であった。
「セバスチャン、先日お話しいたしましたザ・ワン様がお休みになられているという保護区域のリストアップと、その周辺環境に関する調査は進んでおりますかしら? 特に、その中でも最も厳重な警備が敷かれ、かつ最も貴重で特別な方が収容されていると噂される場所を優先的にお願いしたいのですけれど」
サンルームで、もふアンに手ずからキャビアを与えながら、聖歌は優雅に尋ねた。
彼女の頭の中では、既にザ・ワンがどのような環境を好み、どのようなおもてなしを最もお喜びになるかのシミュレーションが、何パターンも展開されていた。
「はい、お嬢様。お申し付けの件、順調に進捗しております」
セバスチャンはお茶を淹れながら答えた。
「現在、国内外のガーディアンズと称する組織が管理しているとされる関連施設、及び、過去に『アウター・ワン・カタストロフ』の際にザ・ワン様がご顕現なされたとされる地点、さらにはその後の『特異エネルギー反応』が断続的に観測されているエリアをリストアップし、その環境データと共に、三次元地図上にプロットしております。既にお嬢様のご要望に合致しそうな候補地も、いくつか絞り込めております」
「まあ、流石はセバスチャンですわね! あなたのそのお仕事ぶりは、まさに世界最高の執事、いえ、もはや『もふもふコンシェルジュ』と呼ぶに相応しいですわ!」
聖歌は心からの賛辞を送った。
「では、その中で、わたくしのもふもふセンサーが最も強く反応しそうな場所はどちらかしら? わたくし、まずはこの目で直接確かめてみたいのです。その場所の空気、湿度、日当たり、風の音、そして何よりもそこに漂う気配……その全てが、ザ・ワン様をお迎えするのに相応しい、至高のハーモニーを奏でているかどうか、このわたくしが見極めませんとね!」
そんな、聖歌にとっては極めて真摯で純粋な、しかしセバスチャンにとっては頭痛の種でしかない会話が交わされた数日後の午後。
聖歌は、愛らしいもふアンを、万里小路家特製の高性能ペットキャリーに入れ、屈強なボディガード数名を伴い、都心からやや離れた、古びた工場や倉庫が立ち並ぶ再開発地区の一角に立っていた。
そこは、数年前に原因不明の地盤沈下と、それに伴う複数の建造物倒壊事故が頻発し、現在は危険区域として立ち入りが厳しく制限されている、曰く付きのエリアであった。
周囲には錆びついた高いフェンスが張り巡らされ、『危険・立入禁止・無許可侵入者は厳罰に処す』といった物々しい警告板が、まるで墓標のようにいくつも並んでいる。
時折、どこからともなく不気味な風が吹き抜け、打ち捨てられた建物の窓ガラスがカタカタと音を立てる、陰鬱な場所だった。
「お嬢様、ここはやはり危険です。先日のセバスチャン様からの報告にもありましたが、このエリアでは、未確認の高濃度エネルギー反応が断続的に観測されており、何らかの特異生物が潜伏している可能性が高いとのこと……万が一のことがあっては、我々、旦那様に申し開きができません」
護衛チームのリーダーである木村が、いつになく硬い表情で、そして僅かに声を震わせながら進言する。
彼の脳裏には、セバスチャンから渡された『特異生物Xに関する危険度評価レポート(極秘)』の、おぞましい想像図と予測される攻撃パターンが焼き付いていた。
しかし、聖歌はそんな木村の必死の訴えも、まるで春風が柳の枝を撫でるかのように、優雅に受け流した。
「大丈夫ですわ、木村さん。わたくしのこのもふもふアンテナが、この先に素晴らしい出会いが待っていると、そう告げておりますもの。それに、わたくしには、この最強の守護獣であるもふアンがついておりますし、万が一、本当に万が一、何かよろしくない毛並みの荒れたお方が現れたとしても、皆様がその素晴らしい戦闘技術で、わたくしと未来のお友達をお守りくださるのでしょう? うふふ、頼りにしていますわよ」
その悪気のない、しかしボディガードたちにとっては悪魔の囁きにも等しい言葉に、木村たちは顔を見合わせ、もはや何度目か分からない深いため息をつくしかなかった。
彼らの任務は、万里小路聖歌の絶対的な護衛であり、その命令は、たとえそれが「地獄の底までもふもふを探しに行く」という無茶なものであったとしても、絶対なのである。
彼らは、聖歌の言う目的が、自分たちの常識や理解を遥かに超えた何かであることだけは、漠然と察していた。
そして、それに逆らうことは、万里小路家においては「死」を意味することさえあるのだと。
もふアンという特異生物の存在があることから、この先、下手をすれば本当に文字通りの地獄まで付き合うことになりそうで軽い眩暈がするのを堪えながら、聖歌の後に続く。
聖歌が打ち捨てられた巨大なショッピングモールの残骸に囲まれた、かつては噴水でもあったのだろう広場へと、その華奢な足を踏み入れた瞬間だった。
空気が、まるで薄いガラス板が割れる寸前のように、びりりと激しく震えた。
そして、彼女の鋭敏な五感は、空間そのものが悲鳴を上げているかのような、不快な高周波を捉えた。
次の瞬間、彼女の目の前、数メートル先の空間が、まるで墨汁を水に垂らしたかのように、禍々しい紫黒の亀裂となって裂けた。
そして、その異次元の裂け目から、まるで悪夢そのものが現実へと具現化したかのような、異形の影が、ずるり、と粘つくような音を立てて這い出してきた。
それは、鋭い鉤爪と、無数に蠢く複眼、そして黒緑色の粘液に覆われた分厚い甲殻を持つ、全長五メートルはあろうかという、巨大な
その体からは、腐った肉と硫黄を混ぜたような、強烈な腐臭が漂ってくる。
「キャアアアアッッ!!」
という、鼓膜を破るような甲高い悲鳴は、聖歌の口からではなく、彼女の後ろにいた若いボディガードの一人から発せられた。
彼は、そのあまりのおぞましさに腰を抜かし、その場にへたり込んでしまった。
しかし、聖歌は、微動だにしない。それどころか、彼女の大きな蒼い瞳は、その異形の魔獣の、意外なほど柔らかそうに見える腹部の短い剛毛や、複雑な幾何学模様を描き出す甲殻の、ある種グロテスクながらも機能的な美しさに、既に見入っていた。
「まあ……! あれが、セバスチャンの報告書にあった特異生物、確か魔獣と呼ばれているものですのね。なんとも……なんとも独創的で、そしてアヴァンギャルドなフォルムですこと! あの甲殻の、鈍いながらも深みのある光沢……丁寧に磨き上げれば、きっと黒真珠のような、あるいは甲虫の翅のような、素晴らしい輝きを放つに違いありませんわ。そして、あの腹部の短い剛毛……少々硬そうですけれど、タワシのようにゴシゴシと撫でれば、意外なほどの弾力と、独特の刺激的な手触りを楽しめるかもしれませんわね。ふむ、コレクションに加えるかどうかは、もう少し吟味が必要そうですけれど、観察対象としては極めて興味深いですわ!」
感嘆と分析の言葉を冷静に、しかし内心ではかなりの興奮と共に口にする聖歌の傍らで、木村をはじめとするボディガードたちが、即座に臨戦態勢を取り、最新鋭の対特異生物用音波銃や電磁ネットランチャーを構えるが、それよりも早く、一条の眩い光が、まるで天罰のように、天から降り注いだ。
「そこまでよ、魔獣! この先は一歩も通さないわ!」
凛とした、しかしどこか鈴を振るような美しいアルトの声と共に、光の中から一人の少女が舞い降りる。
鮮やかな青と白を基調とし、フリルとリボンで華麗に装飾された、しかし明らかに戦闘用の特殊な生地で作られたであろうミニスカートのドレスに身を包み、その手には銀色に輝き、先端に大きな蒼い宝石を嵌め込んだ長杖を握っている。
風に翻るスカートと、同じく青いリボンで結ばれた一部が青みがかったツインテールの黒髪が、まるで戦場に咲いた一輪の気高い青薔薇のようだ。
聖アストライア女学園の伝統的で清楚な制服とは似ても似つかぬその姿は、まさしく、おとぎ話の中にしか存在しないはずの魔法少女そのものであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます