【第一章】星の香り 2

「ごちそうさまでした」

 ちゃぶ台の上、互いに空の食器を並べる。向かい合って座る彼女——狼月ろうげつは、私と共に木野森神社の管理をしている。というか、二人しかこの神社を管理していない。

「ありがとね、ろうちゃん。作ってくれて」

「別に。いつも水夜岐が作ってるから、こんな日があってもいいだろ」

 背中を丸め、顔を隠している。ショートの銀色の前髪から、赤と黄の瞳が、上目遣いで見える。

「……うまかったか?」

「うん。もちろん」

 私とはまた違った味の味噌汁に、ほのかに違う香りの白ご飯。生まれも育ちも異なる、私と狼月の違いなのだろうか。 だけどほんの少しだけ、「私」の好きな味がした。気のせいかもしれないけど、ほんの少しだけ。

「そうか」

 言葉が思考を遮った。

「それで、体調は大丈夫なのか?」

「体調?」

「今朝うなされてたからさ、心配で」

 突然の問いかけにたじろぐ。そこまで疲れている素振りをみせていないのに。

「あー、ちょっと怖い夢みたからかも」

「……そうか。夢なら、よかった」

 そう言うと狼ちゃんは立ち上がり、背伸びをする。

「俺が作ったんだから、洗い物よろしく」

「はいはい。やっとくね」

 私の言葉を待たずして、姿は消えていた。



 最近、夢を見る。

 洞窟の迷宮を彷徨う夢。夢の中で夢を見て、その夢で夢を見る夢。水に潜って光る水面を眺める夢。そして、夜が更けた神社を彷徨う夢、など。状況、時間、場所は様々なのだが、一つ共通していることがある。

 「私」が操り人形であるかのように、自らの死を、強く希っているのだ。現実ではそんなこと、一瞬たりとも思っていないのに。死にたい。消えてしまいたい。そんな感情が溢れかえっていた。

 今朝だってそうだ。見た夢は、夜の神社で、一人静かに横たわる夢。何を意味しているのか、なんでこんな夢を見るのか分からない。一つだけ分かることといえば、日に日に身体の重さが重くなることだけ。

 不思議だと感じながら蛇口を閉め、布巾を手に取る。皿を手に取る腕が重い。

 こんなこと、狼ちゃんには言えない。

 言えない。

 言いたくない。

 けど……

「おーい、水夜岐」

 突然の声に、身体がぴくりと震えた。焦点が合わない目で振り向くと、柱にもたれかかっていた犬耳の誰かと目が合う。

「なんだ、狼ちゃんか」

 特徴的な外見に、安堵が身体に沁みる。よかった、狼ちゃんで。

「どうしたの?」

 柱への寄りかかりを治し、一袋の包みを見せる。

「疲れてそうだから、水夜岐の好きな羊羹買ってきた」

「え、いいの! 一緒に食べよ!」

 目が丸くなる。今までの悩みが無かったように、身体が軽くなる。うれしい。素直にうれしい。

 気が付けば心躍る感情が身体を動かしている。こころなしか視界が明るくなる気がした。


 のどかな川の見える縁側。心地よい風が吹く中で、狼ちゃんと一緒に抹茶味の羊羹を頬張る。

「んーおいし~ やっぱりここの羊羹おいしいよねー」

「うん。うまいな」

 大きな羊羹を少しずつ咀嚼している。こちらを見ない狼ちゃんの表情は、どこか緩んでいる。

 ふと、目があった。ルビーと琥珀を入れ込んだような、深く透き通る瞳と、ほのかに漂うシトラスの香り。魅惑的なそれによる力で視線を離せずにいた私に、軽く微笑む狼ちゃん。普段はあまり笑わない彼女であるからこそ、ひときわ目立つその笑顔。心の底から、あたたかな感情が湧き上がり満たす。

 ありがとね

 口に出せないほどの感謝を、私はいっぱいの笑顔で返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

project史縫 月夜崎 雨 @ame_tsukuyozaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ