第2話【出会い】

「ここが、お城の外……!」


 厨房の奥、城中の食器を収納する大きな棚、その裏にある扉。

 おやつので頻繁に出入りするうちに偶然見つけた入口から、洞窟のような抜け道を通って城下町の外れの森へと出た私は、まず新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

 木々が風に葉を揺らし、頭上では小鳥が歌っている。整えられた城の庭園とは違う、そのままの命が生きる場所に、まだ見ぬ世界への期待と少しの不安が同時によぎった。

「……あら?」

 耳を澄ますと、小鳥たちの遊ぶ声に混じって遠くから民の声が聞こえてくる。

 自室に届く音よりもはっきりと聞き取れるその喧騒は、日々をなんとなく生きている私にとって、羨ましいくらい活気に満ち溢れていた。

 堪らず駆けだした私の目に、想像を超えた景色が飛び込んでくる。


 城の廊下のような滑らかさとは程遠い、油断すると足を挫きそうなデコボコとした石畳。

 貴族たちの物より主張が激しく、しかし意地汚さを全く感じさせない建物の数々。

 石畳の上を忙しなく行き交う人、建物の表で声を上げる人、道端で好き勝手に楽器を演奏する人歌う人。

 とにかくそこかしこに人、人、人! 気を付けて進まないとあっという間に押し流されてしまいそうな、大波のような人の数。


「よう、お嬢さん」

「えっ? え、えぇ、ごきげんよう!」

 自室の窓から見ていた景色を遥かに超える賑やかさ。それを前に私がはしたなく口を開けていると、体格の良い男性――野菜や果実が並ぶ建物の前で声を張り上げていた――が見かねたように声をかけてきた。ああびっくりした。

 それにしてもお嬢さん、と来たか。この私を第三王女と知っての物言いか――いや、今の私は平凡な旅装束に身を包み、顔つきを分かりづらくする魔法の眼鏡をかけているため、一目で王女と分からないのも無理はないだろう。

「っハハ、貴族みたいな挨拶だな。そんなに改まらなくったっていいさ。なんてったって、ここは偉大なるシリウス王が治めるソルフレア王国。お嬢さんのような旅の方もドンと受け入れてくださるよ」

「あら、それは心強いですね。シリウス王、一体どんな御方なのかしら?」

「なんだ、知らないのかい? こりゃお嬢さんは相当遠くから来なさったな。このソルフレア王国はソラーレ大陸の中でも一番でっかい国だってのに」

「まぁ、一番?」

 知っています、本当は知っていますとも。

 世界に四つある大陸で最も大きいとされるのが我々が今立っているソラーレ。その広大な大地の上で最も大きい国がソルフレア。

 周囲の国家が興りと滅びを繰り返す中、神話の時代より揺るがない歴史を紡いできたのは、このソルフレア王国だけなのだ。

 その『墜ちること無き太陽の国』とまで称された国を束ねるシリウス王、私のお父様が偉大でないわけがないし、そんなことは退屈な歴史の授業で飽きるほど聞いてきた。

 しかし、暇さえあれば王に媚びへつらう貴族先生とは違い、一片の下心も含んでいない民が私の身内を褒める言葉には不思議と飽きる気配が無い。もうちょっと聞いてみよう。

「そうとも、一番でっかくて一番偉大な国さ。だからこそ狙う隣国も多いわけよ」

「ええ、ええ!」

「でもそこは流石の王様だ、八方に目ェ光らせて、迂闊に攻めてこられねぇようにしてるんだってよ」

「うん、うん♪」

「ラジオで王様の事を聞かねぇ日は無いくらいだ。毎日俺達、民のために動いてくださってるなんてまったくありがてえことさ!」

 本当にお父様は、王は民に心から慕われている。この人の様子だけで良く分かる。

「オマケに姫様たちも美人揃いとくりゃ、この国はまだまだ安泰だよ!」

「いやぁそれほどでも♪」

「ん? なんでお嬢さんが照れてんだ? ……っと、噂をすればなんとやらだ。シリウス王がおいでなさった!」

「え、うそ、やば……!」


 しまった、お父様は民の様子を視察するべく城下町に降りてくるご予定があったんだった。それが今日だなんて、よりによって計画を実行に移す今日だったなんて、私としたことが詰めが甘い。

 今の私は魔法で旅の娘になってはいるが、初対面の人ではない本当の家族の目を誤魔化せるほど私の魔法は完璧ではない。

「ご、ごきげんようおじ様!」

「おぉ? なんだ、王がいらっしゃるのはあちらだぞー?」

 幸い、お父様がいらっしゃるであろう方向は民が大騒ぎしている場所で分かる。私は挨拶もそこそこに、おじ様が指す方とは反対の方向に向けて走り始めた。


――――――――


「はぁ、はぁ……ここまで来れば大丈夫、かしらね……はぁ……」

 走って曲がってまた走ってを繰り返すうち、賑やかさは随分遠くに行ってしまった。

 気付けば周りには建物よりも畑が多くなり、どこかでヤギの鳴き声が聞こえてくる。パンの焼けるいい匂いが風に乗って届いた時、私のお腹も切なげに鳴いた。

「……そっか、お昼まだだった」

 お城の中に居たら今頃はおやつの時間だったのに、と恨めしげにぐずるお腹をさすりつつ、とりあえずパンの香りに向けて歩を進める。


 しかしどうやってこの駄々っ子を黙らせようか。パンの元に辿り着いたとて、いきなりごめんくださいパンくださいと乗り込んでいくのはいくら何でも非常識というものだ。箱入りのお姫でもそれくらい判る。

 それなら対価を差し出すか、何なら食べ物の対価として相応しいか、悶々と考えを巡らせながら更に歩いていると……いい匂いが濃くなるにつれ、ブン、ブン、と定期的に風を切るような音も徐々に聞こえ始めた。


 薪割りの斧にしては軽く、子供の遊びにしては鋭いその音。

 それが練習用の木剣を振るうものだと気づいたのは、小高い丘を登り切り、その先の小屋にやっとの思いで辿り着き、音の主の背中を捉えた時だった。

 上から下へ、掲げては振り下ろす。何百回、何千回と愚直に繰り返される中で洗練されだことが素人目にも分かる、いっそ流麗と言えるその動きを目の当たりにして、私は知らず知らずの内にぱちぱちと拍手をしていた。

「……!」

 当然、音の主は驚いて振り返る。焦るのも当然だろう、剣の練習に集中していたらいつの間にか得体の知れない女が後ろで感銘を受けていたのだから。

「…………あっ、ごめんなさい! 私ったらつい見とれてしまって!」

 私も(主に自分の行動に)焦っていたのだが、それよりも気になったのが振り向いた主の顔立ち。どう見ても私より二つは年下な、あどけなさを残した少年だったのだ。


 通常、この国で剣の道を辿るとしたら行きつく先は王国騎士だ。騎士になる者は齢十五に差し掛かるタイミングでその門戸を叩くのだが、騎士見習いになってようやっと木剣を握る者も多いと聞く。

 しかし、単純な反復運動とはいえ、見た目十三歳前後の彼の剣筋はここ何ヶ月で身に付いたものとは思えない。剣の素人である私が言うのも妙な話なのだが、なんというか迷いが見えないのだ。

 彼はいつからその剣を振るっていたのか。彼は何のために剣を握るのか。仮に騎士になるなら、彼は何を目指し、どこへ向かうのか。


 知りたい。出会ったばかりなのに何故だろう。彼の事を深く知りたい……落ち着け、彼に興味があるのは分かるけど、まずは挨拶から。

 深呼吸。パニックからようやく落ち着いてきた頃合いを見計らって、細く繋がった縁をより確かにするために――口を開いたその瞬間、

「ご機嫌よ(ぐきゅううぅうぅぅ……)」

 限界を迎えた私の腹の虫が全てを掻っ攫っていった。


――――――――


 家を囲む柵に腰掛け、私たち二人は程よく溶けたチーズを乗せた贅沢なパンを頬張っていた。見事に情けないお腹の音を聞いた彼が、気を利かせてご馳走してくれたのだ。

「んむ、美味し……コレ、いつも食べているんでふか?」

 あらいやだわ私ったらはしたない。食べるか喋るかどっちかにしなさいって婆やにいつも怒られてるじゃない。

 対する少年は質問に答えるべく、口の中のものを懸命に飲み下そうと頑張っていた。この子私よりもお行儀がよろしいわ。

「……、いえ、いつもはパンだけなんですけど、お客様にはそれじゃダメだと思って」

 ごくりと喉を鳴らした後で、少年がハスキーな声で答えてくれた。声色に先ほどまでの緊張や警戒は無い。

「そう。……さっきの剣、お見事でした。いつ頃から練習を始めたんですか? 先生は? やっぱり将来は騎士になりたいんですか?」

 彼に警戒心が無いのをいいことに、矢継ぎ早に質問を浴びせていく。こういうのは自分のペースに乗っけるのが一番手っ取り早いのだとずる賢い貴族も言っていた。

「えっと、その、練習を始めたのは去年からですね。先生はいません、ここを通りがかった騎士の方に基本を教わって、あとは独学で。将来は……分からない、です」

 質問攻めに必死に食らいついていた少年のトーンが下がる。

「分からない……? どうして?」

「剣の練習をしていたのは、騎士になるためで合ってます。でもそれは、王国に関わる仕事をしている父が、息子である僕が騎士になったら生活がもっと楽になるのにって言ったのが切っ掛けなんですよ。そんな僕がこのまま騎士を目指していて、本当にこの国のためになるのか分からなくて」

 目を伏せてぽつぽつと語る彼の姿は、まるで必死に道を探しながら歩く迷子のように見えた。


「……あっ、ごめんなさい僕ばかり話してて。お姉さんは旅の方ですよね。どんな国に行ったのかお話聞いてみたいです!」

 暗い雰囲気になり過ぎないように気遣いもできるとは将来いい男になるに違いない。お父様には敵わないだろうけど充分だろう。

 そうだ私は今旅の女だった。彼がどんなに王女という本来の顔を知っていたとしても、この服装と魔法の眼鏡のおかげで正体はバレなくて済むんだった。

 しかし旅、旅か。そういえば私、城からろくに出たことも無かったな。

「あの……お姉さん?」

 心配そうにこちらを見る少年。

 旅の思い出を語る事はできないけれど、彼にせめて王女として何かできることがあるならば……。


「ごめんね、私、本当は旅人じゃないの」

 私は眼鏡をそっと外し、改めて彼と目を合わせた。


 視覚からの情報と記憶との合致を妨害し、他の人物のように見せかける。俗に言う『認識阻害』の魔法が今解けたのだろう。少年は数度目をしばたたかせた次の瞬間、驚いた表情で頭を垂れようとする。

「待って! やめて、私は貴方にそうして欲しかったわけじゃないのよ」

「でも僕、姫様だって分からなくて……すごく無礼な態度を取ってましたし……」

「だから分からないようにしてたんじゃない。私、お城から抜け出してきたんだし」

「抜け、出し……て……?」

 少年の顔がサッと青くなる。それはそうだろう、突然いなくなった一国の姫君がただの村人たる自分の所にいたと分かれば、それはもう何らかの疑いをかけられるに違いない。最悪の場合一族郎党縛り首だ。

「えぇ、そう。抜け出したの、私。国の未来を担う姫君が聞いてあきれると思わない?」

 当然、事の重大さに気付いているのは彼だけではない。私も自分の立場は分かっているつもりだ。だが、今は敢えてそれを利用させてもらうことにする。

 私はわざとあっけらかんと笑ってみせた後、震える少年に指を突きつけた。

「いい? 今から大事なことを二つ言います。ひとつ、今日私がここにいたこと……これは私と貴方、二人だけの秘密にしなさい」

 何やら必死に首をぶんぶん横に振っているが構うものか。次が本命なのだから。

「ふたつ、この国のための騎士になれる気がしないなら、せめて私のための騎士になりなさい。貴方はこれから、私の近衛騎士を目指して訓練に励むこと。いいわね?」

 ええ……って声と共に首を振ることを止めた彼は、一周回って冷静になったのか肩で息をしながらもじっと私を見ていた。

「…………どうして、僕を必要としてくれるんですか?」

「気まぐれと思って貰って構わないわ。私の近衛騎士を務めている殿方がご高齢でね、もうすぐ任期を終えるの。その少し前に貴方を見つけられて、本当に丁度良かったってわけ。家族のためにお金、欲しいのよね? いい機会だと思うわよ」

 嗚呼、嫌な女だ。私が毛嫌いしている、思いつきと打算で生きる貴族の女そのものだ。逆を言えば、こんな嫌な人間が蔓延るお城の中で生きるには、これくらいの不快な言葉を受けても動じない心が必要なのだから、彼には悪いことをしている。

 だが、これは賭けだ。彼を騎士の道へ引き込めるかの賭けなのだから。

「やるかやらないかくらいは自分で決められるでしょう? 近衛騎士は楽な道のりじゃないんだから、やめてもいいんだけど……ね」

 ちらと横目で彼を見れば、ただ静かに私を見つめている。

 その目に傲慢な物言いに対する怒りや、過酷な道のりへの恐怖は無かった。

「――やりますよ。僕は、貴女の近衛騎士になります」

「あら、そう。頑張りなさいね」

 私は突き放したように言う。興味が無いとでも言いたげに。

「そして、貴女が無理にそんな態度にならなくてもいいような存在になる」

「はいはい、せいぜい努力することね……って、なに?」

 改めて彼の目を見ると、並々ならぬ決意に満ちていた。そしてその溢れんばかりの情熱は、私に向けられているようにも見える。

「なに? どういうこと? 私が無理して嫌な女になってたって言いたいの?」

「だって声震えてましたよ」

「震えてない! ……いえ、いいえ、ほら震えていません。まったく何を言っているのやら……少しは自分の立場というものを考えたら? コレだから平民は……」

 一瞬ペースを握られそうになるが、そこは流石この私。すぐに冷静さを取り戻す。本当に近頃の民は王族を敬うという心を知らない。可憐で優雅な私の姿を見て無理してるなんて失礼にも程がありますこと。

「ふふ、でも今の姫様も【お姫様】って感じじゃないですよね」

 お、なんだやるのか? 背はまだ私の方が高いんだぞ?

「……というか貴方分かってるの? 近衛騎士になるのは凄く大変なのよ? 貴族出身でもない限りなれる人がほとんどいないエリートなんだから」

「姫様が信じてくれるなら、僕はやりますよ」

 本当に真っ直ぐな目。見ていると腹が立ってくる。

「どうだか……仮にそんなことが可能でも、そんな優秀な人間は王の直属になるわ。私の近衛騎士にはなれません。残念だったわね」

「カローラ姫。僕は、仕えるなら貴女がいい。王宮のセレモニーで姫様の姿を見た時から、そう思ってます」

 腹も立つし、心臓も暴れているように落ち着かない。彼の顔が直視できない。子供のくせに、本当に腹が立つ。


「……名前」

「えっ?」

「名前よ、貴方の名前。名乗りもしない人なんて信用できないわ」

 私の事を知っている、そんな彼の事を私だけ知らないなんて不公平だと、目を逸らしたまま言う。

「す、すみません。僕はガイアって言います」

「そう。ガイア君ね。覚えておきます。それじゃ、私はそろそろお城に戻らないといけないんだけど……この辺、あまり詳しくないから、エスコートしてくださる?」

 差し出した手を喜んでガイア君が取る。その手は温かく、少し硬い皮膚をしていた。


「はい。お城まで送ればいいんですよね」

「ダメよ。抜け出してきたって言ったでしょう。お城から出る時に使った裏道があるから、その入り口までお願い。森に入った後の道は何となく覚えてるから」

「え、ええ……大丈夫なんですよね? 姫様を信じてますからね?」

「たぶんね……ちょっと、不安そうな顔しないで! ほら、行くわよ」

「あぁぁ引っ張らないでくださいぃ……!」


 これが、彼と私の最初の出会い。なんだかんだで忘れられない素敵な思い出。

 ここから彼が騎士団に入るまでが二年。一人前になるまでがもう二年。


 ――そしてそのすぐ後に、ソルフレア王国が滅びるなんて。この時の私は考えてもいなかった。

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亡国の姫君が近衛騎士と結ばれるまでのお話 伊達やすお @YasuoFlare

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