第2話〈ナンバー〉と〈ライター〉
里久は、まだ太陽が真上にあるようなほどの、真っ昼間に繁華街に来ていた。
(こういう、情の強いめんどくさいのは早めに済ましておいた方があとが楽。)
こんな時間に、繁華街に来てる人間ほど、空気が読めず、厄介ものはいないと里久自身でも思う。
(ここか一一一。)
里久は、スマホに映し出された地図と写真を見比べて確認する。
昨夜、やり取りしたバーの店舗が入っている雑居ビルだった。
(確か、バーの名前は……。)
点検中のまま、動かされていないようなエレベーター。
テナント募集の紙が目立つ空き店舗。
本当にここであっているのか不安になりながらも、昨夜提示された三階のバーを目指す。
「あった。」
そこには、「ナンバー」と、看板に書いてある、レトロ感のある店構えのバーがあった。
小さく、明かりが洩れているのをみて、ドアをノックした。
少し、間が空いて、ドアに誰かが近づいてくる音がする。
里久の頬が緊張で微かに突っ張った。
緊張するのは、相手であって自分ではない、と言い聞かせるように息を呑む。
人見知りするタイプではないが、こうして初対面の相手を前にする瞬間はあまり得意ではない。
里久のことを、詐欺だというものもいるだろうが、相手が犯罪組織の誰かではないという確証もない。
しかも、里久は「幽霊のカウンセリング」をオープンチャットという犯罪が起きてもおかしくない場所で選んでいる。
後腐れがない分、危険性も伴う。
「今は、営業時間外ですが一一一。」
「あ、里久です。カウンセリングに来ました。」
「すみません。開けますね。」
ガチャン、と鍵を回した重めの音が響いて、中から背の高い男性が出てくる。
明るめの赤茶色の肩まである髪に目が惹きつけられた。
髪の手入れは大雑把なのに、甘ったるい香水の香りがしていて夜の匂いを感じた。
「開店前なので、散らかってますが。」
「いえ、気にしないので。」
散らかっていると言っても、ゴミが散乱しているわけではない。
バーの開店前の準備として、おしぼりやグラスが置いてある程度だ。
「昨日、少しお話は伺ってますが。」
「はい。気のせいなのか分からないですけど……。」
「心当たりでも?」
里久は、イヤフォンを通して声を聞くことは出来るが、姿形を見れるわけではない。
あまり深いりしたくはないものの、全く何も知らないで会話だけするというのも難しいのだ。
目線があうわけでもないため、何となく勘で見る場所を決めていたりする。
「このバーは、どちらかと言うと、年配の方が多くて。常連さんが突然来なくなったりもしますから。」
「知らないうちに亡くなっている方もいる、と。」
「はい、何せ先代の代から来てる人が多くて。」
(対象の幅が広いな。)
里久は、赤いイヤフォンを取り出す。
対象が多い可能性が多く、声が一人だけでは無い可能性もある。
(やめとけば良かった依頼だったな。)
だが、もうここまで来てしまうと仕方がない。渋々ながら里久はイヤフォンを装着した。
「一一一こんにちは。」
里久は、イヤフォンを通して声をかける。
見えてはいないから、いるかどうかは分からない。過去には、いない場合もあった。
そういう時は、適当に話をしてカウンセリングは終わる。
今回も、里久の挨拶に対して、返答が聞こえなかった。
(気のせいって訳か。)
オープンチャット上で、ライターと名乗ったこの男は、花を添えたいと言っていたが、その必要性は無さそうだ。
里久は、イヤフォンを外そうとした。
しかし、ふと何かの音が聞こえた気がして外すタイミングが一瞬ずれた。
『こんにちは。』
パッと、里久は周りを見たものの、新たな登場人物はいない。
(来た。)
里久は、そう思った。
幽霊カウンセリングをうたっておきながら、「来た。」という反応は些か乱暴なように思うものの、里久は最初からそのような反応をしていたし、気にした事もないようだ。
『あなたには聞こえているの?』
「まあ、聞こえてます。最近気配があると言うことだったんですけど、あなたですか?」
依頼主を前にしても、幽霊の聞こえてくる声に対して、どこか冷めた口調で返す里久。
『ここには、生きていない人間は私しかいませんから……。』
「なるほど。要件は?」
ライターとオープンチャットで名乗った男は、少し離れた場所から複雑そうな視線を送っていた。
(あんなものなのか?)
里久の冷めて、寄り添うような感情が感じられない口調に不安感を覚えた。
普段から霊と接しているからもしかしたら、ああすることで身を守ろうとしているのかもしれないと、いい方向に考えようとしてみるものの、死者に声をかけているにしては、些か寄り添う気持ちがないようにライターは感じていた。
(本当に大丈夫なのか?)
オープンチャットという、不確かな場所でこういった依頼をしたことが間違えだったかも、とライターは一瞬湧いた不安を無理矢理押さえ込んだ。
ライターは、里久に霊の心当たりはないと言っていたが、実は気になっている、その人ではないかと言う人物がいた。
試した訳では無いが、自分の安直な考えを伝えるのも自分勝手かと思い口には出さなかった。
『ここは私にとって大切な場所です。もう少しいる訳にはいかないのですかね?』
「それは、俺が決めることではないので……。」
里久は、少し考えた。
幽霊の正体が知りたいとのことだけだった依頼。
そもそも、成仏させられるかどうかは、特別気を使ってないだけに、考えたあとでライターを見た。
「あの、幽霊さん、ここにいたいみたいなんですけど。」
「え?」
「こちらの場所に強い思い入れあるみたいです。……悪いことはしないと思います。」
急に里久が話しかけたことと、里久の言葉の内容にライターは固まった。
ごく一般的な普通の除霊でないことは、オープンチャットでの説明で分かっていた。
そうではあっても、ここにいさせられないか、とは言われるとはライターは思わなかった。
「悪いことはしない?」
『失礼ですね。私のこと、わからないのかしら?』
「すみません……お名前だけ聞いてもいいですか?その方がライターさんに通じると思いますよ。」
ライターは息を飲んだ。態度こそ、問題ありとしか言えないのだが、霊の声が聞こえるの言うのは本当かもしれないと思える言葉だった。
『私は、大久保と申します。』
「大久保さんだそうです。女性の方です。」
その言葉を聞いた途端、ライターは息を飲んだ。
大久保と言う名前は、聞き覚えがある名前どころではなかったからだ。
「大久保さんって…先代の時からの……。」
『ええ、お世話になりました。』
大久保と名乗った幽霊の声はそれはそれは柔らかく、優しい声色だった。
「その大久保さんですね。いてもいいなら、それを伝えますけど。」
「もちろん!」
ライターはパッと表情を明るくさせて言った。
と、言うのも、ライターにとって「大久保」と名乗った幽霊は、非常に親しい間柄だった。
一一時は数ヶ月前に遡る。
「あ、いらっしゃい。大久保さん。」
「……カウンターでいいかしら?」
「いいですけど...…珍しいですね。いつもなら、奥に行くのに。」
「ちょっと、貴方と話がしたくて。」
その時点で、ライターはなんとも言えない嫌な感覚を覚えた。
それは、大久保が妙に凛としていて、違和感を感じるほどに、スッキリとした目をしていたからだ。
ライターは、ある程度店を回すと、大久保の前に立った。
「話というのは?」
「うん。」
大久保は、一旦息を止めるようにしてから、ゆっくり息を吐き出した。
少しの迷いが、瞳の揺れ具合からみてとれる。
(あまり、いい話では無さそうだ。)
それならば、と、ライターは、大久保が話始めるまで待った。
一一時間にしたら、一分か二分だろう。
そこで、決心したように大久保は、ライターの目を見た。
「余命宣告されちゃった。」
「………え?」
「もって半年。早ければ三ヶ月かも。」
ライターは、一瞬頭の中が真っ白になった。
確かに、大久保は、先代の代から来てくれている常連さんだ。
歳も、決して若くはない。
それでも、つい最近まで元気でいた。
ナンバーに通ってくれていた。
「何故?」「どうして?」の言葉がライターに浮かんだ。
ライターの喉に何か紙が張り付いたように、上手く言葉が出てこない。
それをみて、大久保は目線を落とした。
「膵臓ガン。もう手術は無理だって。」
「一一一会えなくなるってことですか?」
「一応、明日ホスピスに入れるようになったの。面会にはこないでね。弱って衰弱してくのなんか、貴方には見せられないわ。」
大久保は、膵臓ガンであるということが、嘘のように、いつも通り、一杯のモスコミュールを頼む。
ライターの頭は混乱していた。
手が、指が震えて、上手くリキュールの蓋さえ開けられない。
今までの時間が、ずっと続く訳では無いとわかっていた。
バーなんて、それこそ一期一会になることも多い。
それでも、大久保は、何年も昔から通ってくれていた。ライターにとって、大切な家族のような、友人のような、仲間のような存在になっていた。
一一その人が、急に死ぬ?ガンで?
ライターは、震えながらも、大久保の好みを分かっている一一分かりきっているモスコミュールを出した。
きっと、いつもより味が劣るかもしれないし、最後に相応しい出来ではなかったと、ライターは思っていた。
それでも、大久保は、ゆっくり優しい眼差しでグラスを見ると、ゆっくりモスコミュールを口にした。
そのあと、ライターは、大久保と何を話したのか記憶にない。
大久保が帰った後に、残ったのは、少し水滴か残ったグラスと、「もう、大久保さんは長くない」という現実だけだった。
ライターは、分かっていた。
どうすることも出来ないということを。
無力感に包まれても。
だからこそ、里久のスタンスは、"もしかしたら"を叶えてくれるには最高のスタンスだったのだ。
「一一ライターさん?」
里久の声かけで、ライターの思考は、ゆっくり現在に戻ってきた。
大久保が、店から出て繁華街の人混みに消えた頃、ライターは、大久保がどこのホスピスに入院するかさえ、きちんと聞けていないことに気づいた。
それだけ、大きな衝撃と動揺があったのだ。
だからこそ、里久を通してではあるものの、大久保が気持ちを聞くことが出来て、罪悪感にも似た、苦しい気持ちが、少し溶けたような気がした。
「では、大久保さんには、引き続き見守ってもらうということで。」
「ありがとう……ございます。」
「お礼はいりません。俺はただ、繋いでいるだけなので。」
里久にとって、ごく普通の日常生活のようなものだとは言えないが、こうしているのは少しだけ慣れてきた節がある。
しかも、今回のように後味がスッキリしているとなると気持ちも軽くなるものだ。
「では、これにて終了で宜しかったですか?」
「お金は一一。」
「ボランティアなので。」
里久は苦笑いした。
こんなインチキみたいな除霊でも霊視でも無いものに金を払えとは言えない。
「でしたら。」
里久は、終わったのであればさっさと帰ろうと、赤いイヤフォンを外したところで、ライターに急に呼び止められた。
そのタイミングがズレたで、今までどんな時も一度も手から離れたことのなかったイヤフォンが、ライターの足元に転がった。
ライターは、足元に来たものだから、自然の流れで、そのイヤフォンを拾い、里久に渡した。
一瞬ライターの頭の中で、何か知らない音が鳴ったようにも感じられた。
だが、ライターは気のせいだと思っていた。
「ありがとうございます。」
「時々、ここに来てください。依頼とか無しで。もしかしたら、しちゃうかもなんですけど……モスコミュール、今度嫌いじゃなかったら飲みに来てください。」
「一一機会があれば。」
こういう、後腐れのある関係になりそうなことは、里久は嫌いだった。
だが、こういったことは少なくない。
特に今回のように、プラスの感情で終わると、相手は接触して来ようとする。
流石の里久でも、こんなことが度々あれば社交辞令で乗り越えることができるようになっていた。
帰り道。
里久は複雑な思いを持っていた。
人と深く関わるのは、苦手だ。
だからこそ、このイヤフォン越しの伝道者のようなことも、できるならしたくない。
だが、ライターは、名刺を渡してきては、一度だけでいいから、また来て欲しいと懇願していた。
(解決かどうかも分からないってやつなのにな。)
後味が悪くない時ほど、本当にこれをする意味が頭の中でこんがらがる。
大学中退ニートがしかたなくやっているだけなのに、こんなに感謝されるのは複雑だ。
ライターは帰り際に、わざわざ自分の連絡先が入っている名刺をくれた。
向こうサイドは、本当に再度来て欲しいんだと分かるだけに、重いため息を吐いた。
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