第8話『海鳴りの貝殻』
―君の声が、まだここにいる―
波音が、遠くから静かに届いていた。
ザザン、ザザン……。規則正しいその音は、まるで記憶の奥をそっとなぞるようだった。
夏休みを目前にしたある土曜、宮本遥は、海辺の町・真白浜を訪れていた。
高天原高校の地域交流プログラムの一環で、地元の旧灯台と海浜資料館のAR展示にKOTOHAを活用するためだ。
その日は、町立資料館で浜辺から集められた漂流物や古道具の点検作業が行われていた。
遥は一つひとつの物にKOTOHAのセンサーパッチを当てながら、記憶の断片を掬い上げていた。
そのときだった。
白い棚の片隅に、ひとつの貝殻があった。
巻貝の一種で、大きく、淡い桃色の光沢があり、表面に小さな傷と、マジックで書かれた文字が見えた。
「マシロへ また来るよ ―ユイ」
遥はその貝に手を伸ばし、KOTOHAを起動した。
一拍の沈黙ののち、骨伝導イヤホンから声が届いた。
――ユイ……まだ、待ってるよ。
――約束、まだ、終わってないよ。
――君の声、今でも、ここに響いてる。
その声は、風のようにやわらかく、どこか子どもっぽかった。
貝の中に、誰かの声が、記憶のまま残されているような錯覚。
遥は貝殻の内側を覗き込み、指でそっとなぞった。
すると、貝の口の奥から、小さな音声の断片がKOTOHAに拾われる。
「……ユイ、海、きれいだね。……また、来ようね。……マシロで、毎年、夏に……」
まるで、かつてこの場所で録音された声のようだった。
それは、過去の誰かと、誰かの、幼い約束だった。
遥は館のスタッフに尋ねた。
「この貝、どうして資料館に?」
「去年の夏、灯台の下に落ちていたんです。誰の物か分からなくて。寄贈扱いにして保管していました」
その言葉を聞いて、遥の胸の中に、ひとつの仮説が芽生えた。
KOTOHAが検出した“ユイ”という名と、この町の名“マシロ”――
もしこのメッセージが、送り手に届くなら。
きっと、何かが変わるかもしれない。
遥はデータを整理し、「AR展示品・音声協力者求む」の告知をSNSに投稿した。
貝殻の画像と一部の音声データを公開し、心当たりがある人は連絡をと。
数日後、遥のもとに一通のメッセージが届いた。
送り主は、「結城 結(ゆうき ゆい)」という大学生。
かつて小学生の頃、毎年祖母の家がある真白浜を訪れていたという。
遥が確認した音声データを再生すると、彼女はしばらく何も言えなかった。
「……これ、私です。たぶん、小学四年生のとき。友達のマシロと、“この貝に声を閉じ込めよう”って遊んでて……」
彼女は言った。
「でも、マシロは翌年、引っ越しちゃって、それきり連絡が取れなかった。ずっと会えてなくて……もう、忘れられてるかなって……」
遥は微笑んだ。
「KOTOHAが拾った声は、まだ“待ってる”って言ってた。だから、伝えませんか?」
それから数日後、貝殻の展示ブースには、一枚の新しいプレートが加えられた。
『この貝殻は、夏の約束を覚えています。
小さな声も、潮騒に混じって残っています。
――また、会えますように。』
その日、会場にひとりの青年が立ち寄った。
目を細め、展示ケースの中の貝をじっと見つめる。
「……ユイ?」
結が振り向いた。
「……マシロ……?」
二人はしばらく言葉を交わせなかった。
けれど、その目の奥に、同じ記憶の色が浮かんでいた。
遥はそっとKOTOHAのログを確認した。
巻貝:収集時期不明。記録音声断片あり。
最終出力:「ユイ、ありがとう。約束、守れたよ」
遠い昔の小さな声が、海の底から浮かび上がり、
いま、ひとつの再会を叶えた。
それは、KOTOHAが翻訳した、貝殻に閉じ込められた“夏の声”だった。
遥はそっと波打ち際に立ち、風の音に耳を澄ませた。
ザザン、ザザン……。
その響きの中には、きっとまだ誰かの言葉が眠っている。
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